今日の深夜に、2008年に自分が書いたブログ記事を読み返していました。


時が経つのは早い。残酷でさえあります。


最近、想像力が減ってきているとおもいます。まさか、自分の日記から刺激されるなんて思いもよらなかったです。


おもろい文章があったのでもう一度載せてみます。






『真夜中の妄想家 ヒロ』



地球上の人間以外の生き物は、まさか人間によって、生命、又はその種の存続が左右されているとは、夢にも思ってないだろう。







同じように、人間も、何者かによって、種の存続を左右されているとは、きっと夢にも思っていない。人間は人間によってのみ、種の存続を左右できると思っている。







でも実は、誰か、何者かによって人間もまた生かされているのである。













それが、所謂(いわゆる)神である。













そして、皆さんご存知ないだろうが、実は、神も複数いて、人間と同じように神同士で争って、また、人間と同じような絶対的な思い上がりを持っている。

だが実のところ、その神の存続の有無さえも、また別の何者かによって左右されている。

神は、人間と同じように、やはりその事に気付いていない。

神の存在を左右する者。









それが、その正体が、





実は、、



















蟻(アリ)なのである。















正確に言うと、蟻やその類の、取るに足らない、小さな生き物なのである。

人間や神には見えていない大きな力で、神の生死を握っているのである。

















素手で、ライオンに勝てる人間などいないが、人間の力でライオンを絶滅させることは出来る。

腕力の優劣ではないのだ。











しかし、その事に、自分より強い者がいる事に、ライオンは気付いてはいない。















人間も気付いていない。



また、神も、蟻も、気付いていない。



各々の視野でしか、見れないからである。













人間が、無意識に蟻を踏んで殺すように、神も人間を無意識に殺すが、殺した事に気付いてすらいない。



だが、蟻もまた、神を殺した事に気付いていない。









また、たまに、人間が気まぐれで蟻のような小さな生き物を助けてやったりする。



神も、たまに、気まぐれで人間を助けてやったりする。



また、同じように蟻もたまに、気まぐれで神を助けてやったりしている。











蟻は一匹だと、なんともかわいらしい生き物だが、群れると気味が悪い。



人も群れると気味が悪いものがある。確かに気味の悪い何かが、ある。







神も一緒である。



群れると気味が悪い。



釈迦やキリストが群れてたら、気持ち悪い。













みんな、一匹だとかわいいものである。

























僕らは、神に祈るように、動物や植物や蟻に祈ったっていいんだと思う。