今日は少し重い上に、私的な話題になるのでつまらないかもしれません(・・;)
最近はよく人種差別のことについて考えます
少し前までは「世の中から人種差別を根絶したい!」
と考えていました。何の疑いもなく全員が考え方を共有できると信じていたからです。
ですが、そうは願っていますが、今ではそれが難しいことであると気づきました。
人種差別主義者には人種差別主義者の、非差別主義者には非差別主義者の考え方があり、価値観があります。
その価値観を根底から覆し、新たな価値観を植え付けるということは並大抵のことではありません。
それがあり得るためには、そうしても「洗脳」いわゆるマインドコントロールという形式をとることになります。
ここで、人の価値観を変えることがいかに難しいか、例をあげようかと思います。
実は皆さんももう体験されているかと思います。
「友人関係」がそのもっともよい例です。
まさに今日、僕は友人と遊びました。
友人との会話の中で、ある共通の知り合い(以下Mくん)の話になりました。
僕は過去に起きた出来事から、そのMくんのことが正直苦手で、憎いとすら思います。
ですが、友人のGくんはある程度Mくんに好意があります。
ここでMくんが憎い僕は、僕のMくんに対する価値観を共有したいと思いましたが、既にMくんにある程度好意のあるGくんの考え、価値観を変えるのは簡単ではありません。
なぜなら「Gくんは僕が受けたような経験をMくんから受けていないから」です。
みなさんにも過去を振り返るとこれと似たようなことがあったかと思います。
これはそのまま人種差別の問題にもあてはまります。
上の例で言うと、人種差別しているのは僕です。僕はMくんに対して「差別」をしています。
それは過去に僕がMくんから深刻な屈辱を受けたという「個人の経験」に基づいています。
ですが、また別の「個人の経験」を持つGくんは、Mくんに対して「差別」をしようとは思いません。
少し表現が過剰ですが、これが人種差別の背景です。
一方には一方の経験に基づいた考えがあり、その経験から受けた感情が大きければ大きいほど、差別の念は大きくすさまじいものになります。
さて、結局のところ僕が何を言いたいかと言いますと、「自分の価値観を他人に押し付けることはよくない」ということです。
今日のことは正直かなり反省しています。
誰かを「差別」するということは、喜ばしいことではありませんが、ある意味、仕方ないことでもあります。
なので差別をする人も、しない人も、価値観を相手に強要しないことで双方がいがみ合わずに暮らしていけるのです。
それではどうやって差別を減らしていくのか。
それが問題ですよね。
「自分は自分の信念を貫く」これが解決への糸口だと僕は思います。
確かに「相手に働きかけること」これは大事です。
過去にMartin Luther King, Jr. が行ったように、彼らの「黒人差別反対運動」はスピーチという形をもって相手に働きかけています。
決して相手に強要はしていません。耳を傾ける者に対して自分たちの価値観を共有してもらいたいと、言葉を送ったのです。
差別をなくしたいなら、自分の信念を行動で表わす、自分はその信念にとことん従う、それが一つの方法だと僕は思います。