東国原氏が宮崎県の知事選挙に出馬するようだが、公約や演説では語られない真意足るものとは何だろう?
国政に挑んだとしても自らの存在価値が希薄化してしまう?
国会議員の質の低下で汚染されることを嫌がった?
そういえば国としての行政が余りにも拙いがために徐々に都道府県の権限は拡大していることを受けて国会議員の経験者が知事になるケースが増加している。
見方によってではあるが実務的なことは市町村長が担うことが多く、都道府県は大きなフレームを設計する役割が強いためとても小さな国と考えられなくもない。
東京都に限っては他の道府県とは少し違うが小池知事なんかは新たに都内で住宅を建築する際には太陽光発電の設置を義務付けるという暴挙まで推し進めている。
義務化ということは都民から選択の自由を奪う行為であり、知事の発言が絶大であるとともに自身の存在感をアピールしている。
数十年後のことなど 「わしゃ、知らん!」とばかりの無責任ぶりが炸裂していることに気が付いている人も少なくないはずなのに…
ま、風見鶏&渡り鳥の小池氏らしいといえば、それまでだが…