フードコートは中流のブルース
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 アンダルシアの風と聞いて大泉洋を思い浮かべる人は中々の水曜どうでしょうファンだと思います。ただ、『茄子』シリーズを実際に視聴した方は少ないのではないでしょうか?(『アンダルシアの夏』・『スーツケースの渡り鳥』どちらも名作アニメ映画なので是非!)

 

 ところで、スペイン“語”文学と言えば、ガルシア=マルケスの名が真っ先に挙がると思いますが、ではスペイン人作家と言えば……?なかなか出てこないように、日本においては純スペイン産文学に触れる機会は実は少ないと言えます。

 そういった意味で、岩波文庫から出ているフアン・ラモーン・ヒメーネス『プラテーロとわたし』は非常に親しみやすく、そして美しく、我々に近代スペインの色彩を伝えてくれる名著です。

 病を抱えた詩人が、白銀の毛並見事な驢馬「プラテーロ」と共に見たスペインの景色を美しく謳い上げており、そのリアリズム的な描写とロマンティシズム溢れる表現のまにまには果てしない夢想の余白が設けられていて、たちまちにアンダルシアの光と風と砂埃を受けるような錯覚に陥らざるを得ません。

 

 

 ごらんよ、プラテーロ、薔薇があたり一面に降りしきる、そのありさまを。青い薔薇、白い薔薇、色のない薔薇…… 空が砕けて、薔薇がいっぱいにたまるのを…… こんなにたくさんの薔薇を、いったいどうしたものだろう?

 このやさしい花の群れが、どこからきたのかわたしは知らないが、もしかしたらきみは知らないか? それは日ごとに風景をやわらかにし、紅、白、青と、甘美に風景をいろどる。また降りしきる、降りしきる薔薇よ。まるで天国の栄光を、ひざまずいて描きつづけたフラ・アンジェリコの絵のようだ。

 天国の七つの回廊から地上へむかって、いま薔薇の花がまきちらされている、と信じてもよさそうだ。ほんのりと色づいて、生暖かく雪がつもるように、薔薇の花が協会の塔に、屋根の上に、木々につもる。ごらんよ、どんなにあたらしいものでも、薔薇のよそおいでやさしくなってしまうのを。また降りしきる、降りしきる、降りしきる薔薇よ……

 アンジェラスの鐘が鳴りひびくあいだ、ねえ、プラテーロ、わたしたちのこの世から、ふだんの力は姿を消し、もっと崇高、もっと堅固、もっと純粋な、うちにひそむべつの力が働くようにおもわれる。そしてその力は薔薇にまじってもうきらめきだした星たちの高さまで噴き上げるのだ…… また降りしきる薔薇よ…… きみのその目はね、プラテーロ、おだやかに空を見上げるその目はね、きみには見えないけれど、美しい二つの薔薇なのだよ。

 『アンジェラスの鐘が鳴る!』

 

 長南実氏の名訳もさることながら、非常に丁寧かつ細かい注釈(上に引いた詩では佐藤春夫の『田園の憂鬱』を引き合いに出しているなど、読書の補助線も引いてくれる)で、まさにアンダルシアの風を感じることができる一冊でしょう。

 

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