ひらく(悲楽)です!あきらメールをこのブログを通して配信しているつもりでいながら、苦シミ、悲シミ、壁のシミである自分がちっとも消えないのはなぜでしょうか?

 私は、いやあきらは新しい生き方をようやくこの歳にして見い出せたつもりでいたのに、ちっとも幸せに慣れておらず、こころが「幸せに成りたい」、「いつになったら自分は幸せに成れるんだろう?」、「このまま幸せに成れない不幸な人生ならやっぱり死ぬしかないかな」、「もう、疲れたな」と叫んでいました。

 どんなに、新しいものの見方やスピリチュアルな見方を獲得したつもりでも、パートナーもいない、お金もない、社会的地位もない。あるのは52歳にして普通の人から見たらどうしようもないおじさんという事実だけ。

 どんなに、スピっても華々しい結果や奇跡は起きない。もういいかな?スピリチュアルも所詮えぞらごとで、自分には関係ないと思いかけていました。

 そこで、気づきました。まだ、諦めていなかったんだと。いや、自我の欲望を手放せていなかったんだと。ある意味において、生きることを諦めてはいけないことは解っています。

 しかし、本当に諦めるとは、自我を手放すことだと思っています。 

 ただ、自分という自我(マインド)の働きを満足させない方向へと精神エネルギーをシフトして行くこと。そういう意味では自分を満たすことなく、こころ(ハート)が感じる良かったと想える方向へと意識(精神エネルギー)を向けてシフトして行くことが本来の意志なのではないかと思う様な境地に至りました。

 スピリチュアルを極めるつもりが、スピリチュアルではなかった様です。自分が無力な存在であるという事実を認め、受け入れ、有力な何かに成ろうとか、成りたいという意思を手放し、諦めた時、本来の無力の力が発揮され良かっ種が発芽するのではないかと信じたいです!

 自分の人生が信じられません。だから、それを諦めて、生きている間は生きて行くことを手放さない様な生き方がしたいです!

 信じられないので、自分を満たそうとしない無目的で無意図で無私な無力な生き方にシフトしたいと思っています!

 その時、誰のものでもない、誰か特定の人やことの為でもない良き結果が収穫できると信じて、無力の力を信じたいと思います!

 もう、何も信じられないので無力の力を信じます!

 信じられないので、無心に信じます!

 良かっ種!

 あきらメール
 From Okinawa