高橋竹山、うちの父が好きでした。たまたまカーラジオで聞くと、いいなぁ~と思います。

最近、三味線の新内の舞台の裏方のバイトしたのです、そこで聞いた長老のお師匠達の三味線は何か日本人の原点というか、考えさせられるような、凄いオーラがあって感動しました。

高橋竹山は津軽三味線で新内の三味線とは全く別物ですが、子供の時に父がよくレコードを聴いては津軽三味線を練習してたのを思い出します。

竹山先生が亡くなった後うちの父も3年後に亡くなっていたのかと今気づきました、
あの世で竹山先生と会ってるのかなぁ?と思います。



  1945年8月6日                       画: 中須賀愛美さん

 

 

原爆被爆者新井さんは13歳の時に入市被爆した。同世代の他の学校に通う子どもたちが建物疎開作業中に被爆したのに対し、新井さんが通っていた広大附属中学の生徒たちは食糧増産のため農村へ動員に出ていて無事だった。

彼方の広島は炎々と燃え上がり、壊滅していることは明らかでした。市内に続く狭い「東大橋」の上は、逃れ来る瀕死の被爆者の群で埋め尽くされ、皮膚を引きずりながら逃れ来る群衆の足元から幼い姉妹が現れ、スローモーションのように私の横を通り過ぎて行ったのです。風船そのままに顔が腫れ上がり、互いの手を握り合ったまま「しっかりねっ」という姉の声を残して被爆者の中に消えたのです。