「Stopします」,と言いつつ,ちょくちょく更新しているせいか,今でも時々チェックしてくれている方々がいるみたい。
ごめんなさいね。


いろんな人から,
「閉じるのはもったいない」
とか,
「続けろ」
とか意見を頂きました。


これから留学する人にすこしでも参考になることがあればいいとは思うけど,Blog形式と言うのは情報を探し出しにくいのが難点。
ウェブサイトを作って,メニューを作って情報を整理しておけばいろいろと利用しやすいとは思うけど,そんなことをしている暇がありません。
しかも,留学の情報はしっかりとしたサイトがいっぱいあるしね。

とりあえずこのBlogはこのまま放置することにします。


「続けろ」という意見に対してですが,大阪での生活をすでに書き始めました。
このBlog,元々は両親や友人たちに,自分たちのアメリカでの暮らしを紹介するのが目的で,Blogを通して自分たちが元気で暮らしている様子を伝えられれば良かった。
両親がBlogをチェックしてくれているおかげで,こちらから国際電話をかけて近況を報告する必要がなく,ほとんど電話をかける事がなかった。


日本に帰国したらいつでも電話できるから,Blogで生活ぶりを知らせなくてもいいよね,と思った。
でも,そう言えば日本にいた時も両親に近況報告の電話なんてした事はなく,帰省も年に1回とか2回とか。
学生の頃は帰らない年もあったりしたので,疎遠なのはアメリカに行こうが行くまいが関係ないことに気付いた。


なので,大阪での暮らしぶりもBlogに綴っておけば,両親は安心するだろう,と思い,Blogを続けようかな,と思っています。


ちなみに,帰国後の生活は,以下のリンク先から始まっています。

http://ameblo.jp/hiro-hokusetsu/day-20100929.html

お暇なら見てね。

Hiro


もう一つ,書き忘れていた事があった。

車を,僕の後任のY先生へ譲ることになったんだけど,そう単純では無かったので,一応記録として残しておくことにします。


僕が乗っていた車はHONDA ACCORD Ex 2002。
2008年に中古で購入。

最初はCraigslist というインターネット上のサイトに情報を載せて,個人売買をしようと思ってた。
でも,その後任のY先生が「買ってもいい」と言ってくれたので,彼に売る方向で話を進めました。

価格は,ケリー ブルー ブック (Kelley Blue Book;KBB)というサイトに,中古車で買う場合はいくら,売る場合はディーラー下取りならいくら,個人売買ならいくら,というような情報が細かく載っていて,アメリカではみんなそれを目安にしています。うちの車は,個人売買だと7500ドルくらい,ディーラーに売ると5500ドルくらい,とされていたので,間を取って6000ドルくらいで売れたらいいな,と思っていました。

金額については先方と合意が出来ましたが,問題は手続きです。
アメリカでは車の個人売買は盛んで,手続きは簡単です。
では何が問題かと言うと,僕が帰国してから彼がアメリカに行くまでに2か月以上のブランクがあるという点です。


車に詳しい人に聞いても,今回のような例は知らないとのことで,情報無し。
インターネットで調べても,人によっていろいろで,「出来ないらしい」とあきらめた人もいれば,「なんとかうまくいった」と言う人もいたり。


それで,とりあえずPennDOTという車の手続きを行う役所へ行って,聞いてみました。

「車を売りたいんだけど」
と言うと,

「○※△×○■●×※○」
何言ってるかわからない。
どうやらスペイン語訛りだといことがわかり,耳を切り替えてもう一度聞き返すと,

「売る相手はどこ?」

と言うので,

「今は日本にいて,12月にアメリカに来る予定」

と説明すると,

「それなら,売れないぞ。」
と言う答え。

どうやら,売り手と買い手がそのおっちゃんの所へ行き,目の前で譲渡の手続きをすればOKらしい。
インターネットでも同様な事が書いてあったので,一応納得。

それにしても,役所ってどうして愛想が悪いんだろう。
PennDOTは毎回いらイライラさせられる。
そう言えば2年前,車のナンバープレートを発行してもらいに行った時も,黒人のおばちゃんがわかりにくい発音の英語で喋ってきて,何言ってるかわからなかった。


とにかく,
「困ったなぁ」
という雰囲気でため息をついてNamiと顔を見合わせていると,その窓口のおっちゃんが,
「ここでは出来ないけど,どこかその辺のNotary(公証人)の所へ行って相談してみたら,何か方法があるかもしれないぞ」
と言ってくれました。


「その辺のNotaryって言ったって,知らんよ」

と思ったんだけど,Namiが以前,近所のスーパーのそばにある「AAA(トリプル エー)」という,日本で言う「JAF」のような車関係のサービスを扱っているお店から,車のナンバープレートを持った人が出てくるのを見たことがある,と言うことを思い出しました。


それでインターネットでAAAのことをちらっと読んでいた事もあり,とりあえずAAAへ行ってみることに。


外から見た感じ,とっても小さなオフィスだと思っていたけど,中へ入ると結構広くてちょっとびっくり。
受付のお姉さん(おばさんだったかも)に自分の状況を伝えると,担当者を紹介してくれました。

この時点でとっても親切で,ちょっと感動。
やっぱり役所とは全然違うねぇ,と思いました。

担当のお姉さん(50歳代?)に事情を説明したところ,あっさり納得してくれ,
「じゃあ,この書類を記入してください」
と,話が進む。

あまりにもあっさり話が進むので,
「あの,可能なんですか??」
とわざわざ確認したら,
「可能ですよ。」
と言う返事。

このお姉さん,神様に見えました。

「さっき,PennDOTでは,無理だ,って言われたんですけど」
と言うと,

「彼らはこういうことはやりたがらないのよ」
とのこと。

とにかく,何の問題も無く手続きが進み,手数料も数百円で済みました。


あとは,そのお姉さんに従い,僕とY先生との間で売買を済ませ,「タイトル」という書類と領収書を渡し,彼がアメリカへ行った際にそれら書類をAAAへ持って行けば良いらしい。


実は,


インターネットで調べていた時点で,ちょっと面倒そうだなぁ,と思い,個人売買はあきらめて,ディーラーに売ろうかとも考えていました。
ところが,ディーラーの見積もりは最大でも3500ドルと,ケリー ブルー ブックの価格よりも大幅に下回る金額でした。

僕がその価格に納得せず,返事を保留していたら,再び電話があり,4000ドルになったけど,それでもやっぱり安すぎるので,再び個人売買にチャレンジしてみたのでした。


うちの車,ディーラーが中古車として売る場合は9000ドル以上するらしい。
それなのに買い取りは3500ドル。
そりゃぁ,みんな個人売買に走るよね。



そんな訳で,何とか車をY先生に売れそうです。
現在,車はMarcが預かってくれていて,Marcの家の庭に置いてあります。
Marcが時々エンジンをかけて,アクセルを踏んでバッテリーを充電しておいてくれるらしい。


車のヘッドライト,パトカーに止められたおかげで新品に交換することが出来て良かったよ。
もし気付いていなかったら,Y先生が乗ってすぐにパトカーに止められていたかもね。
ラッキー。





帰国したので,これ以上Hersheyを満喫しようがなく,更新しようがないんだけど,いまだに毎日チェックしてくれている人がいるみたいです。

実は書き忘れていた事がいくつかあったのを思い出しました。



僕が住んでいた大学のアパート,僕の後任のY先生が住むことになりました。
実はこの件でもちょっとしたトラブルがあったのです。


「僕が9月末に出て,Y先生が12月に来るんだけど,彼が12月から僕の住んでいた部屋に入ることは可能か?」ということを,秘書のKrisに電話で確認してもらいました。
返事は,10月と11月の家賃を払えばOKとのこと。
ただ,一度クリーニングや壁の塗り替えをするから,家具類はすべて出してくれ,と言われました。

確かに,家具があったら邪魔だよね。
納得。


でも,Y先生にはうちのソファーやTVやダイニングテーブルを譲る(売る)ことになっているので,出来ればそういった大きな家具は置いたままにしておきたいなぁ,と思いました。
それで,2つある寝室のうち一方にそれらの家具を置いておき,その部屋以外のクリーニングと壁の塗り替えを済ませてから,家具類をもう一方の部屋へ移動させて,空いた寝室のクリーニングと壁の塗り替えをしてもらうことは可能かどうかを聞きに行きました。


アパートの管理オフィスには責任者のおじさんと,2人とおばさんがいます。
最初,そのおばさん2人に説明をしたんだけど,おばちゃんが奥から責任者のおじさんを呼んできました。
このおっちゃん,僕の質問にちゃんと答えず,
「原則は,退去時に部屋は空っぽにしてくれ」
と言う。

おっちゃんの言うことはごもっともなんだけど,僕の提案を受け入れてくれたら,面倒だろうけど,僕らはとっても助かるんだけど・・・

と交渉するが,なかなか「OK」と言わない。

おっちゃん曰く,
「もし家具を移動させている時に壊してしまったら,責任問題はどうなるんだ」
とか,

「とりあえず誰かに手伝ってもらってすべての荷物を出して,クリーニングが終わってから運びこんだら?」
と言われたけど,そんな場所が無いから交渉しているのだ。


するとおっちゃんが,
「一部屋にすべてを置いて,その部屋はクリーニングしなくても良い,と言うのなら,許可しよう」
という妥協案を示してくれました。


本当は全部屋クリーニングして欲しいんだけど,これ以上無理は言えないので,それで手を打つことにしました。


この交渉では,実はかなりイライラさせられ,初めて英語で強い口調で口論しました。
だって,質問と答えが合っていないんだもん。
「だからー,僕が聞いているのはー,」
と,イラついているのがきっと相手にも伝わったと思う。


それで,おっちゃんが,
「何を置いておきたいんだ?」
と言うので,
「ソファーとかTVとかテーブルとか・・・」と言う会話をしました。

この時は,この会話が後でトラブルの原因になるとは思ってもみなかった。



その後,荷物を整理するうちに,食器やカーナビやプリンターなど,Y先生に譲る物を箱に詰めると結構な数になることがわかりました。それで,うちの秘書さんに,
「アパートの管理人に,ソファーとかを置くついでに食器等も置いておいてもいいか聞いてくれる?」
と頼みました。
この前ちょっとしゃべった時に,管理責任者のおっちゃんがちょっと気難しそうだなぁ,と感じていたので,念のため確認しておこうと思って。


するとその秘書さんは,「そりゃぁ,当然大丈夫よ。聞くまでも無いわよ。一応,すぐにメールして聞いてみるわ」
と言う返事。
僕もそう思った。

その後,うちの秘書さんとアパート管理のおばちゃんとの間で話し合いが行われ,僕が誓約書みたいなものを書いて,管理責任者のおっちゃんにメールで送ることになりました。
文面は秘書さんが例文を書いてくれて,それをそのままコピー&ペーストすればいい,とのこと。
要するに,いきさつが文章で記録として残るように,という配慮。

その指示に従い,メールを作成し,管理責任者のおっちゃんへ送信。
秘書さんから,
「責任者の人から返事が来たら,転送してね」
とのメール。



ところがその後,事態は急変。
管理責任者のおっちゃんがへそを曲げました。

「この前の話ではソファーとテーブルとTVの3つだけじゃなかったのか?このメールでは,他にもいろいろ増えてるじゃないか?」

と言う,ちょっとただ事では無い雰囲気の返事。
僕はこれを警戒したから,秘書さんに確認を取ってもらったのに。

このメールをとりあえず秘書さんへ転送。


秘書さん,この返事は想定外だったようで,慌ててアパート管理のおばちゃんへこのメールを転送し,指示を仰いだ。

秘書さん,アパート管理のおばちゃんに,
「私たちの考えが甘かったみたい。Hiroはこんな結果を望んでいないわ。Hiroはとっても礼儀正しい人で,こんな結果になってきっと気が動転していると思うわ。どうしましょう?」
とメールするも,アパート管理のおばちゃんも焦って,どうしたらよいかわからない様子。

秘書さんとアパート管理のおばちゃんのメールのやり取りを見ていると,おばちゃんが,
「今,彼(責任者のおっちゃん)は予算の事でイライラしてるから,話しかけられないわ」
とか言っていた。

どうやら,アパート管理人のおばちゃんたち,責任者のおっちゃんが怖いみたい。


「これは,このおばちゃん達にこれ以上頼っても無駄だな」
と思い,責任者のおっちゃんに直接メールをすることにしました。

「最初の会話の通り,テーブルとソファーとテレビの3点しか置かないので,最初の案を許可してください」
と。


結局,これで事態は収拾。


でも,おかしいでしょ?
どうせ家具を置いた部屋はクリーニングしてくれないんだから,他の荷物を置いたって構わないと思うんだけどなぁ。



仕方ないので,テーブル,ソファー,テレビの3点以外の物はすべて実験室へ運びこみました。
その代わり,実験室に持っていって邪魔になりそうな大きな台や照明スタンドなんかは,譲る予定だったけど,処分しちゃいました。
結局車で3-4往復して運んだので,Y先生が実験室からアパートまで運ぶのも結構大変かも。



退去時,リビングに置いてあるテーブル,ソファー,テレビを寝室に移動させたんだけど,テレビ以外は大きくてドアを通らないので,バラしてから寝室に運び入れました。


寝室で元通り組み立てようかと思ったんだけど,どうせ寝室から運び出す時にバラさなきゃいけないので,組み立てずにバラしたまま放置して来ました。
合計6パーツになっています。

実は,責任者のおっちゃんが,
「3つじゃないのか?」

と言ったことに,ちょっと反抗したかったのです。
帰国当日,H家のS君が早起きしてくれて,ちょっとだけ「ベイブレード」というベーゴマのゲームでいっしょに遊びました。
Zちゃんが朝ごはんを作ってくれて,感激。
時間が無いので急いで食べて,H家のみんなとお別れをし,7時半過ぎにH家を出発。

車は,これも僕の後任のY先生へ引き継ぐことになり,Marcが預かってくれることになりました。
なので車はすでにMarcの家に置いてあるので,僕は空港でレンタカーを借りて,当日の朝に空港で返す予定。


うちの研究室のポスドクJが産休で休んでいてずっと会えなかったので,空港へ行く前に立ち寄って,お別れをしてきました。


実は昨年夏の一時帰国の際に,空港まで送ってくれる約束をしていたDaveさんが待ち合わせ場所を間違えたために僕らは急きょ自分の車で空港まで行き,出発の直前に空港に着いたものの,チェックインが閉め切られていて,違う便で帰国した, という経験があったのです。
なので,今回は早目に空港へ着くよう心がけていました。

ところが空港へ着く直前で急に車が渋滞しました。
「やばい,これじゃぁ,昨年の二の舞だ!」とかなり焦りましたが,幸い空港へ行く道路は渋滞していなかったので,それ程遅れずに空港へ到着。

空港へは出発の1時間以上前に着いたかな。
レンタカーを返却し,チェックインカウンターへ。

「これでもう安心だ!」
と思いました。


ところが,ここから突然ドタバタ劇が開幕してしまいました。



預けるスーツケースの重さを測ったところ,1個目はギリギリOK。
ところが2個目以降がすべて重量オーバー。

実は,日曜日に何度も計測して23キログラム以下に抑えていたんだけど,月曜に実験室から見つかったいろいろな物を詰め込んだために,4つ中3つが重量オーバー。
しかもそのうち1つはめちゃくちゃオーバー。


朝早くからチェックインカウンターの前でスーツケースを開けて荷物を詰め替える日本人2人。
他人の目なんて気にしてる場合じゃない。
手荷物のリュックに入りそうな物を出したり,捨てられそうな物を探したり。

でも手荷物を多少増やしてもどうにもならないくらいオーバーしていて,チェックインカウンターのおっちゃんに,「追加料金が800ドルくらいになるぞ」と言われました。

今更どうしようもないので,追加料金を払うしかないかなぁ,と思っていたら,その係のおっちゃんが,
「重量オーバーで行くよりも,荷物の数を増やした方が安く済むぞ」と提案してくれたので,オーバーした分を詰め合わせてもう一つの荷物を作ることにしました。

「チェックインの締め切り時間まであとどのくらいありますか?」と聞くと,「20分」と言うので,僕は大きなバッグを買いにギフトショップへ走りました。

でも,残念ながらギフトショップにはエコバッグ程度の小さなバッグしか置いていない。
仕方なくその小さなバッグを買いました。
すると,レジで支払いを済ませた頃にNamiが走ってきました。

「チェックインカウンターのおっちゃんが,廃棄になる古いスーツケースをくれるらしい」
と言うのです。

おっちゃんが,「このスーツケースをあげるから,彼を追え!」と言ったらしく,Namiが走って僕に知らせに来ました。


このスーツケース,とんでもなくぼろぼろだったんだけど,新品の小さなエコバッグよりはマシ。
急いでオーバーした分の荷物を詰め込むと,ちょうど23キログラム。

このスーツケースは歪んでいて鍵が壊れて閉まらないので,おっちゃんがビニールのテープでぐるぐるぐるぐる巻きにしてくれ,なんとか無事にチェックインが完了。

23キログラムのスーツケース1個追加で,追加料金が200ドルで済みました。

僕が実験室の後片づけを後回しにしていたのが悪かった。
まさかそんなにたくさんいろんなものが残っていたとは。


このドタバタで僕は汗びっしょりになり,ギフトショップでPennsylvania州Tシャツを買って着替えたよ。



最後の最後までドタバタした帰国でした。


その後は,特にトラブルも無く,スムーズに日本へ帰国しました。


皆さん,引っ越しは余裕を持って準備するように!

引っ越しの達人からのアドバイスでした。


25日(土)の夜にマイアミから帰って来て,パトカーに止められ,日曜は朝から車の修理。
それから急いで引っ越しの準備。

日本へ送る荷物は,実は8月中から準備を始め,9月の第2週に発送しました。

Hersheyをちょこっとどころかなんまら満喫中
今回利用したのはOCS という会社。



ここは航空便で荷物を送ってくれるので,早いです。
荷物が少ない場合,●ネコさんとかよりも安めだし。

日本からアメリカへ来た時は,段ボール箱2箱分の荷物をアメリカへ送ったけど,帰国時には10箱に増えた。
本を何冊か買ったし,服もいろいろ買った。
Namiは電子ピアノを持って帰ると言うし。


家具や食器などは僕の後任のY先生が引き受けてくれることになっているので,すべてをとりあえず実験室の片隅へ詰め込みました。
ちなみにY先生は12月からHersheyでの生活をスタートさせる予定らしい。

ソファーとダイニングテーブルとMarcからもらった古いTVは大きいので移動させるのが大変なので,そのままアパートへ残すことにしました。
実は,アパートも僕の後任のY先生が引き続き住むことになったのです。

「じゃあ,食器とかも全部置いておけばいいじゃん」って思うでしょ?
でも,それが出来なかったのです。

この事件については,また後で書きます。
長くなるので。


とにかく,昨日までマイアミに行っていたので,帰国時に持って帰る荷物のパッキングや,最後の後片付けが全然終わっていない。

捨てる服や食材や調味料など,10袋以上ゴミ袋を作って,何度もゴミ捨て場へ行ったり来たり。

Hersheyをちょこっとどころかなんまら満喫中
国際線は一人2つまでスーツケースをタダで持ちこめるけど,1個当たりの重量が約23キロまで,という制限があります。
2年半前にアメリカへ来る時はそのことを知らず,空港で「重量オーバーです。」と言われ,追加料金を支払わされたので,今回はちゃんと重さを量り,4つすべて23キロ以下にしましたよ。
何度もスーツケースを抱えて体重計に乗ったよ。


帰国前日の27日月曜は,午前中はケーブルテレビの解約や,銀行へ住所変更の手続きに行き,アパートのオフィスへ鍵を返して最後の家賃を支払って引っ越しの手続きを済ませました。

鍵は返したけど,実はまだ後片づけが終わっていなかったので,Namiは午後から家の後片付け。
僕は実験室の後片付け。

午後3時からJournal Clubへ出席し,一応みんなへお別れの挨拶。

Hersheyをちょこっとどころかなんまら満喫中
彼女は我々のグループの秘書のNさん。
とっても親切にしてもらいました。


夜は,先日のBlogにも書いたようにHersheyの日本人の方たちと夕食を共にした後,僕は再び実験室の後片付け。自分の机の引き出しやキャビネットからもいろいろと荷物が出てきた。

結局,夜12時にすべての後片付けが終わりました。



Hersheyをちょこっとどころかなんまら満喫中
2年半,快適に暮らせました。

Hersheyをちょこっとどころかなんまら満喫中
結構住みやすかったので,出て行くのが名残惜しい。



自分たちの家は撤収が完了したので,夜はH先生のお宅に泊まらせていだたきました。
12時過ぎたにもかかわらず起きて待っていてくれて,最後にビールを飲みながらお話をすることが出来て,とっても楽しかった。


そして,帰国当日のドタバタ劇へ続く。





今日,10月1日から日本で働き始めました。

詳しい事は後日書くことにします。


日本での就職先が決まったのが9月1日。
それからの1ヶ月,特にラスト2週間は過酷だったけど楽しかったよ。


あと1-2回,帰国直前のドタバタ劇を書いて,このBlogをストップしようと思います。


そう言う訳で,2年半のHershey生活,本当に満喫しました。
僕らのアメリカ生活を支えてくれた友人たちに本当に感謝します。

昨日も朝からどたばた。

マイアミ出張のお土産を秘書さんへ持って行ったり,レシートを提出して立て替え払いの返還手続きをしたり,2010年秋 第一回目のJournal Clubがあったり。その間,ポスドクAはあっさり実験を失敗して途方に暮れていた。


夕方からもいくつか用事をこなし,夜は同じ職場に勤める日本人研究者T先生夫妻とH先生ご家族と近所のイタリアンレストランで食事をしました。


T先生とその奥さんはフロリダに住んでいたし,H先生ご一家も今年の夏にフロリダのディズニーワールドへ旅行に行かれたので,フロリダやマイアミのことをいろいろ聞いたりできました。



夜中はH先生宅で3時過ぎまでビールを飲みながらおしゃべり。
最近,月一回のペースでH先生宅で夜遅くまで飲み会をするのがとても楽しい。
いつもはお子さんのS君と遊ぶのが楽しみなんだけど,今日は開始が遅かったのでS君は寝ちゃってて,一緒に遊べなかったのがとても残念。



それにしても,今月の異常な忙しさは何なんだ叫び



来月も忙しいのだろうかべーっだ!!?
今日の夜は同じ職場に勤めるU先生に誘って頂き,ご自宅で夕食をごちそうになりました。
U先生宅へお邪魔したのは,昨年の夏にHersheyを去ったI先生とK先生の送別会を行って以来なので,1年3カ月ぶりかな。

この1年の間にお子さんたちが大きくなっていたり,大きな犬が家族に加わっていたり。

U先生の奥さんは料理がとてもお上手で,和食がコース料理のように出てきて,とてもおいしかった。

U先生のご専門は肝臓移植で,肝臓移植についていろいろお聞きすることができ,とても勉強になりました。
肝臓機能の自律神経性調節はあまり調べられていないので,研究対象にいいかも。

またしても夜遅くまで話し込んでしまいました。



U先生と奥様,ごちそうさまでした。
また誘ってください!




今回のマイアミ・ビーチへの出張は,車をハリスバーグの空港の駐車場に停めていました。

昨夜,飛行機でハリスバーグへ戻り,車で家に向かう途中,後ろにパトカーがついてきました。
赤や青のランプをくるくる光らせていたので,

「まぶしくて運転しづらいなぁ」
と思いながら運転をしていました。


僕は速度違反もしていなければシードベルトもちゃんと着用していたので,

「僕じゃないよね?」
と思いながら運転を続けていたんだけど,パトカーはぴったり僕に付いてくる。


「えっ,もしかして僕?」
と思いつつ,

「もし僕が何か悪い事をしたのなら,「前の車,止まりなさい!」」くらい言うはずだ!」
と思い,しばらく無視して走っていました。


すると突然,「ウウーッ」とサイレンが鳴ってランプがさらに派手に回り始めたので,

「やっぱり僕か?」
と思い,とりあえず車を路肩へ寄せて止まりました。


アメリカでは,警察に車を止められたら,手をステアリングホイール(ハンドル)の上に乗せて警官の指示に従わなければいけません。
勝手に車から降りたりすると,警官は自己防衛のために銃を使用するかもしれない。



手をハンドルの上に乗せて待つと,警官が近寄って来て,言いました。



「ヘッドライトが片方切れているけど,知っていましたか?」


そっかー,切れていたかーー。
マイアミへ行く数日前は切れていなかったんだけどなぁ。


とりあえず,
「いや,知りませんでした。」
と答えると,


「身分証明書と車の登録証と保険証を見せてください。」
と言われました。


これらは普段はすべて車内に置いてあるんだけど,今回はマイアミでレンタカーを借りるために自分の車の保険証が必要だったので,すべてじぶんのリュックに入れてあり,そのリュックはたまたまトランクへ入れていました。


「すべてトランクの中です・・・」


許可を得て車から降り,トランクを開けてリュックの中から必要な書類を出して警官に見せました。


すると,


「今回は警告だけにしておくから,すぐにライトを修理しなさい。それと,これらの書類は車内へ置くように。」
と言われ,解放してくれました。

いやー,優しい警官で良かった良かった。



そう言う訳で早速今日,ヘッドライトを両方新品に交換して来ました。

ライトが片方切れていただけだったので今回は見逃してくれたけど,スピード違反や信号無視だったらそうはいかなかっただろうな。



実は4月に学会でアナハイムへ行った際,やはりレンタカーでロサンゼルス市内を運転中,パトカーに止められました。この時は一方通行の道路とは知らずにUターンした瞬間にパトカーが現れ,警官が,

「ここは一方通行だからUターンしたらダメだよ。」
と一言注意して去って行きました。

いやー,優しい警官で良かった良かった。



それにしても,パトカーがランプを点灯させたら止まれの合図だとは知らなかった(免許を取る際に勉強したかもしれないが,忘れてた)。
しばらく無視して走っちゃったよ。

パトカーが後ろについてランプを点灯させたら,きっと逃げきれないので,潔く止まりましょう。


無事故・無違反のHiroより。
今日でシンポジウムは最終日。
毎日いっぱ勉強しました。

西に沈む夕日をキーウェストまで見に行ったので,今朝は東から昇る日の出を見にビーチへ。

Hersheyをちょこっとどころかなんまら満喫中
おっ,すでに日が昇っちゃったのかな?と思いつつ眺めていたら,

Hersheyをちょこっとどころかなんまら満喫中
少しずつ空の色が変わり始め,

Hersheyをちょこっとどころかなんまら満喫中
日の出を見ることが出来ました。


Hersheyをちょこっとどころかなんまら満喫中
なかなかきれいだったよ。

朝食後,再びビーチへ。

Hersheyをちょこっとどころかなんまら満喫中
波は荒いけど水はきれいで,それほど冷たくはなかった。

Hersheyをちょこっとどころかなんまら満喫中
泳いでいる人,散歩している人,日焼けしている人たちのほか,釣りをしている人もいました。

Hersheyをちょこっとどころかなんまら満喫中
ビーチを南へ向かってしばらく歩くと,観光客がいっぱいいるビーチが見えました。


Hersheyをちょこっとどころかなんまら満喫中
1時間半くらいビーチを歩いたら,さすがに日焼けしました。




昼過ぎに学会会場を後にし,夜10時に帰宅しました。


今回,初めてのマイアミでしたが,まだまだ見どころはたくさんあるので,また行きたいな。