コンビニに車が突っ込み、巻き込まれた男性1名がお亡くなりになった。
大切な人を失った被害男性家族の悲しみや喪失感は、想像を絶するものであろう。
運転手(男性)には障害があり、警察での聴取の際も会話が難しいという。
障害児親である私が気を遣う大きなものの一つが、息子の行動が他者に、
そして本人自身に危害を加えることにならないかという面である。
体は大きくなり、力も強くなっていく。予想外の行動や言動を行うことも考えられる。
そこで危険なことや重大なアクシデントが起こさないか、それを心配しながら、
なるべく危険なことが起きないよう、細心の注意を払っているつもりである。
今回の加害男性の障害の具合等は分からないが、加害男性のご家族は
これまで様々な注意をしながら日常を送っていたと思う。
しかし結果的にそれが十分ではなかった。最悪の事態になってしまった。
少し目を離しただけかもしれない。鍵をすこし目につく場所に置いただけかもしれない。
それをしなければ…
「もっとしっかりしておけ。」
というわけではありません。正直、どの様な方策をとっても完璧にコントロールはできず、
健常家庭ならごく一般的な生活上の行動でも、まずい事態になることはザラにある。
そのたびに自分を責め、ああしとけば良かった、こうしなければ良かったと、
徹頭徹尾自分を責めて後悔する。
最もつらいのは被害男性を奪われたご家族というのはわかっている。
しかし、障害児親として、加害家族の気持ちが容易に想像ができてしまう。
だから、本当に胸が締め付けられ、苦しい。
ただ一点だけ。
果たして加害男性に障害があるという事を報じることには、意味はあるのだろうか。
いくら事故を起こしたとはいえ、氏名は公表されていないとはいえだ。
極端な言い方にはなるが、
「障害があるから事故を起こした。危険だ。」
と、過度に思わせてしまうのではないか。コントロールできないなら出すなという
方向に向いてしまうのではないか。
障害があると刑が…という事からの余計な悪意の発現を助長し得るのではないか。
相当なプライバシーである個人の特性を、同意なしに晒す必要はあるのか。
この辺りはいったん立ち止まってみてほしい。
では。