久々のはまりもの
ひさびさにはまるものができました。
「prizon break」ですな。
まあはまるのが遅いって話なんだけどさ。
実は、流行り始めたタイミングで、観るのって自分的にすっげえ嫌なんだよね!
それにみんなが借りているときってすぐに次を観れないしさ。
だからしばらく、観なかったわけなんだけど。
本10冊買ったついでにようやく借りてみた。
毎回毎回ハプニングが何かしら起こるし、その先を想像する展開が待ち受けているし、奥が深い。
いやあ日本のドラマは最近めっぽう見る気にならないけど、これならいくらでも見るね。
なんとか、体も治ったし、後2日頑張りますか~!!
今年もあと3週間程度。
仕事納めとともに今年を振り返ろうかな。
おみくじで「大凶」が出た唯一の歳でしたしね!!笑
fu☆☆ these days!!
週明けにウィルスに感染し、出社禁止二日目!!
昼間に寝すぎて、この時間に寝れんな。笑
仕事できないのは、萎えるわ。
ただ、そんななかでも良かったことは考える時間がきちんとできたこと!!
そして、本を読んでいたら
「すべきかしないべきか判断を悩んでいるのならば、した方が良いと本当は自分でわかっている」
という文句に、胸を打たれました。
まさに、そうなんだよね!!
てなわけで、明日の朝には熱が下がって、会社にいけるのを願うのみ。
あ~仕事してえ。
つまらんでも、ないよりはマシぜよ!!
1年間という時間と3年後の自分
1年間という時間を振り返ると、あっというまだなと思うものである。
でも、時間にしてみると、365日×24時間。
はっきり言ってかなりの時間がある。
だから、他人それぞれ過ごし方によって、大きく変わるのである。
昔、意識が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人生が変わる。
そんなことを言われ、実践し、自分の人生を切り開いた。
そのとき、サポートしてくれた力は大きかったし、自分でもすっげえ苦痛を感じていた。
それを超えたとき、すごい気持ちが良かった。
今日ふと思い出した。
そして、思い出したそのときどうしても代えられないものがあることが思い出された。
来年の8月、俺は25歳になる。
岐路に立つ。
めちゃくちゃ困難でどうしようもなくて、泣き叫ぶくらいきつくって、自分の能力じゃ目の前のことが出来ない
自分が腹立たしくて、恥ずかしくてどうしようもない。
そんな環境に身をおいて、自立しようと思う。
もっと深みのある、受け止められる自分になろうと思う。
強くなろうと思う。タフになろうと思う。
それでそっからの3年間を過ごそうと思う。
他人の気持ちを気にしていないようによく見られるが、これでも一応考えていたりする。
だから、いろいろと抑えようとしているし、抑えている。
特に仕事では「忍耐」と考えてきた。
その分、プライベートでは時に「我慢」が出来ず、あふれてしまったことは少なくないが・・・
結局のところ自分は「仕事人間」なのである。
仕事の中で、自分の目標、自分が夢と考えていることを実践できていなければ、
人生の意味など見出せないのである。
見つめなおす。
ブランドや地位や名誉や世間体やすべてのことをゼロにして考える。
「自分のために生きなよ。」と言われても、どこかで踏みつづけてきたブレーキを外す。
さあて、自分が大人になるためのラストの道路だと思う。
走り出す。
つらくても、死にそうでも、倒れても、もう一歩、2歩、3歩先にいくために
努力を続けてやる。
かわらねえなあこの国は!
小泉政権から阿部政権へと移行して、やはりというべきか当時反対して離党した人間たちが巣に戻った。
仲良しこよしで政治やってるわけじゃないんだから、筋を通して欲しい。
マスメディアは戻るという1点に着目しすぎである。
報道すべきはそんなことではなく、なんで戻るのか、戻って何をするのか、何で出たのか、といったことに注目すべきである。
戻って何が起きるのか、彼らが戻るメリットはなんなのか?
彼らが戻るデメリットは何なのか?
支持率ではなく、政策の面から論じて欲しいものだ。
さてそんなこといってももう戻ってしまうわけだ、
彼らが戻って、小泉が成したこと(何もしていないかもしれないが・・・)「一応構造改革」
が元の木阿弥になるのであれば「美しい国」なんてスローガンくそくらえだと思う。
あいも変わらず「和」をもって尊しというが、今の日本人にとって、「和」なんてものはただの馴れ合いだと思う。傷のなめあい。自分たちのくさいところ見たくないところにふたをして、狂ったかのように「今の若い者は」「今の時代は殺伐としている」なんて
発言をしている。
おいおいお前らが甘えてきたからこうなってるんだぜ。
わかってるだろうに、見たくないから見ない、聞きたくないから見ない、過去が良かったと言う。
古きよき時代などと抜かす。
何かあればお祭りのごとく騒ぎ立てる。騒ぐだけ騒いで何も考えちゃいない。
本当の意味でくそなことが起きても、異なる小さいくそなことを大きく報道して覆い隠す。
ちゃんとした議論も出来ず、目的も明確にならず、
自分の国家にも責任を小もてず、私利私欲を肥やし、
いまだに民主主義の皮をかぶった社会主義国家、「日本」
そろそろ脱皮しないと、これ国家の衰亡を意味するね。
人のセックスを笑うな
って俺のじゃないよ!笑
第41回文藝賞を受賞した作品です。
19歳の美大生と39歳の教師が不倫しているストーリーなんだけど、
どろどろとした描写が無く、不倫というものを媒介にしているにもかかわらず、
純粋な恋愛小説として読める不思議な作品。
そうやって、読める理由のひとつは、
あまりにも現実感がないからかもしれない。
読んでいても非常に軽やかなタッチで書かれているためか、すごいすんなり読めてしまう。
文中の表現なんかは良い言い回しをしているし、読んでいて面白かった。
まあタイトルとは少しずれている内容だと思うけど、
一読の価値ありだね。
一歩一歩
今日ようやく村上龍の「恋愛の格差」を読み終えた。
一冊読むのに結構かかってしまった。
この本、視線は現代の女性に対して、って目線で書いてあるのがおもしろい視線だった。
まあ男が考える女性の視点なだけに若干ずれているところがあると思うが、
今の時代と女性の心理、そして男性の有様をよく描けていると思う。
なかでも印象に残っているのは、
みんな一緒でいる時代なんか、とっくに終わっているというのに日本人はいまだに意識のなかにそれが残っているという点と
今の時代の「普通」って何?そんなもん多様性がありすぎて、存在しなくなっているでしょという点。
言いえて妙だし、それに多くの日本人がそこに目をつむっていると思うからこそ、この表現は面白かった。
まあ本題とは少しずれているところが印象に残ったわけだね。
段々進んでいく回廊の上
段々と研ぎ澄まされてきた最近の自分。
恋愛とは、タイミング、ハプニング、フィーリングで成り立っているとかこの間誰かが言っていたが、
人生も語るとしたらそんなものなのかもしれない。
社会人になり、時間を過ごせば過ごすほど、自分の本音が見えてくる。
自分が思っていることや感じていることなど吐き出すことも無いが、
吐き出さないだけで本音は胸の中にずっと存在し続ける。
それは少しづつ少しづつ、渇望していたかのようにうごめき始めている。
もはや、その感情を見ないようにすることなどできないくらいに。
とはいえ、
まずは、今の自分が半年後に目標としていることに向かって、まっすぐに進む。
そこだけを目指す。
一本筋を通すために!
おいおい根本間違ってねえか!?
今日は朝のニュースより!
今朝、眠気をしのぎ、朝起きてニュースを見ていると、とある山が映っていた。
その山だけど、実はほど全てが杉で埋め尽くされている山なのである。
ニュースが何を伝えようとしていたかというと、現代人にとって悩みの種の「花粉症」について
そして、なんともぶったまげたのがこれから!
品種改良で出来た「花粉が10分の1しか飛ばない杉の木」とオリジナルでそこに植えられている杉の木を全て植え替える
なんてことを言い出した。
おいおいちょっとまってくれ!
確かに自然はなくならない。そして現代人にとって、有害な花粉も少なくなる。
それだけを見たらメリットだろう。
でも、そもそも花粉って何のために飛ばすものだろうか?
子孫を残すためじゃないのだろうか。
そして、多くの花粉を出してそこから生えてくるのは、すごく少ないということを人は忘れていないだろうか?
10分の1になってしまった花粉がゆえに後々杉の木がなくなってしまうという可能性や杉の木が少なくなってきてから慌てふためく可能性は考えなかったのだろうか。。。
何も人を花粉症にするために花粉をばらまいているわけではないのだ。
また、なんで日本人はこうも対処しかしないのだろう。
予防線を張らないのだろうとも思った。
予防線を張るためには、そもそもなんで現代人はこんなに花粉症になるようになったのか?
最近では、サルするなんで花粉症になるのか?
そこに焦点をあて、何が環境の変化の要因になったのか?
何と杉とのパワーバランスが崩れたのか?
もしかしたらそのパワーバランスを取り戻したら花粉症も治るかもしれないとか、
根本的に、何かの科学物質が花粉と影響しあっているとか
そういうことをよりやるべきじゃないのだろうか。
まあやってることはやってると思うけど!
いずれにしろ今日のニュースを見ていて俺は今の人がやっているこの「杉の木を切って、杉の木を植える」という
行為が本末転倒だと思った。
ただそれだけ。
時間を止めた日
人と会い、人と戯れ楽しいときをすごしてきた週末の時間。
今日は夜まで少しお休み。
自分ひとりの時間を過ごすことにした。
外は雨。感傷的な思いに耽るならもってこいの日かもしれない。
まあ感傷的な思いに耽っている場合ではないので、
これからアクション起こしますが・・・
結局のところただ勉強する時間と体を鍛える時間が欲しかった。
それだけのこと。
忙しければ忙しいほど暇な時間は誰かと会い、誰かと過ごしたくなる。
でも、それでは自分が成長しない。
人と会っている時間でも十分学ぶことは多い。
それに楽しいし。
仕事をしていても自分の弱い部分は出てくる。(例えば、細かいところを気にしないとことか。ホスピタリティ精神が弱いとかね。)
ただそれは根本的な問題ではなく、根本的な弱みでもない。
その部分にとらわれていると自分の長所が伸びない。または弱まっていくだけにしか感じない。
弱点を埋めるより長所を伸ばした方が絶対に大切だと思う。
本音。悔しいが、今の仕事の中で自分の長所を伸ばすことは出来ないと思う。
だからプライベートな時間。電車に乗っている時間。
そういう中で自分を伸ばしていかざるを得ない。
ただその事実に目を瞑りたくはなかった。
だから、今日の時間を一人ですごすことにした。
ただの会社員、サラリーマンになるのはやっぱりごめんだ。
そんなことは出来ん。
極論ではありますがね。
んなわけで、楽しく上昇するための時間にしま~す。
ただ書く!久々に・・・
最近思っていた疑問があるから久々に書くことにする。
北朝鮮が核を発射したという真実だか噂だかわからないニュースが出てからというもの
やれ経済制裁だとか6カ国協議だとかがニュースに踊っている。
でもなんで経済制裁なんだろう?
そもそも北朝鮮には経済力など無い。無い相手に経済制裁を加えて何になるというのだろうか?
最後のひとかけらまで資金力を奪えば核を作らないようになるとでもいうのだろうか?
答えはそもそもNOだと思う。
金が無くても、国民が苦しくても自分たちがハッピーであればよいと考えている人間にそもそも経済制裁など加えても意味は無い。
どこかで国民が無理してお金を持ってくるのが関の山だ。
6カ国協議も同じだと思う。
いままでも6カ国協議は開かれてきた。んで、その度に北朝鮮は条約を締結し、お金やら物資を調達してきた。
その後、ほとぼりが冷めてきたところで条約を反故にし、お金くれ~ 食べ物くれ~と言ってきた。
そもそも意味をなしていない。
仮想の脅威に対して恐れおののき、プレゼントをあげるだけあげる。。。
たとえて言うなら、スーパーとかで泣き喚いている子供を世間体を気にして恥ずかしいから一回黙らせようと思って、
子供の欲しいお菓子を買ってあげる親と一緒だ。
子供に買ってやる。その結果、子供はまた泣けばもらえると思う。
だんだん欲望が膨らみ、でっかいものが欲しくなる。
そういう循環と一緒なのだと今は思っている。
じゃあどうすればよいかって?
あげていたもの全部取り上げてみるってのもひとつの策。
それとか隣国との関係を奪ってしまうってのもひとつの策。
相手の主張認めてその代わり援助なんかしないっていうのもひとつの策。
お金の換わりにボランティアしか貸しませんっていうのもひとつの策。
まあそもそも北朝鮮との関係をどうしたいのかが俺にはぜんぜんわからないんだよね。
なぜかと言うと、そもそもの目的がはっきりしていないうえ、脅威だとかいう言葉に踊らされて
日本政府がいきあたりばったりのことしかしていないようにしか思えないからね。