9月の中頃に肺気胸を起こし入院してそのまま退院することはありませんでした。10月末くらいから弱り始め11月に入り危篤となりました。他界する前の夜に病院に行き最後の面会をしました。私は仕事があったので見ていませんが、次男坊は車に戻ってから堰を切ったように大泣きしたそうです。
テレビをこよなく愛していたオヤジの棺に天国でも淋しくないように次男坊が工作しました
紙で作ったテレビとリモコンとメガネです。一応水谷豊だそうです(笑)。三途の川で使うお金よりも頼もしかったのではないかと思います。
もう少し楽をさせてあげたかったって今さらながらに思います。
ただ病院でいわれていたほどは苦しまずに済んだのは過ぎてみれば良かったのかもしれないです。
私はブログで後ろ向きなことを書かないようにしています。これはちゃんと消化して前向きに書いています。普段はクールな次男坊のエモーショナルな部分がみれたことやその他いっぱいわかったことがありました。これまでも様々なことを受け入れていたつもりでしたが数日にしていろんなことを受け入れる必要に迫られました。働くことが一番って教えなのでとにかく働きます。