他人の方が悪く見えてたり
はたまた 競って自分の方が
悪いと思ってしまったり…
いやいや みんな辛いのよ😲
比べるものじゃない✋( ˆ̑‵̮ˆ̑ )
どのブロク SNSにも書いたことがなかったけど
母親も1級の障害者で ほぼ目が見えてない?
見えてなかったのだろう😎
小学校1年位の時から付き添ってた
色々な申請手続きを代わりにやってた
勿論母親はそばにいる 1人では行かないけど
銀行や支払い関係は一人で行ったりしてた
小学校2年辺りから 街中へ行き支払いを済ませる
すると補導される 学校に連絡が行く
学校も説明する 母親の代わりに支払いに街に出てると そして 解放される これが繰り返されるため 今度は補導員に顔が覚えられ 気をつけてねと言われる 今考えると 珍しい体験かもしれない
😆✨これを中学2年くらいまでやってたなぁ
やめるきっかけはまたの機会にして
小学校低学年頃 母親によく連れていかれたのは、障害者の懇談会?
恐らく会食とかしてたから 今思うと 懇談会なのだろう
そこで母親に人前で食事する時のマナーを叩き込まれる🍴😋🍴
当時 既に父親は居なかった
私たちには子供を捨てて出ていったと云う事になっていた
まぁ 後にその理由は 中学生の時に判明はした
その理由はまたの機会として
当時父親は 文字が書けなかったと聞いた
母親も目が見えないせいもあり 文字が書けないものと思っていた そのため代筆をしてるものだと思っていた。
違ったようだ
デイスグラフィア 書字障害 だったようだ
発達障害や知的障害の類いなのかな🤔🤔
昔はこんな呼称ではなかったと思うのだが
二人とも幼少の頃戦争を体験していた
そのためなのかもしれないが 母親が目が見えなくなったのは 父親に叩かれたと云うように聞かれていたが 正直 ホントかどうかは分からない
( ̄▽ ̄;)
父親は亡くなり 一人で 横浜まで迎えに行き
そこでお骨に変えて 札幌に戻り 父親の故郷の函館に納骨を 全て一人で執り行った。
兄妹は他に2人居たが 私たちを捨てた父親のことなど知らんと言われた 兄と暮らす母も兄に気を使いそれに続いた。
そおなんだけど… 母親は離婚はしてはいなかった
最後まで 婚姻状態は続けていた 蒸発と状態を続けていた。
好きだったんだと思う…
そんな母も 痴呆にかかり 今は全てを忘れ今は施設に入所している。目を離すと逃げるように徘徊を始めてしまうから、外のため施設へ入所となったが、お友達もいっぱいできてメンタルは安定してるようだ
まぁ これを読んでる方は なんで🤔...?って思う部分もあると思うけど、当時 同居してたのは兄で
そのクズっぷりは目を見張るものはあるが、それはまたの機会で 今で言うところの虐待や逆ネグレクトみたいな事をして 母親の年金を搾取しギャンブルをしていた🤣 要約するとこんな感じ
逃げたくもなるわな😂
私たち子供の事も 自分の兄妹の事も忘れ
幼少に戻ったようだ
私たちが会いに行っても目も開けない( 👁‿👁 )
ってか声をかけているのは 兄と妹…
兄と妹にはもしかすると怒っているのかもしれない 父親の件で 悔しい思いをさせられたんだと思う 最後の別れを本当はしたかったんじゃないかなぁってね 思うわけよ
俺はまだ 会いには行ってるけど
目を閉じたままの母親を黙って見てるだけ
声はまだかけてない
心の隅で
俺のことは覚えていて欲しいとの願望が
そおさせてるのかもしれない
忘れてるだろうけど
まだ そのままでいい
長くなりました
備忘録として