、二十代の頃から、家族ぐるみで可愛がっていただいた

守屋浩さん。

19日にお亡くなりになりました。

 

ホリプロ第一号歌手であり、浜口庫之助先生のまるで

大人の童謡のような作品、「泣いちっち」や「チータカタッタ」

「僕は泣いちっち」「夜空の笛」「長いおさげ髪」・・・

そして、コミカルな「有難や節」や「大学かぞえうた」。

島倉千代子さんんとの「星空に両手を」・・・

僕も大好きな曲、平尾先生の書いた「若かったあの頃」など

たくさんのヒット曲のある歌手であり、プロデューサーでした。

 

ホリプロをお辞めになってからは、静岡県伊東市で奥さまと

ペンションをやったりしてお過ごしになられてました。

 

青春時代を守屋さんの歌で過ごした根強いファンの方が

たくさんいます。

あるプロデューサーの方が、「守屋さんそろそろ今の守屋さんで

また歌いませんか?」と、コンサートを企画して下さったのが、

2002年。

その打合せの場所に僕も呼ばれ、「せっかくのお話だから、やってみようと

思う。お前、一緒にやらないか?プロデューサーの方もそう言ってくれてる」

とのお話に僕は、どう感謝の気持ちを表したらいいかわかりませんでした。

 

守屋さんは、シャイっていうか、一匹狼というか、これだけの大ベテランでも

過去を振り返らない。そんな人でした。

どんな実績があっても、決して自慢もしなければ、とにかく過剰に振る舞う

ようなことはまったくなかった。

 

息子のような気持ちで、いればいい。

守屋さんとはそうでした。

 

そのコンサート企画。

「男二人じゃつまんないから、お前が誰か女性歌手一人探してくれ」との

話で、当時コロムビアで一緒だった山本智子さん(現:山本さと子)に声を

かけました。

 

伊東の守屋さんのご自宅のスタジオで、いろんな歌を聴いていただきました。

 

そして、

2002年から、『守屋浩コンサート~歌にありがとう~』がスタート。

全国を三人でまわりました。

 

守屋さん、ミュージシャン含め、僕らも親子のようなアットホームな中に

毎日大きな舞台で満席のお客様の前で歌う、とてつもない勉強を口数は

少なく厳しく僕を育ててくれました。

身内意識のぬくもりを今改めて感じています。

 

プライベートでもたくさん、守屋さんとの思い出は、地方で美味しい物食べて、

飲んで。

伊東のお寿司屋さんには何度も連れて行って下さって、

つきない。

 

淋しいです。

 

今、先に旅立った守屋ママ(奥さま)ときっと一緒に娘、息子、そして僕たちを

見守って下さっていると思います。

 

♪「泣きとうござんす」

守屋さんのオリジナルの一曲ですが、生前ママが僕にこの曲をあげたらどう?

って、守屋さんに言ったことを思い出しました。

ママにも本当に可愛がっていただきました。

ほんと身内のように。

 

 

青森は、最北端の大間から伊東まで電車乗り継ぎ、守屋さんとママと旅した

思い出も蘇ってきます。

 

守屋さん、うちの平尾先生とも会いましたか?

ほんとうにありがとうございました。

 

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

守屋さん、ありがとうございます。

いっぱいの感謝を形にできるように頑張ります。