2022年7月15日母が他界した。
4年半癌と闘病して、最後は早かった。

 

月曜日に妹が届けたお赤飯をぺろっと食べたのに
火曜日に病院から電話がかかってきて、もう少しだろうからすぐに来てほしいと言われて、東京から母が入院する病院に向かった。
コロナ中で面会謝絶なのに、「すぐ来てください」と、急に呼び出し。

 

病室について、「来たよ。わかる?」というと、
「わかるよ。」といったのが最後の会話になった。

 

延命措置は希望しないという本人の意思で、
金曜日には全身にがん細胞がいた肉体から自由になった。

 

***

 

目の手術後の生活フォローで私がたまたま一緒にいた一週間のうちに、
癌が下半身を動かすリンパのところを圧迫して、動けなくなり、
寝たきりになった。

昨日も外来できた病院に救急搬送してもらった。
「歩けなくなってきてるから見てほしい」
と、本人が主治医に訴えたのに、その時は
「まあ大丈夫でしょう」と家に返されて、その次の日やっぱり歩けなくなって、救急車にお世話になって入院させてもらってた。

大学病院だと、治療の術がなくなった患者は長くは置いてもらえなくて、
1ヶ月ちょっとして別の病院に転院した。

一人で生活できてて、介護が必要なほどじゃなかったので、
(私を駅まで迎えに車で運転もできたりしてた)
急に歩けなくなった時の救急車も、地域のヘルパーさんに電話して、
きてもらって、救急車手配をしてもらい、
転院が必要な時も、自分で「この病院にする。」と
東京からもアクセスの良い病院を選んで自分で転院手続きをし、
転院する介護タクシーも自分で手配した。

転院に家族として同行したけど、
何年も入退院を繰り返し治療をしてたので、病棟の有名人で、
みなさんに最後の別れを
「こんなにみんなに知られてるの?」と思わず声がでるぐらい、
大勢にお見送りいただいた。本当にお世話なりました。

寝たきりなのに、頭はしっかりしてたし、意思も本当に強い母でした。

 

***

 

命の時間が本当にあとわずかになった時、
「在宅ケアにしない?」と聞いたら、
「あんたたちが大変だからやめて。」とお答えいただいた。

 

母が暮らしてた家も受け入れられるように場所を用意したり、
私もそれなりに覚悟して提案してみたのに、
本人の希望はそうはならなかった。
即答で却下でした。

 

母が自分でつくった、心地よい環境も良い家なのに。


妹は医療関係者だし、私は建築関係で「在宅ケア」向きの姉妹だと思うのに、母の死にたい場所の選択肢が自分の家じゃなかった。

 

父も母の半年後に他界したけど、ずっとお世話になってた施設でだった。
父は家より施設や病院が好きなので、だいぶ本人に合った死に方だった。

 

住んでた家で死ねたのは母が死ぬ前年に他界したワンコのみ。
前日まで散歩してたし、母が看取れたし、
お別れの日、亡骸を手を繋いで私は眠った。

 

***

 

母がいなくなってあっという間に2年経つけど、
「また何か面白そうなことやってるね、よくわからないけど。」
肉体から自由になって、ふわりとみててくれてると思う。

 

死をみつめることは生きること。


「この家で死にたい」と思えるような家がやっぱり良いし、
【おうちづくり】のひとつの大事な指標だと思う。

そんな暮らしの場づくりをしていきたい。

最後までお読みいただきありがとうございました。