沖縄本島から奄美群島に沿って九州に向かいます。周囲には小さな島々が点在していましたが、やはり本土には先住民もいました。
おそらくフェニキアの船から漂着した人たちの末裔でしょうか。肌は黒みがかっていて、ポリネシアやミクロネシアに広がっていた人種と近いようです。
石垣島や沖縄本島にもいた文化レベルの低い狩猟採集だけで終わらず、ある程度の社会生活をもって、言語や文字もある人々です。
イスラエル人の持つ武器や罠で排除する事も可能でしたが、小さい船で上陸してきた貴重な人員です。1人たりとも傷つくわけにはいきません。
数的優位で取り囲んだうえ、プレゼントをおくって丸め込む、今までのやり方が通用しません。イスラエル特有の占領作戦を遂行することになります。

イスラエル人の占領政策は、国境紛争で出鼻をくじき、政治的発言力で優位に立つという、近視眼的な甘い戦略ではありません。
他国民の領土を奪い、完全に自国民で住み着く目的を見据えた、長期的かつ冷徹なものです。
まずは目立たないように少人数で分散的に山へ侵入し、高地に住み着きます。
平地や海沿いは便利で生活しやすいのですが、山間部は不便で生産性も低く、さほど警戒されません。
ところがイスラエル人は短い期間の中で計画的に斜面だった土地を整地し、灌漑を整えて農村地帯に変えてしまいます(士師1:19.34)。
高地を押さえることは軍事面で優位に立つだけではなく、水源をおさえることにもなります。
水利を握ることで平野に住む住民を弱らせ、抵抗する意気を奪ってしまうのです。
先住民が途中で気付き、山地を奪還しようとしてもうまくいきません。彼らはすでに地勢を熟知し、周到な防御策を講じているのです。
周辺諸国民は山地での戦いぶりに、彼らには「山の神がいる」と恐れました(列王一20:23〜28)。
イスラエル人が最初の防御拠点に選んだ場所が、霧島連山の高千穂峡なのでしょう。そこから北の山地に勢力を伸ばし、先住民たちの数が比較的少なかった瀬戸内海に面する平地に進出してゆきます。
九州山地の東側斜面に、それは見事なまでの高地性集落が発達しており、今なおその名残りを目にすることができます。

この地は神話の部隊となり、イスラエル人を指す代名詞として「日向族」と呼ばれるようになります。
ユダの発音に、斜面の東側…太陽の登る方角を向いているという意図が込められた字を当てています。