平魚泳旅日記 -2ページ目

平魚泳旅日記

タイコを叩いて、笛を吹いて、ウクレレ弾いて、歌う人。
平魚泳(ひらさかなおよぐ)の徒然日記。

アメブロ、ホームページからもツイッターからの連携も外しました。
平魚1番公のブログのつもりなのに
1番読まれてる感じがなくて
1番おざなりにしてたけど、
なんか…
新しくやり直したい。
もちろんアメブロからも離れようかな思ってる。
僕にお知らせ来ても何を知らせたいのかわからん。
芸能人がどうしたとか
何の芸の人かも知らんで彼らの暮らしに興味ないし。

ただほんと
ネガティヴな本音を言いたい!

歌が歌えない。
ライブがない。
歌は歌いかける人がいないと
歌う必要ない。

届けたくて。
聴こえないのかな?
と、出来ることをがんばって。
はっきり聴こえるように。
音程が怪しくて聴いてて心地悪くならないように。
届けるために。
届けるべき言葉を
削ぎ落として削ぎ落として、、

機会が消えてゆく。
意欲も消えてゆく。

歌う機会を作るために
やらなきゃならぬがたくさんある。
人づきあい。アピール。アプローチ。

音楽ではない。

でも音は独りでそれなりに鳴らす意義あるが
歌は、声は、一人じゃ要らない。

誰かに届けたいから言葉を綴る?
自分の整理に日記でもノートに書く?

これは何だ?
この僕はなんだ?

存在。
存在は僕のエゴ、個性。
誰かがいるから僕がいる?

闇はどこへ行った?病みはどこへ行った?

闇に囚われ留まる気はない。
ただ闇が在るんだ。
気のせいだけど在るんだ。

僕は僕として
何処へ行こう?

歌の意義を見失って、
誰の歌にもときめかなくなって。
それでもしがみつくアイデンティティ。

たしかに山で大きな声でまことのりを歌うのは、
歌わないでいると、いるからこんな闇が深くなる。

身体を動かせ。ちのみちとおせ。

歌いたい。踊りたい。
音楽で在りたい。

機会がほしい。
機会に乗りたい。
そのときに乗りこなせる肉体と魂で在りたい。
しかし…
それはいつだ?

「〜しないといけない」
ついついそう表現して
やりたいことでもやりたくないことでも言ってしまう。
「〜しないと…」と言って
外の世界から求められてるからやるんだよって、恥ずかしながら自分を分析するとそんな気分がまじってる。

「〜してこそ良い」
韓国語ではこういう表現の方が普通の韓国語らしい。
「しないといけない」
否定を重ねる日本語。
「してこそ良い」
肯定を重ねる韓国語。

「仕事しないといけない」
「仕事してこそ良い」
仕事しない人を否定するわけではない。
仕事しなくても良い。