3月11日4年前の今日。私は今日と同じように事務所で仕事をしていました。
この日は珍しく、父も姉もそれぞれ違う得意先へ行っていたので、母とふたりきり。
何度も訪れる揺れに、私は母を連れてどこに逃げたら良いのかと母をどうやって守うかと考え、それが出来るのかと不安でした。
でも、この混乱している中で、不思議な事に一番大事な人たちとはすぐに連絡がついたのでほっと胸を撫で下ろしました。
あれから4年。
毎年参加をさせて頂いております、パンキーズのボス、DeNA Running Clubの総監督 瀬古利彦さん主催の山中湖駅伝は東日本大震災のチャリティー駅伝です。
昨年の開催では、はじめて、石巻から高校生が招待され、一緒に駅伝を走りました。
大会の前夜祭で、石巻西高校の陸上部の選手の皆さんとお友達になり、パンキーズのメンバーで一緒に参加をしていた、仁田くんの一言で、やはり一緒に参加をしていたピアニスト遠藤征志さんと石巻西高校の陸上部の応援歌を作ろうという話で盛り上がりました。
そして、遠藤さんの、曲を作るなら現地に行ってからという一言で、2週間後、3人で石巻西高校と石巻を訪れる事になったのです。
震災後はじめての石巻。
正直物凄くショックでした。
もう、4年近く経っているので、どれだけ復興が進んでいるのかと、4年という長い年月を想像していた私に、思いもよらない、何も、何一つ変わっていない世界が目の前に現れました。
日和山から見た景色は時間がまだそこだけ止まっているかのようで、これが震災後の現実なんだと呆然としました。
そんな現実を3人で受け止めて来た後、まずは遠藤さんが曲を作ってからだねと別れたのが、10月の末の ことでした。
実は、この話とはまったく別のところで、私は私で東日本大震災の事を歌った歌詞を作りたいと思っていたのです。何かしたい、だけど、私にはお金も時間もあるわけではなく、直接的な応援や支援は出来ないのが現状。でも、私に出来ること。それは伝えていくことだけなんだと。
Danny Boyを聞いた時にそんな思いを持ちました。
それからYouTubeをみたり、ネットで検索し、当時の様子など見ては考えていたのですが、震災を体験したわけでも、見たわけでもない、現実を知らない私の口から出てくる言葉は、白々しく、わざとらしい、こんなことでは全然だめだなと筆が進まずにいました。
そのあと、今回の事がきっかけで、はじめて石巻を訪れ、日和山から感じた思いをDanny Boyのメロディーに合わせ、歌詞をつけさせてもらいました。
今回のプロジェクトがあったからこそ出来た歌詞なので、これも縁を感じずにはいられませんでした。
遠藤さんからは約束の作成期限が過ぎても連絡はなく、大変なんだろうなと思っていた、2月の中旬に、曲出来ました。歌詞も自分で付けましたと。そして、出来たら今年の卒業に間に合わせて録音をして、届けたいと。
それから大慌てな録音をして、今年の卒業式3月1日に3人で石巻西高校へ行き、陸上部の皆さんに応援歌を届けてきました。
題名は『伝えていこう』
陸上部で頑張っているみんなへ
卒業をして、これから新しい世界へと踏み出すみんなへ
そして、震災の被害を受けても頑張っているみんなへ
そんなみんなへの応援歌となっています。
陸上部の卒業生には内緒で話を進め、卒業生へのプレゼントとして披露しようと、段取りをつけてくれていました。本当に喜んでもらえるのかなと不安な気持ちで行ったのですが、
喜んでくれるどころか、私達に感謝の花束や心のこもったメッセージを書いた色紙まで用意してくださり、、、逆にこちらが大感激!
こんな素敵なプロジェクトに参加させてもらえて良かった。とても有りり難かったです。
また遠藤さんの作った歌がとても良いの!
広めて、みんなで合唱してほしいし、合唱聞いて見たい。
私もライブで歌わせてもらいたいなと思っていますので、これから聞いて頂けるかと思います。
ぜひ楽しみにしていてくださいませ。
石巻西高校のみんなと一緒に撮った集合写真は、宝物として、心の中に大事にしまっておきます。
写真は石巻とそして、瀬古さんからの気持ちの色紙。宝物の頂いた色紙と一緒の私。
最後に、今回、石巻を案内してくださった、石巻の方々、そして、パンキーズでも繋がりのある浪江町の方々、みなさんに会って思うことですが、話を聞くと辛い事、悲し事、想像もできないような悲惨な事を身に受けているのに、みなさん、とても強い。それはちゃんと現実と向き合って、前に進んで行こうと頑張っているからであり、そのような姿に頭が下がる思いです。
それでも、どうかみなさんの心が1日も早く癒されていきますように。
長文になってしまいましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。