私の家のベランダからは、ある中学校の校庭が見える。

以前住んでいた場所が、通りに面していたのだが
向かいのビルの一階にバーがあって、しかもちょっとしたテラス席もあるもんだから、夜になるとすごく賑やかで眠れなくなる事もしばしば。
なので静かな場所がいいと、学校の近くに引っ越した。

もう365日、毎日のように誰かしらのハッピーバースデーの歌を聴いていた。
年明けには、「誰が一番大声出せるか選手権」でもやっているかと思うほどの「ハッピーニューイヤー!!」が飛んできたりもした。

ただ、人は慣れる生き物の様で、二年目からは不思議と「うるさい」などと思わなくなった。
なんなら夜中の0時になったのに「ハッピーバースデーの歌」が聞こえてこないと、ちょっぴり寂しくなったりしたし、
「ハッピーニューイヤー」に関しては、便乗して部屋の中で密かに混ざってお祝いさせてもらうようになっていた。(なんだか物凄く寂しい年越しだなこれ)

まあそんなわけで、学校の近くに越してきたわけだが盲点があった。
たしかに夜はびっくりするくらい静かだが、逆に朝はびっくりするくらい賑やか。

学生生活を終えて15年以上の歳月を過ごした私は、
学校には部活動があって、しかも朝練なるものまであることを失念していた。

私の生活は、野球部の独特な掛け声で目を覚ます日々に変貌を遂げた。
健康的な目覚めであるとも言えるが、最初の方は毎朝げんなりしていた。

ただ人は慣れる生き物なのだ。

ゲンナリしていたはずの「朝から大声」に、逆に元気を貰えるようになった。
仕事で悩んでいても、今を全力で生きる学生の声を聴くとパワーをもらえるのだ。

慣れすぎて体育祭で放送部が、マイクを使って爆音で「赤組○○点、白組○○点。白組ガンバレ」と棒読みだった時なんかは、
「もっと感情を込めて臨場感を大切にしなきゃ」と家の中で独り、ダメだししたりなんかするものだから、私という人間は厄介だ。

慣れると不思議なもので、声だけでもその人物が把握できるようになってしまう。
野球部で甲高い声を出しながら、走り回ってた子が翌年には変声期を迎えていたり、その翌年には後輩を引っ張っていたり、
まるで親心のように感慨深さを感じることがある。

きっと頭もよくエース的な子だろうと思ってた子が、ある日監督に暴言と言い訳を放った時は、
部屋の中で「そりゃいかん」と無意識に声を出すほど私生活と結びつきあるものになっていった。

ちなみに暴言を吐いた子は、その直後監督にハチャメチャに怒られていた。あまりに烈火のごとく叱るもんだから、私まで胃が痛くなってしまった。

今くらいのシーズンは毎年、大縄跳び大会の練習を全校生徒で代わる代わる行っていた。
部屋で台詞覚えしながらも、連続50回飛びを達成した組があったら作業を中断して、小さく拍手したりしてた。

早くあのエネルギー溢れた声たちと再会したいものだ。

ありがとうございました。