大切なお友達の来山(来る山口)~お金での分断~ | Hiroのブログ

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山口の山の中から、Hiroのつぶやき。
スローライフ、田舎暮らし、炭焼き、竹、音楽、つながり、社会の問題、平和、環境、原発などなどつぶやきます。

先日ヒッチハイクで私の大切なお友達が山口にこられました。


私の弟AKOがいつも言っている話の内容を日常の生活でしっかり実


践されているという素晴らしい方です。


彼らはお金による分断にとても疑問を持たれています。


たとえば、「なぜ、お金がなければ資料館入れる?」


=お金が払えない人は学びたいことがそこにあっても入れない。


そして、私たちはいかにも、平等にいろんな人の意見を聞いて生活をし


ているように見えるが、本当に今日の食事がとれるかどうかわからな


い人たちの考えていること、思っていることなど通常のネットで出回るこ


ともほとんどない。それは、お金がある一定程度ある人たちの世界観。


そういった最下層の人たちの声を、そして、地球に生きる他の生き物の


声をもっと、もっと聴いていかねばならない。


あまりにも、自分がある程度お金のある側にいるために、入場料が払


えない人たちの声などが全く届かないところで、自分だけのことを考え


て生活をしてしまっている。


何かイベントを企画するときも、参加費1000円と書いたとき、その金額


をどうやって決めているのか?そして、絶対1000円ないとこのイベント


には参加できないのだろうか。


今まで自分が行うイベントで500円ぐらいならみんな払えるだろう!と高


をくくって決めていたことが多々ある。でも、この500円を払えない人た


ちも現実にいることを私はすっかり忘れていた。


だれもが、分断されず、平和で暮らせる社会、環境を実現するために


はこの“お金”はとても大切なテーマであり、当たり前の金銭感覚という


のは、他の人たちには通用しないことがあることをしっかり頭に入れて


おかねばならない。


ここ最近、自分が行うイベントはカンパ制にこだわってやってきた。


これは、このイベントに参加したければ○○円払え!という上から目線


がとても嫌だと思っていたこと、企画した人と、参加する人が対等に交


渉したり、話をしたりする余地を残しておきたかったからである。


人間社会では当たり前の感覚を持ってしまったこの“お金”


今の社会でこのお金というものがあるということで、悪いほうへ動くこと


がとても多いのではないでしょうか。


まずは、丁寧にこのお金というものを見直す必要があると感じました。