少し前ですが、「レディ・プレイヤー1」っていう映画を観ました。
面白かったですけどね、ガンダムが飛んでましたね^^
ガンダムが飛ぶ姿は、それ単体で見ればどおってことないんですが、タイミングが非常に悪い。
先日、ガンダムの40周年企画で「閃光のハサウェイ」がアニメ化されるという発表があったんです。
今回はブライト・ノアの息子であるハサウェイ・ノアがガンダムに乗るんですが、設定上技術の進歩を重ねてやっとガンダムが変形無しで空を飛ぶんです。ガンダムの姿のまま空飛ぶガンダムを観てガンダムは本来空は飛べないって知っている人は「おお~!」ってなるんでしょうけど、「レディ・プレイヤー1」でガンダムが空を飛ぶ姿を見てしまった人らにすれば何の違和感も無いいはずなんですよ。
ガンダム好きの人って名セリフオタクみたいなのが多いですが、コミックかアニメか忘れましたが、ホワイトベースの絵面が登場した時およそ地球上で飛行できるような形じゃ無かったのに、現場の人が勝手にホワイトベースを飛ばせちゃって、冨野さんが「やっちゃったよ~><」ってなったって話はあまり知られてません。その後、ホワイトベースの様な形のモノが重力化で飛行できる様にミノフスキークラフトという架空の物理現象が後付けされたんです。
ホワイトベースの様なモノが飛べるんだから、モビルスーツだって重力化で飛べたっておかしくないのですが、「ミノフスキークラフトを発生させる装置は小型化が難しい。」というリアリティー設定もされて、ガンダムはその後もZガンダムの様に飛行機形状に変形するものは以外は飛べませんでした。
そういう設定を経て、「閃光のハサウェイ」ではミノフスキークラフトを発生させる装置の小型化にやっと成功し、ガンダムに搭載することができた、となるわけです。
まあ、「閃光のハサウェイ」の中でガンダムが飛ぶというのはひとつの見どころですが、やはり最も大きな見どころは原作からの改編がどれくらいなされているかという事です。基本的にハサウェイ・ノアは今で言うところのテロリストとして登場します。テロリストが主役という設定は映画製作側に受け入れられるのか?という疑問があります。もちろん「閃光のハサウェイ」のアニメ化が遅れた原因はそこにあるんだろうなと思うのですが、アニメ化映画化は喜ばしいところなんですが、テロリズムに関してしっかりと描かれないのであれば「閃光のハサウェイ」そのものの意味がありません。
難しいとろですね。
「逆襲のシャア」の時は物語の大きなテーマの一つにアムロの子どもの存在がありました。僕としてはシャアは父親であるダイクンから受け継いだ大きな使命を全うしようとするがために自分自身は子孫を残さず死んでいき、ある意味それ自体が自己否定につながってしまっている。逆にアムロは激動の時代の中で最前線で戦いながらしっかりと命を繋いでいった、という対比が印象的だったのですが、そのアムロの子どもが存在するっていう設定すらアニメ化映画化の段階ですっ飛ばされてしまったんです。
だから今回の「閃光のハサウェイ」も期待は半分くらいにして、様子見ですね。
ま、がんばってくださいよ。