ちまちまイ劇場

ちまちまイ劇場

制作の苦労話など有りの侭語っていきます。




久しぶりです、

「あと少しなんだ」、あと三ヶ月すれば杖が取れ車で出かけてみたりだとか、三ヶ月の定期の更新のたびこれで最後ともう十回以上も繰り返し言って来た。

身体は相変わらず鈍臭いが何とか生活してる

受傷して三年半も過ぎて行った

治ったか治ってるのか自分自身一番気にしてる事ではあるがそれなりの時間も流れ

受診の終わり医師に告げられた、大きな改善は見込めないでしょうと言う言葉が重くのしかかってくる、

でも進むしか無いよねと大きな努力は考えず気持ちのいい事見つけて実行してる

最近ではブルブルマシンに脚乗っけて、四六時中続く大きな痺れや痛みを紛らしてる

そんな生活を送りながら


ヨタヨタ歩く事が辛くなる、毎朝通勤すること、人前に出ること話す事全てが嫌になる、何故って考えると動かない身体に嫌気がさしてる

そんな辛い時、似たような境涯を持つ者達をwebで漁る、そこにあがる皆達が語る前向きな言葉に自分の弱さを憐れみ、自らの志気をずり上げる、


でも、

今日、明日の事しか考えられなかった退院後から、少しマシになったからと捉えるも、

物価も上がりわずかな障害年金と思うように出来ない仕事ゆえに経済的や先の見通しの不安に襲われ

中途半端に歩けても重度障害で寝ていてたほがよかったのではと、発してはいけない言葉愚痴っている、

本心は瞬間そんなわけ無いだろと自分をコケ落とす

そんな事繰り返してるともっと大変な人たち、末期癌で息絶え絶えベッドから掠れた声で生きる事を語る人達に胸が詰まり

涙する、

なに愚痴ってんだ

俺りゃまだ生きてんじゃねーか、ヨタヨタだけど動けんだろと、動けずにお金なんかあってもしょうがねえだろと心で叫ぶ

そんな格闘の末

ありきたりに幸せとは何かと考える

完全な四肢麻痺で送った数ヵ月、カーテンレールのコマ、数えて過ごした時

ベッドの寝るスペースだけでしあわせなんだと感じた

それが少しずつ身体が動く様になるにつれ、

もっと何かしたいかと問う

何処かに行きたい、酔っ払いバカ騒ぎしたい趣味をもっと楽しみたいと、健常だった頃を振り返るが今の身体では

そんな欲が全く湧いて来ない事を不思議に感じる、

そして人の欲、自分の意志とは全て身体が欲し、操られた思いなんだって事に気がつく

広い部屋なんていらないし大きな家、ましてや広大な土地、最後は国や資源を取り合って殺し合いなんて頭おかしいだろう、とTVに向かってブチギレる

いつか大人にならなきゃと、昔からはみ出してた、そんな負いを感じながらも、

気がつきゃ子供も成人し、次世代のこと考えて行かなきゃいけないところに来てるのに、こんな身体で人に世話になり生きてかなきゃならない自分が、いったいどの視点で世の中が見えているのか分からなくなる

今さら戦争なんて子供以下猿以下だろうと、


そして今日も、幸せ?いや生きる目的とは、適度な仕事、する事があって人との関わりがある事だと捉えて、過ごして行くだけのありきたりなオチに、

なんかいいボケないんかいと

一人ツッコミし、ためいき落とす今日この頃である。

ごめん

「あと少しなんだ‥‥」