あの日から15年の月日が流れました。
私の中でもとても色々な事がありました。
私は15年前のあの日は、ママが亡くなって一年と経って居ませんでしたので、
お墓の引越しから、新しいお墓を建て、一周忌に間に合うように、動いている頃でした。
あの日、あの時には、私は夕飯の買い物に出ていました。
私は、まだ癌と分かっていなかったパパと、弟との3人暮しになったばかりで、ぴー太郎君もぴーちゃんも我が家には居ませんでした。
鳥との暮らしをまだしていなかった頃です。
その瞬間、私は重い荷物を両手に抱えて急いで道を歩いて居ました。そして、自宅マンションのエレベーターに乗った所で、ひと息ついた所を、地震が襲ったようです。
私自身、震度5であったらしい、その揺れを体感して居ないという、珍しい人でした。
偶然に自分が動いていたのと?エレベーターに載っていたので、体感が全く無かったのです。
エレベーターも4階建ての小規模な高さのせいか?止まることはありませんでした。
大手メーカーの物で大家さんもとても良い方で優良物件ですので、エレベーターの故障等は考えられません。
エレベーター自身揺れなかったのだと思います。
何しろ、エレベーターを降りた私に、隣の部屋の奥様が飛び出してきて!
「凄い地震だったわね!」と言われて初めて地震があった事を知った私なのです。
私はよく分からなかったのですが、
「はい」と、言って、自宅に入りましたが、何1つ物は落ちて居ませんでしたから、大した事は無いと思ってTVを付けてみました。
そうしたら、関東で、震度5。
宮城で7という速報が出ていました。
大変なことになったと思いました。
都内での帰宅困難が始まって居るとニュースで見て、弟の帰りを心配しました。
お陰様で、パパは、夕方いつも通り帰ってきました。
弟も、無事に巻き込まれる事なく帰宅しました。
あの日の私達は一日TVの前でただ不安に怯えてばかりでした。
東北がどうなっているのか?
何が起こって居るのか?
だんだん夜になって、暗くなって、一体何がどうなっているのか。
本当に悲惨な状況を目にしたのは翌日の朝でした。
今、15年経っても。繰り返される津波のニュース。
あの日の震災の悲惨な状況に胸が詰まります。
心が痛みます。
多くの方が亡くなられ。
命と日常が奪われ。
遺族の方々も本当に苦しい日々を送って来られたと思います。
まだ、行方の分からない方もいらっしゃいます。
心を保つという事がどれだけ大変な事か私などには想像さえつきません。
大切な人を突然失った悲しみ苦しみは理解できます。
しかし、その苦しみも人それぞれです。
もうそろそろ時間になりますね。
今年も無念なまま、奪われた尊い命に。
哀悼の意を捧げさせて頂きます。
黙祷。
2026年3月11日 青い鳥
