意地を張りすぎて大やけどをしたことはあるだろうか。
この質問をする時点で私は確実にあるわけですが。

「意地を張る」って悪い方面だけの言葉じゃないとも思う。
意味を調べると「頑固に自分の考えや行動を押し通そうとする」と出てきて、悪い印象ですが、
頑固になるほどこだわりや信念があるってことだし、行動力もすごいあるって解釈する事もできる。
大切なのは人と対峙した時に、感謝と謙虚を持ち優しさを忘れないことだと思う。

私の場合、お芝居をする上で貫き通さないといけない意地もある。
柔軟さも考慮した上で意地を張ってみる。するとさらに深みへ行けることもあったりするのです。

ただ年を重ねるたびに意地を張ることが少なくなった気がする。
意地を張ることに元気を使うより、他の可能性への探求に「頑を張った」ほうがいい。

昔は何故あんなにも意地を張ってしまうことが多かったのだろう。
絶対いいことないってわかってて、なお突き進む様は、まさに飛んで火にいる夏の虫。

十代の終わりからハタチにかけて訪問販売の営業をしていたことがある。
色々な業種を経験したいという思いから飛び込んでみたのだが、その難しさと奥深さに慄き、
アルバイトも含めて最短で挫折してしまったお仕事。

ピンポンを押して、初対面の方相手に、1~2時間のプレゼンで買う予定じゃなかったものを買っていただく。
今考えても難しい。
この時期は毎朝、毎晩頭を抱えて、どうしたら販売実績が伸ばせるか悩みに悩んだ。
営業心理学や対話法など勉強してもうまく使いこなせず落ち込む日々でした。
行動に昇華できない知識の軽薄さを、まざまざと実感させられた日々ともいえる。

ある日、営業所のある横浜から30キロくらい離れたおうちにアポイントが取れ、希望時間である夜にお伺いした。
購入を悩むお客様を前に、経験が浅かった私は引き際がわからず粘りに粘った。
それこそ時間を忘れるほどプレゼンした。
その熱意が伝わり、見事契約成立となって喜ぶ私は気づく由もなかった、そのあと訪れる悪夢を。

仕事が終わり最寄り駅まで歩いて愕然とした。終電が終わっている。
平日ダイヤで調べていたのが迂闊だった。その日は日曜日だ。
上り電車は終電が早く、23時過ぎには終わってしまうのだ。

駅の周りはのどかな自然が広がり、ポツンと光る一軒のコンビニ以外、お店は皆無。
野宿という単語が頭を過ったが、知っての通り潔癖よりの私には土台無理な話である。
タクシーも通らないし、何よりタクシーに乗るなんて当時の私からしたらとんでもない贅沢で現実味がなかった。

若さという武器に甘えていたのだろう、その時の私は「よし、歩いて帰ろう」と気軽に決意してしまった。
最寄りの大きい駅まで歩いて、始発までネットカフェで過ごせばいいものを、この時の私はいささか単細胞が過ぎた。
スニーカーならまだしも、がっつり革靴という事を考慮する頭はなかった。

小一時間歩くと、それこそ朝まで時間を潰せそうなお店がたくさん出てきた。
しかし私は決めてしまっていたのだ、「歩いて帰る」と。
柔軟さの欠片もない頑固さに想像力の欠如。

案の定、10キロを超えたあたりから靴擦れで足が痛み出し、クッション性0の革靴で関節も悲鳴を上げる準備を始めた。

でも決めてしまっていたのだ「歩いて帰る」と。

残り4駅、(と言っても都会と違って一駅の区間が遠いので、まだまだ距離はあるのだが)
足が疲労骨折するんじゃないかくらい痛くなっており、歩みも亀のようにノロノロとしたものになっていた。

その時、線路沿いを歩いていた私をあざ笑うかの如く、颯爽と始発電車が駆けていった。

普通は次の駅で電車に乗りますよね。というより普通ならそこまで歩かない。
しかし何度も言うが当時の平野は決めてしまっていたのだ。

「歩いて帰る」

なんとも生産性のない意地を張り続けたものである。
ここで辞めてしまえば、今まで歩いた全てが無駄になると思い込んでいたのだろう。

ご想像の通り、家にたどり着いて泥のように寝て起きたら、高熱が出ていました。

この一日にタイトルをつけるのならば、
「意地を張りすぎると火傷するという事を、身をもって体感した日」だろう。
何とも情けないタイトルだ。

なんだか最近、病弱エピソードばかり書いているが、病弱なほど慎重になるもので最近は頑丈ですよ!!
過ちを犯し、人は成長するのです。

最後までお付き合い、ありがとうございました。