NIH(National Institutes of Health;国立衛生研究所)は、年間予算約3兆円、うち85%が全米の大学を含めた研究施設に支給され、全米の医学・生命科学研究費の約50%をまかなっています。
このNIHのグラント(助成金)は、極めて公正かつ厳密な審査(peer review)を経て各研究者に支給され、その競争的資金分配がアメリカのアカデミズムの根底を支えています。
NIH内部の研究所は、残りの15%、約4500億円の予算を持つ世界有数の大規模な研究所。ベセスダのメインキャンパスには18000人の従業員、5000人の研究者、3000人の留学生、400人の日本人がいるそうです。
NIHには27の研究組織があり、NIDCD(National Institute on Deafness and Other Communication Disorders;聴覚・伝達障害研究所)はその一つ。NIHの約1%の予算を持ちます。
NIH内の研究はグラントを獲得する必要なく、各ラボに分配される年間予算の中で行われることになります。その点、時間の多くをグラント獲得に費やさなければならない外部の研究室に比べ、比較的自由度の高い研究ができることになります。
もちろん予算は無条件に与えられる訳ではなく、4年に一度のpeer reviewにより、ラボの機能評価が行われて、適正な研究活動がなされているか審査を受けます。
たとえば筆者のラボだと、ボス(PI)1人、スタッフ1人、ポスドク4人、学生4人の10人構成。年間の予算は、人件費を含めて1億円を超します。この予算の中からPIは、自分の必要とする人材を雇うことができます。
筆者が来た当時にはスタッフ2人、ポスドク2人、テクニシャン1人、学生1人の構成でした。アメリカではテクニシャンもFTE(full time employee)となれば、かなりの高給取りですから、ポスドク2人分に相当したのでしょう。もちろん、極めて優秀な電顕のプロフェッショナルでした。
昨年当ラボで行われたpeer reviewでは全米および海外(イギリス)から3人の研究者が来て、ラボの機能評価を行いました。
peer reviewの予備審査として提出する原稿は、ラボの研究の方向性、過去4年間の成果、今後の展望と予備実験の結果を詳細にまとめたもので、約30ページにわたる小冊子でした。もちろん、これでもNIHの外部の研究室がアプライするグラント申請に比べれば随分簡単なものですが。
過去4年間の業績はpeer reviewで最も重視されるところです。一般的な基準として、筆者のラボの規模であれば、4年間にCNS (Cell, Nature, Science)などトップジャーナル、もしくは当該分野の一流ジャーナル(Neuron, JCBなど)に3本以上採択されることが条件になるそうです。
一定以下のランクのジャーナルは、数が多くても全くカウントされません。これはインパクトファクターの総合値で評価する日本のシステムと対照的です。たとえば、NeuroscienceのラボであればJN (Journal of Neuroscience)もしくは同等以上のジャーナルのみカウントされるようです。
では、reviewに失敗した場合にはどうなるか?テニュアトラック(終身雇用)の権利を持つPIの場合には、クビになることはありませんが、予算がつかず、スタッフのポストも奪われ、実質上研究の継続が不可能になります。非常に厳しいシステムです。
そして、4年に3本というのは最低条件で、理想的には一人の研究者につき3年に1本は上記のジャーナルに掲載されることが望まれます。実際、当ラボの過去の業績はそれを上回るのですが、これをコンスタントに続けていくことは容易ではないはずです。
もともとNIHでテニュアをとること自体、かなりの難関だといいます。それだけ、研究者にとって魅力のある職場なのでしょう。もちろん、給料自体は私立の研究施設の方がはるかに良いのですが、リソースと資金に関しては、世界で最も恵まれた環境だといえます。
ちなみにテニュアをとったPIには定年がありません。ですから、中には90才近いPIもいるのだとか。そこに至るには並々ならぬ才能と努力が必要になりますが、人生の最後まで最高の環境でサイエンスを続けられるのは、すばらしく幸せなことだと思います。
さて、そんなNIHで短いながらも2年半の留学生活を送ってきましたが、いよいよ明日が最終日になりました。お世話になった方々と、筆者にとってすばらしい修行の場であったキャンパスに、最後のお別れとお礼をしてこようと思います。