以前にも少し書きましたが、私の場合は中学生になってから赤面症に悩むようになりました。
この頃は赤面症と同時にトイレに行っても、またすぐに行きたくなるという頻尿恐怖の症状にも悩んでいました。
また、新しくもらった教科書の紙が波打つといった細かなことも気になるようになっていました。
小学校の頃は、こういった悩みはなかったですが、中学に入り、これと同時に家を引っ越したことで周りの環境も変わり近所の子たちと遊ぶこともなくなり、こういったことも影響していたのかもしれません。
いずれにしても、色々と細かなことが気になるようになり、その中でもトイレのことと赤面症のことが一番の悩みになっていました。
私の場合は週1回の朝礼の時に校庭で整列して並ぶ時に耳たぶが赤くなることで後ろの人に変に思われると感じ、悩んでいたように思います。
つまり、一般的な赤面症の症状ではなく耳が赤くなることで人から変に思われるというものでした。

 

参照ページ:赤面症(原因と治し方)

このたび、Yahoo!ブログの閉鎖に伴いブログを引っ越ししました。
なかなか、思うように記事をアップすることが出来ていませんが、

また、時間を作り、アップしていきたいと思っています。

今まで記事内から他のサイトへのリンクをしていましたが、SEO上、問題があることが分かりましたので、本日、リンクを削除させて頂きました。
リンク先のサイト様には、特にご迷惑をかけることはないと思いますが、何らかの影響があった場合は、ご了承いただきたく、よろしお願い申し上げます。
今日は詩人として有名な中原中也のことを少し書いてみたいと思います。
中原中也というと「汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる・・・」という詩で有名ですが、29歳の頃に入院森田療法を受けたという記録が残っています。
千葉県千葉市にある中村古峡療養所という病院において院長の中村古峡先生から森田療法の指導をされたようです。
ただ、中原中也の場合は神経症というよりも統合失調症の可能性が高かったのではないかと思います。
しかし、1937年当時、森田正馬先生と仕事上で関係の深かった中村古峡先生は森田療法の可能性を探っていたためか、純粋な神経症ではない中原中也に対しても森田療法的な治療を行なった可能性があると思います。
中原中也が入院森田療法の手法の1つである作業療法のために山の掃除をしている時に何篇かの詩を書いたということも知られています。
1937年というと昭和12年ということになりますから、まだ、第二次世界大戦が始まる前の時代ということになります。
そして、この頃は、今よりはるかに森田療法の認知度が高かったのだと思います。
当時は精神分析と共に森田療法が有名だったと言われています。
そして、このために入院森田療法を行なっている病院も数多くあったようです。
しかし、現在では入院森田療法を行なっている病院は全国でも数箇所になってしまいました。
これは第二次世界大戦以降、アメリカの影響が強くなり、精神医療においても薬物療法がメインになってきたからだと思います。
つまり、けっして森田療法の効果がないということではないのです。
しかし、最近は、森田療法という言葉すら、知らない人が増えてきているように思います。
アメリカから入ってきた認知行動療法なるものが今は精神療法としてクローズアップされていますが、こと神経症の治療においては森田療法ほどの効果は期待できないように思います。
しかし、残念なことに、今は森田療法が日の目を見る事がなくなっているのが現実だと思います。
久しぶりにブログを見たら、前回の投稿から4年も経っていることに気付きました。
毎日、ブログを更新している人もいるというのに、これでは、このブログを読んでくれる人がいなくても当然だと反省しています。
今回は、今でも悩んでいる人が多い、手の震えについて書いてみたいと思います。
結婚式や葬式などの受付の記帳の時に手が震えてしまうという人は、昔から良く知られています。
これは、書痙(しょけい)と言われる症状ですが、これも神経症の症状の1つだと言われています。
しかし、今は、こういう手の震えの症状のために、病院に行くと、本態性振戦と診断されることが多いようです。
そして、軽い抗不安薬を処方されて終わりというパターンになっていることが多いように思います
しかし、書痙は人から変に思われるのではないかという対人恐怖症と同じメカニズムで起こる症状ですから、いくら抗不安薬を飲んでも、これでは根本的には治らないと思います。
最近はユング心理学の本が売れているようですが、これと同時代に日本で生まれた森田療法が書痙の唯一の治療法だと、かつては言われていました。
しかし、今は認知行動療法などの影に隠されてしまい、森田療法を知っている病院の先生も減ってきているように思います。
このため、書痙を治す方法があるにも関わらず、これが一般的に知られていないという状況になっているのが現代ではないかと思います。
前回の記事から、またもや2年近くの間が空いてしまいました。
コメントを頂けた方もいるのに、大変、申し訳なく思っております。

今回は、あがり症など神経症の症状について書いてみたいと思います。
あがり症の場合は大勢の人前で話をしたりする時に緊張してしまい、手や足が震えてしまうとか、声が震えてしまうという形で起こってくることが多いですが、こういう震えの症状と共に、顔が赤くなってしまうとか、汗が異常に出てしまうとか、人の視線が気になってしまうといった症状が出ることも多いものです。
ただ、いずれの、あがり症の症状においても言えることは、周りの人から変に思われたらどうしようという不安が、その根底にあると言って良いと思います。
つまり、この不安だけに目を向け、これを無くそうとしてしまうために、震えや赤面、汗といった症状が起こってくるものなのです。
そして、どういう症状が起こるかは、その人が人から見られて一番、恥ずかしいと考えているところから決まってくるものなのです。
つまり、人前で字を書く時に手が震えてしまうことが、人から一番、変に思われると考えている人は、書痙という症状が起こってくるのです。
これに対して、人前で顔が赤くなってしまうことが、一番、恥ずかしいことだと考えている人は赤面症という症状が起こるものなのです。
このように、あがり症のどういう症状が起こるかは、その人の考え方一つで決まってくるということなのです。
あがり症以外にも神経症には強迫神経症や不安神経症、自律神経失調症といった症状がありますが、これらに共通するのも「死の恐怖」や不安に対する「とらわれ」だと言えるのです。
そして、この「とらわれ」は森田療法の学習をしていく中で自覚が深まってくると、これに比例して薄れてくるものなのです。
そして、この結果として、あがり症を初めとした神経症の症状が改善してくるものなのです。
今はあがり症などの神経症の場合でも、精神科や心療内科の病院に行くと、うつ病と診断されてしまうことが多いものです。
しかし、あがり症などの神経症の場合は、抗うつ薬などをいくら飲んでも、これでは改善はあまり期待できないと思います。
いろいろ事情があり、すっかり記事を書くことが出来ませんでしたが、また、少しずつ記事を書いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
このブログはもともと自分の赤面症に悩んだ経験を元にして、今、赤面に悩んでいる方の参考にしていただければと思い開設しました。
ただ、今はブログにしろ、ネットの中では星の数ほどあり、私がいくら情報を発信しても、これに目を留めてもらえる可能性は、ほとんどないように感じ、少し、意欲を失っているという面もあります。
ただ、たとえ、宝くじに当たる位の確率だったとしても、このブログを見てくれた方が、いくらかでも安心し、参考にしていただければと思い直し、また、少しずつ記事を書いていきたいと思っています。
赤ら顔とか赤顔という言葉をたまに目にしますが、これと赤面症との関係を、今回は少し書いてみたいと思います。
赤ら顔は毛細血管拡張症とも言われる位で、寒冷地に住んでいる人とか、ステロイドを含有した外用薬を長期に渡り使用した人とか、長年にわたる飲酒をした人、スキンケアをし過ぎた人などで、毛細血管が増生し、かつ膨張したまま復元する能力が悪くなって起こる場合と、先天的に毛細血管の形状が一般よりも太い場合に起こることが多いと思います。
そして、こういう器質的な原因の場合にはレーザー治療とかビタミン入りクリームなどによって効果が見られることが多いと思います。
しかし、こういう器質的な原因ではなく精神的な原因、つまり緊張などで起こってくる赤ら顔というものも多いように思います。
これが赤面症ということになるのですが、この場合は、時と場合、その時の状況によって顔の赤さのレベルが変化するものなのです。
器質的な赤ら顔の場合でも、ある程度の変化はあると思いますが、精神的な原因で起こる赤ら顔、つまり赤面症の場合は、人前で緊張したりした時に顔が赤くなってくるものなのです。
そして、この場合には、いくらレーザー治療をしても、ビタミン入りのクリームを塗っても、思うような効果は得られないものなのです。
ですから、今、赤ら顔で悩んでいる人は、自分の状態が器質的な原因から来るものか、精神的な原因から来るものかの見極めをきちんとしていった方が良いと思います。
現在はインターネットの情報も充実してきており、小学6年生の9割がインターネットを使っているという新聞記事もありますが、それだけインターネット上の情報の重要性が増しているように思います。
しかし、残念なことに、赤面症や、あがり症といったキーワードでインターネット検索を行うと、まゆつばと思われるようなサイトが上位を占めているように感じます。
昔から民間療法で赤面症や、あがり症を治せるというものはありましたが、今はインターネットという新たな宣伝手段が生まれたため、いろいろなビジネスサイトが増えてきているように思います。
また、今は赤面やあがりの症状で精神科や心療内科を受診すると、SSRIなどの薬を処方されるだけで終わってしまうことがほとんどだと思います。
つまり、赤面症やあがり症も、うつ病と同じように扱われているのが現実なのです。
しかし、今までにも色々書いてきましたが、赤面症やあがり症は神経症から来るものであり、うつ病とは全く異なるものなのです。
ですから、いくら薬を飲んでも根本的な改善には結びつかないと思います。また、すぐにでも治るといった内容のインターネットサイトで勧めている方法でも、効果はあまり期待できないと思います。
これは私自身の経験から得られたことを書いているものですから、いくらか誤解や思い込みといった面もあると思いますが、少なくとも、赤面症やあがり症は、薬を飲んだり、本を読んだだけでは治らないものだと感じています。
私の場合は森田療法というものを学習し、実践を積み重ねていく中で赤面やあがりの症状を乗り越えることが出来たのですが、それでも、1年位の時間はかかりました。
幸い、私の場合は病院の薬を飲むことがなかったのですが、もし病院の薬を飲んでいたとしたら、もっと長い時間を必要としたのではないかと思います。
ですから、今、赤面に悩んでいるということであれば、安易な方法を選ばすに、森田療法のような確実な方法を選ぶようにしていった方が良いと思います。
幸い今は森田療法をベースにしたメールカウンセリングといったものもありますので、これも参考になると思います。
昔書いた詩をまた一つ載せます。
この詩は「しっぽをふらない犬」という題名になります。

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一匹の犬がいた
飯をやっても
しっぽをふらない
頭をなでても
しっぽをふらない
いつも
悲しそうな目をして
のそのそと
歩いている
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赤面症など人間関係の悩みを抱えていた頃、道ばたで年老いた犬に出会いました。
私はその犬を見ていて、ふと自分の姿を、そこに見たように感じたのです。
自分の辛さや寂しさに押しつぶされ、人から優しくされても、これに素直に応じられない、ある意味、傲慢な自分の姿を見たように感じたのです。

心に悩みを持っている時、人は誰でも自分のことで精一杯になり、人のことを考える余裕がなくなってしまうものですが、この自分本位の自己中心的傾向が、実はさらに赤面症などの心の悩みを強くしていたということに気付くことが出来ずにいたのです。

今、かつての私と同じような状況にある人もいるのではないかと感じ、あえて、昔の詩を載せてみました。