先日ヒッチハイクで私の大切なお友達が山口にこられました。
私の弟AKOがいつも言っている話の内容を日常の生活でしっかり実
践されているという素晴らしい方です。
彼らはお金による分断にとても疑問を持たれています。
たとえば、「なぜ、お金がなければ資料館入れる?」
=お金が払えない人は学びたいことがそこにあっても入れない。
そして、私たちはいかにも、平等にいろんな人の意見を聞いて生活をし
ているように見えるが、本当に今日の食事がとれるかどうかわからな
い人たちの考えていること、思っていることなど通常のネットで出回るこ
ともほとんどない。それは、お金がある一定程度ある人たちの世界観。
そういった最下層の人たちの声を、そして、地球に生きる他の生き物の
声をもっと、もっと聴いていかねばならない。
あまりにも、自分がある程度お金のある側にいるために、入場料が払
えない人たちの声などが全く届かないところで、自分だけのことを考え
て生活をしてしまっている。
何かイベントを企画するときも、参加費1000円と書いたとき、その金額
をどうやって決めているのか?そして、絶対1000円ないとこのイベント
には参加できないのだろうか。
今まで自分が行うイベントで500円ぐらいならみんな払えるだろう!と高
をくくって決めていたことが多々ある。でも、この500円を払えない人た
ちも現実にいることを私はすっかり忘れていた。
だれもが、分断されず、平和で暮らせる社会、環境を実現するために
はこの“お金”はとても大切なテーマであり、当たり前の金銭感覚という
のは、他の人たちには通用しないことがあることをしっかり頭に入れて
おかねばならない。
ここ最近、自分が行うイベントはカンパ制にこだわってやってきた。
これは、このイベントに参加したければ○○円払え!という上から目線
がとても嫌だと思っていたこと、企画した人と、参加する人が対等に交
渉したり、話をしたりする余地を残しておきたかったからである。
人間社会では当たり前の感覚を持ってしまったこの“お金”
今の社会でこのお金というものがあるということで、悪いほうへ動くこと
がとても多いのではないでしょうか。
まずは、丁寧にこのお金というものを見直す必要があると感じました。