能登半島地震2024 | みりいどのブログ

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 発災から20時間が経ちました…の頃に書き始めました。被災地のみなさん、お見舞い申し上げます。

 1日夜から2日夕方まで発信を取り止めていました。緊急時に無駄なトラフィックを増やしたくない故の措置でした。これは東日本震災の時と同じです。また別に、よく分かりもしない人間である私が、真偽不明の情報・自分の意図と違う意見をその時の気分でつい拡散してしまうことを防止するためでもありました。これらはネットで言う「自粛」の理由のうちのぼちぼち以上に有力な二つではあると思います。

 「自粛」に関しては、緊急対応について妨害にならない範囲では行わなくてよいと思います。但し「妨害にならない範囲」は緊急時には縮減すると考えます。縮減する条件が公に示されていなかったり、あるいは社会的に大筋が共有されている感じがしないのは軽く心苦しくはありますし、またそれが同調を強く求める動きと親和性があることにも心苦しさを感じます。あ、「自粛するな、経済を回せ」の主張には俄には与しません。

 心苦しいことは、なくなることのない現実の難しさととらえ、考慮すべき緊張関係にある事情として注意することにしようと思います。

 まあ、ネットは極端な考えが増幅しやすい場所と考えられるふしもあるわけで、そちらへの感度を鈍くしてもいいのかもしれないとも思っています。

 発信を再開する気分になったのは津波に関する警報・注意報が解除されたことによるのかなぁ…変な情報は相変わらず回ってくるし。ああでも、むしろ一夜明けて被害状況がある程度わかってきたことが大きいな。



 今回の被災地について。

 石川県能登地方。

 七尾・輪島・能登島は初めての遠距離旅行先でした。その後比較的最近になって、金沢からだったり富山からだったり岐阜からだったりのアプローチで訪問するようになっていました。

 七尾湾や旧海軍潜水学校所在地(穴水町中居)あたりの内海の雰囲気は非常に好きでした。のと鉄道笠師保駅の花園や田鶴浜町付近の湿地の雰囲気も。能登町鵜川の鶴野酒造店で教えてもらった富山湾越しの立山も綺麗だそうなんですが、これはまだ見ていなかったんです…。

 昨年は図らずも、七尾をメインの舞台とするマンガ、オジロマコト「君は放課後インソムニア」のハイライトになる真脇遺跡(能登町)を訪問しましたし、その後は酒蔵めぐりもしました。

珠洲市松波の松波酒造(代表銘柄:大江山)
能登町鵜川の鶴野酒造店(代表銘柄:谷泉)
能登町宇出津の数馬酒造(代表銘柄:竹葉)

 後二者を含む能登町はかなりの時間情報がなく、とても心配していました。その後出てきた情報では前二者で家も蔵も倒れたとのこと。

 三者とも立地しているのは海に近い場所なのでそうではないと思いますが、珠洲市でも能登町でも孤立している集落がまだあるとのことです。うん、あるだろうな…海側も際どい所に集落があるし、山も深いですから。今回交通の件でよく出ているのと里山海道~珠洲街道や国道249号も通りましたし、能登空港も立ち寄りました。


 富山県。

 映画「螢川」や伊藤敏博(彼も「螢川」という歌を歌っている)に触発されて目指した地でした。初めて降り立ったのはいつだったろう? 1999年だったかの3月1日早朝、飛騨高山の白線流しに向かうために夜行急行「能登」から高山線に乗り換えた時かな。

 宇奈月温泉には「年末オフ」で行ったし(ぶりしゃぶが、あんな簡単な?料理なのに「!」)、富山市中心部松川周辺の桜散る様に心奪われ、庄川の鮎(特に白うるか)、美味しいお酒、呉西のかぶらずし、速星の日産化学・伏木の東亞合成のタンク車…。

 そして、富山市内神通川西詰から、あるいは雨晴から富山湾越しに見る雪の立山が「!」です。富山県の多くの人の「ふるさとの山」なのではないでしょうか。山を意識することのない関東平野ど真ん中出身の私には、あの立山はもはや私にとってもふるさとの山です。


 新潟県。

 ちょっと縁が薄いのです。伊藤敏博(旧青海町)・長谷川萌美(長岡市)・村山達雄(長岡市)・小川麻琴(柏崎市)、と、越後湯沢付近の深い積雪と温泉…。ああ、糸魚川市にはネットの師匠、房之助さんがいらっしゃいます。お元気かなあ。



 発災から4日が過ぎました。輪島市は勿論、当初情報の上がってこなかった能登町・珠洲市・穴水町もやはり厳しい状況であることがわかってきています…。

 震災が落ち着いたら早くに再訪問したいと考えています。今は、待ちます。地域のみなさん、頑張ってください。