【御田八幡神社】釜鳴り神事 #1 ✧✦宙星祝屋 芝浦canal studioご近所散策✦✧

 

 

参列者にはその後、直会のお席も設けられていて、宮司さんからのご挨拶がありました。先代の宮司さんから去年代が変わったばかりとのことで、釜鳴りの御神事は今回が2度目だったそう。

 

とても印象的だったのが、

「変えていった方がよいことと、変わってしまってはいけないことがある中で、変えてはいけないことを守ることの難しさを痛感する日々です」という内容のお話でした。

 

古代エジプトでは、儀式とは宇宙の整然としたリズムと調和を倣って、毎日変わることなく粛々と執り行うことで、この世にその調和を保ち、世俗の乱れによるバランスの崩れを防ぐ意味を持っていたそうなのですが、宮司さんのお話を伺いながら、そのことを改めて思い起こしました。

 

そして、ドラゴンテイルの配置から察するに恐らくは、今回の人生に入るまで儀式を司る側に立っていたわたしの魂は、自分が何故、幼い頃から何かを模倣したり、再現したりするのかが苦手だったのか、理解しました。今回は「変わってしまってはいけないこと」から卒業する旅を選んだからなのだと。

 

宮司さんのお話の中でもうひとつ印象的だったことが、釜によい音で鳴ってもらうために、細心の注意を払いながらひとつひとつ準備を整えていく、と仰っていたこと。

 

事前のリサーチでは、釜の鳴り方や、釜が鳴ること、鳴らないこと等を、神様からのメッセージとして汲み取ることと理解していたので、釜が鳴るも鳴らないも、神様任せなのかと思っていたのですが、誤解をしていたようです。

 

鳴る鳴らないは、確かに最後は神様の為せる業なのかもしれないけれど、釜が鳴るための、また、釜がいかにより良く鳴るか、というための準備は、きちんと人間界で整えておく必要があるということ。

 

これこそが、『人事を尽くして天命を待つ』そのもの!

 

全てを整え、時が満ちて釜が鳴るということは、六芒星のミラクルの顕れのようなものなのだろうなぁ、と感じました。

 

こう見えて、人見知り屋だったりするので知っている人のいない会合にひとりで出かけるのは苦手な方なのですが、直会のお席でも、普段の生活では出会うこともないような方々と、和気藹々と懇談させて頂き、色々な気づきもあり、勇気を出して行ってみるものだなぁ、とほくほくだった帰り道でした。

 

ひとり毛色の変わったわたしを、遠巻きにせずにいて下さったご同席の皆さま、ありがとうございました!!お気遣いがとても心に沁み入りました。

 

次回は5月15日の予定だそうです。また参列してみたーい♡

 

 

御田八幡神社のすぐ側に、大好き撮影スポットもあります(笑)