歌舞伎俳優・市川海老蔵(39)の妻で、乳がんで闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央(こばやし・まお、本名・堀越麻央=ほりこし・まお)さんが22日夜、都内の自宅で死去したことが23日、分かった。34歳だった。
2014年10月に人間ドックがきっかけで乳がんが見つかり、昨年6月に海老蔵が会見で公表。2年8か月にわたり、懸命に闘病生活を続けていた。海老蔵はこの日、都内で会見し、麻央さんの最後の言葉が「愛してる」だったことを明らかにし、号泣した。後日、近親者で家族葬を営む。
海老蔵の目からボロボロと涙がこぼれた。「しゃべれずにいたんで本当に不思議なんですけど、息を引き取る瞬間、私は見てました。愛してる、と言って…」。すでに話せなくなっていたはずの麻央さんが、最期に言葉を発した“奇跡”を明かした瞬間のことだった。7秒ほど涙をぬぐい「愛してると言って、そのまま旅立ちました」と絞り出すと、顔を覆って目頭を何度も押さえた。
20日までブログを更新していた麻央さん。21日は話すこともできたが、亡くなった22日に調子を崩した。海老蔵は同日、午後1時から東京・渋谷の劇場で「ABKAI2017~石川五右衛門 外伝~」に出演。その後、別の舞台用の写真撮影を行い、午後5時半ごろから劇場ロビーで稽古を行っていた。
稽古中、麻央さんの母から「(麻央さんの)具合が悪い、お医者様も来ていて、家族を呼んだ方がいい」という内容のLINEが届いたが、見ることができず約1時間半後に気付き、慌てて帰宅。「まだ麻央はこの世にいてくれて…」。海老蔵のほか、麻央さんの姉でフリーアナの小林麻耶(37)、両親、そして長女・麗禾(れいか)ちゃん(5)、長男・勸玄(かんげん)くん(4)が最期をみとった。海老蔵は耳元で「この世にある、ありとあらゆる言葉を話していた」という。
22日に死去は公表せず、この日朝にブログで「人生で一番泣いた日です」と、心境をつづった。この日は気丈に正午、午後5時からそれぞれ約2時間「ABKAI―」に出演。会見は昼夜の公演の合間に劇場内で行った。
麻央さんは、がん発覚後入退院を繰り返していたが、5月29日に在宅医療に切り替え、自宅で息を引き取った。「自宅で送れたのはとてもよかった。家族と一緒にいられて、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思う」と振り返った。子供の様子について「麗禾は、昨日はずっと麻央のそばを離れませんでした。認識はしていると思います。勸玄は、分かっているけど分かっていないところもある」と説明した。
麻央さんの印象的な表情を「初めて会った時から今朝まで、全部です」と断言したように、交際のきっかけは海老蔵の一目ぼれだった。2010年の結婚後も、海老蔵は麻央さんへの愛情を隠すことなく、昨年6月のがん公表後はブログでも、麻央さんへの思いをつづっていた。多忙な中で治療法についても勉強。麻央さんに酵素風呂を勧めたり、自ら野菜スープを作って振る舞い、献身的なサポートを続けていた。
会見で「僕を変えた奥さん」と話したほど、麻央さんの存在は、人生観さえ大きく変えた。それだけに「できれば、ずっと一緒にいて、私の方が先に逝って、彼女がもっと幸せに、もっと楽しく…」と最愛の妻が先立つ無念をにじませた。
麻央さんは10年1月の婚約会見で「来世も再来世も一緒に、と言われてうれしかった」とプロポーズの言葉を明かしていた。海老蔵は「そのつもりです。その話もしました。僕が愛想を尽かされないように頑張らないと」。5分間の予定を大幅に超える約20分の会見で天国の麻央さんに約束し、悲しみを胸に24日も舞台に立つ。
◆市川 海老蔵(いちかわ・えびぞう)本名・堀越寶世(たかとし)。1977年12月6日、東京都生まれ。39歳。12代目市川團十郎さんの長男。83年5月、歌舞伎座「源氏物語」の春宮で初お目見え。85年5月、歌舞伎座「外郎売(ういろううり)」の貴甘坊で7代目市川新之助を名乗り初舞台。2004年5月、歌舞伎座「暫」の鎌倉権五郎ほかで11代目海老蔵を襲名。屋号は成田屋。
◆小林 麻央(こばやし・まお)本名・堀越麻央。1982年7月21日、東京都出身。上智大在学中から日テレ系「恋のから騒ぎ」に出演。2003年、フジテレビ系「めざましどようび」のお天気キャスターで芸能活動を開始。06年から日テレ系「NEWS ZERO」のキャスターを担当。10年3月に市川海老蔵と結婚。11年7月に長女・麗禾ちゃん、13年3月に長男・勸玄くんを出産。姉はフリーアナウンサーの小林麻耶。