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きひろのかしや

クリスマスの思い出、教えて! ブログネタ:クリスマスの思い出、教えて! 参加中
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世の中クリスマス一色ですねえ・・。
というわけで、ブーム前の14年前、就職活動のときに真剣にナイキジャパンを受けた位NIKE好きの
あづの人生初NIKEの思い出をお話します(縁あって別の会社に入りましたが)。

 1981年、あづが小学校5年の時親父の仕事の関係でアメリカのテキサス州ヒューストンに住んで
いました。今のテキサス州都(当時はオースチン)、NASAのコントロールセンターがある所、
ブッシュ大統領の地元・・といえばお分かりでしょうか。
 月曜~金曜は現地の小学校、週一回土曜に日本人補習校に通う生活でしたが、あづにとっては
このヒューストン時代が今に至るまでの人格形成に良くも悪くも大きな影響を与えたことは
間違いありません。白人黒人ヒスパニック系東洋系・・世界中の価値観がそこら中に顔を出す状況は
単なる一小学生にとっては大変なカルチャーショックの連続だったことを鮮明に覚えています。
 
 そんな中、たかだか小学校高学年なのに周りには既に所謂「ブランド意識」が存在し、その最たる
ものが「Polo Ralph Lauren」と「NIKE」でした。先生から結構貧しい家庭の子供までそれこそ皆NIKE
を履いており、NIKE?にけ?なにソレ?という状態だったあづ少年はもう単なる流行というより
絶対的な価値観の表現とでも言えそうな勢いで「これは絶対に履かなきゃならない!」という状況に
陥るのはホントにすぐでした。さらに当時大好きになった女の子がNIKEばかりだったこともちょっと
だけ影響してますが(笑)。

 そうは言っても近くのK-martにでも売っていればまた状況は違ったのでしょうが、小学生がおねだり
してもそうそう簡単には買ってもらえないワケで・・。買ってもらえる千載一遇のチャンスもあったの
ですが、その店(footlocker)で30分以上迷った挙句店員に愛想を尽かされ親に怒られて結局買っても
らえず・・・とうとう夢に出てくるようになってしまったのです、NIKEのクツが(泣)!

 そして1981年12月24日。
家族で夕食を食べに行き、帰ってくると・・・!暖炉(当時のあづ家には何と暖炉があったんです。
滅多に使いませんでしたが)の前に夢にまで見たオレンジ色に白い世界地図が描かれた箱が2つ
置いてありました。サンタさんは暖炉の煙突から入ってきてプレゼントを置いてってくれたわけです。
 飛びついて開けてみると紺地に白ラインのデザイン違いのクツが2足出てきました。
当時は知る由も無かったのですが、この2足は「OCEANIA」と「NYLON CORTEZ」でした。
クツの名前は知りませんでしたが、「OCEANIA」はタイ製、「NYLON CORTEZ」は台湾製だったことは
今でもはっきり覚えています。何故ならそのクツはそれから帰国までの間履かれることなく、常に
ベッドの脇にあって寝る時ずっと眺めていたからです。今でもオフクロは「あれだけ欲しがってたクツ
を履かずに眺めてるのでおかしくてたまらなかった」と言います。

 それから中学・高校・大学、そして今に至るまで基本的にはスポーツシューズは全てNIKEです
(NB1300と今年出たNB100周年記念992GLX以外)。
今まで履いてきたクツ数十足の名前は全部言えますよ。冒頭に述べたように就職活動時は「NIKEのこと
なら一晩でも語れる」という絶対の自信が有るくらいでしたから。

 写真は数年前にやっと見つけたデッドストックの82年製当時モノのマイサイズの「OCEANIA」と、
96年製の「NYLON CORTEZ」です。
 どうしても思い出の初ナイキが欲しくなっていざ探すとなると、同じ色のマイサイズでしかもデッド
ストックは全然なくて、「OCEANIA」は探し始めてから手に入れるまで結局7年かかりました。
「NYLON CORTEZ」は80年代後半から連綿と復刻されていて簡単に入手できましたが、それでも当時
モノのデッドストックのマイサイズで同じ色は今もってめぐり合えません・・・



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