hippo the world

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関西の私鉄に、京阪(けいはん)電車(京阪電気鉄道)というのがある。
京阪は、文字通り京都と大阪を結ぶ鉄道であって、沿線にはベッドタウンが
広がる。通勤通学客のみならず観光客も多く、関西の基幹鉄道の一つだ。

その京阪のマスコットキャラクターは、「おけいはん」という女子である。
このキャラクターは「けい子」といい、京都訛りで呼ぶと「おけいはん」
になるわけで、なんとも地元情緒の溢れる可愛いネーミングであるが、
「京阪」にも掛かっているところ、なかなかお洒落な感じだ。
おけいはんは、ポスターやチラシとなって、京阪各駅や京阪電車の車内に
掲示され、京阪沿線の行楽地や行事の宣伝に活用されている。

このおけいはんは、二十歳前後の若い女の子がモデルとなって二年周期で
代替わりしていくのだが、現在は四代目である。
歴代のおけいはんを紹介すると...
初代:淀屋橋けい子、二代目:京橋けい子、三代目:森小路けい子、
そして今の四代目が樟葉けい子、
要するに、京阪電車の駅名に「けい子」を引っ付けただけなわけで、
安直なネーミングがまた微笑ましいわけだ。

樟葉けい子は、18歳の女子大生というセッティングであって、この春に大学
に入学したばかりの大学一年生、初々しくて可愛い娘である。しかし、
今年の京都祇園祭のおけいはんポスターで、ある騒動が起こったのである。

それは、おけいはんが着ている浴衣の帯が上下逆さまだったということ。
担当したスタイリストによると、
「帯の文様を崩す流行に乗った。おけいはんの年齢設定は10代で、
元気の良さをアピールしたかった」と、意図的に上下逆さにしたとのこと
なのだが、京都の伝統文化関係者などからは、
「伝統を重んじる祇園祭の広告にはそぐわない」、「あり得ないミス」、
「お粗末の一言」、などと苦言が相次いだワケなのだ。
この帯柄は、扇状の波を交互に重ねた「青海波」といわれる日本の伝統的な
吉祥柄なのだそうだが、それを逆さまにするなど縁起でもないらしい。

自分もこのポスターを駅で見たとき、「カマボコ型(上に凸)の柄なら見た
ことはあるが、下に凸の柄は見たことないなあ...」、などとぼんやりと
思っていたのを今でも記憶している。
確かに、若い子の間では着崩すのが流行しているようで、先の冬季五輪でも
ハーフパイプ選手の男の子がズボンを腰履きにしてマスコミに叩かれて
いたが、それとなんだかよく似た騒動である。

しかし、このスタイリストが言うように、着崩すことによって生まれる
新鮮さや躍動感というものも、若いからこその特権のような気がする。
帯が逆さまだろうと、可愛ければいいじゃん...
そう考える自分は、やっぱりダメな奴なんでしょうか?


hippo the world-おけいはん、帯が...
最近は、Twitterなどの「つぶやき」系が流行しているようだ。
Web2.0と言われて久しいが、ユーザー側からの情報発信がブログという形で
始まり、短文ながら実時間的なつぶやき発信に行き着いたと言える。
ブログは、時間軸方向は不正確ながら、文章の密度としての振幅方向は濃密
である。つぶやきは、その反対をいくもので、文章の密度は薄いが、
ほぼ実時間で発信され、時間軸方向の正確さを重視したものである。

このように、情報の密度以上にリアルタイム性を重視するあたり、
時間に価値を見いだそうとする現代社会を象徴しているとも言えるが、
もっと単純に捉えれば、リアルタイムに発信するが故にあまり深く考えない、
すなわち、より素直な意志が発信できている点が新鮮なのだろうか?

ブログを書いたことのある人ならばわかるが、ブログを書くのには頭を使う。
「起承転結はどうか、文章の言い回しはどうか、誤字脱字はないか、
 ...それ以前に、このブログは面白いのか?」
つぶやきならば、そのような面倒くさい頭を使う考察は皆無である。

つぶやきが時間軸方向のリアルタイム性を重視しているというのは建前で、
ひょっとして、本音は頭を使うのが面倒なだけなのではないか?
なんとも、軽薄短小な頭の構造をした人間が増えてきたようだ。
軽薄短小というより、頭が脆弱になったと言った方が良いかもしれない。

人の頭には、お勉強系の頭の良し悪しとは別の尺度として、
「頭の強さ/脆弱さ」というものがある。
頭の強い人は、分厚い本や分厚い携帯のマニュアルを手にしたりもするが、
頭が脆弱な人は、分厚い書類を見ただけで「わー勘弁してよ」となる。
前者はロールプレイング系、後者はシューティング系のゲーマーに多いと
言えば、より分かりやすいかもしれない。

あなたは、どちらのタイプだろうか?

昨年末のNHK紅白歌合戦は、第60回目だったそうだ。
60回目を記念して、例年とは一味違った演出がなされていて、
たとえば、英国の話題の歌手、スーザンボイル女史がゲスト出演したのだが、
出場した歌手の誰よりも歌唱力があったのは誰しも認めるところだろう。
日本人歌手の歌唱力の貧弱さが浮き彫りになってしまった。

スーザンボイル女史は素晴らしかったが、痛かったのは他のゲスト。
たとえば、紅白歌合戦と同い年の60歳ということで矢沢永吉が
サプライズ出演したわけだが、歌詞もまともに覚えておらず間違いだらけ。
画面の歌詞テロップと合わずに何度もテロップが画面から消えたのは、
なんともお粗末な限り。往年のロックの帝王も歳には勝てないようだ。

さらにショックだったのはゲスト審査員として招かれた森光子。
認知症がかなり進んでいるようで、司会者との掛け合いもちぐはぐで、
よくこれで最近まで放浪記の舞台が務まっていたと思う。
もっと早く主役の座を若い女優に譲るべきだったのではないだろうか?
そして、いつまでもトリを取りたがる北島三郎。
歌謡界のドンだそうだが、任侠で歌を歌うわけでもあるまい。

今回の紅白歌合戦に限らず、いつまでも主役を後進に譲らず、
パフォーマンスがすでに出せていないのにその座に居座る人が多い。
たとえば、テニスの伊達公子、柔道の谷亮子、スケートの岡崎朋美...
伊達公子などは、「後輩が育っていない」が口癖のようだが、
後輩が育っていないのではなく、後輩を育てなかっただけではないのか?
もう、いい加減にしたほうがいい。 

歌手やスポーツ選手は、「若さ」が重要なファクターである。
ある程度の年齢に到達したら、静かに身を引くのが良識というものだろう。
それが嫌なら、普通の民間企業でサラリーマンとして働くべきである。
大画面の地デジハイビジョンテレビで老けた顔を大映しされても、
見ている側としては何の感動も無い。
ある保険会社のTV-CMだが、猫とアヒルがダンスをするという、
馬鹿げたコマーシャルがある。
しかし、先月頃からクリスマスバージョンというのが放映され出し、
そのCMソングの中の歌詞のくだりの一部が妙に心にひっかかっている。
それは、
「幸せよ、幸せよ、ここに来ておくれよ...」

もう数十年前の子供の頃、家族でささやかなクリスマスを祝ったことがある。
父親の買ってきた不二家のケーキに、ソノシートという薄いビニール製の
レコードがおまけでついていて、子供のクリスマスソングが入っているという。
家族のみんながケーキを囲んでまさに切り分けようとしていても、
何故かそのレコードが聴きたくて、プレーヤーにソノシートを乗せ、
針を落としてクリスマスソングをずっと聴いていたのを思い出した。

家族のみんながテーブルのほうから呼んでいる。
「hippo、早くおいで」

今が決して不幸せというわけではなく、厳しい人生を送っている方からすれば、
非常に恵まれた幸せな人生なのだと思う。
しかし、つつましくても暖かいあのクリスマスの夜が、
自分にとって、本当に幸せだったのだと思う。

普段、ブログで毒づいている自分でも、
クリスマスのあの一夜を思い出すと、軌道修正できるような気がする。
「幸せよ、幸せよ、ここに来ておくれよ...」


九州のある地方都市の市長のブログが物議をかもしている。
「高度医療のおかげで機能障害を持ったのを生き残らせている」
という内容のブログなのだが、なんともストレートな表現だと感じる。
本人としては、優生保護を言いたかったのだろうが、何をもって優生と
定義するのかも難しい。優生保護法が母体保護法に改名されたのも、
優生とは何かを定義できるほど社会が成熟していないからと言えるだろう。

多くの賛否両論はあるし、その市長さんの肩を持つわけでもないが、
遺伝というのは恐ろしいというのも、また事実である。
優生論の定義とか運用とかは、その時代その社会の倫理リテラシーに
大きく依存しているもので、多くの史実が遺伝の怖さを物語っている。

例えば、社会システム先進国として名高い英国であっても、昔の貴族時代
には乱交が一般的だった。それは貴族社会における一種のレジャーだった
のだろうけど、元々貴族などは狭い家系の繋がりだったものだから、
あっという間に遺伝病が発生してしまった。貴族との婚姻で家系を継続
してきた英国王室も、当然ながらその疾病遺伝子を受け継いでいる。
英国王室が、倫理観に乏しい人物を排出しているのもその一端だろう。

日本においても、前面に出てこないだけで優生にまつわる問題を抱える。
しかし、その種の社会問題を人の心の奥深くにしまいこんで黙殺するよう
教育を徹底しているものだから話題にならないし、話題にしない事が暗黙の
了解となっているのだ。いわゆる、日本特有の「道徳」教育である。

だが、本当の問題は、そのいう日本の高度な道徳教育の成果を逆手に取り、
金儲けしたり楽したりする者が横行していることだろう。
あの市長さんは、本当の事を言いすぎているのである。

自然淘汰のままに任せておけば、人間の寿命は50歳くらいだそうだ。
その市長さんは現在50歳だそうだから、自然淘汰される年齢である。
それでもああやって市長をやってブログで吠えていられるのも、
自然淘汰と戦ってきた人間が生み出した、医療や栄養の改善のおかげで
はないのだろうか。

もともとあの市長さんは、防衛大学の出身で自衛官だった。
ところが肝心の国防には数年しか携わっておらず、民間に転身している。
防衛大学は、学費が無償のうえ給料まで出る天国である。
そのように国民の税金でキャリアをつんでおきながら、任官拒否して
民間から市政に転じ、吠えていたって説得力がまるで無い。

国税で育ったくせに国への貢献を拒否する人物。
市税を貪る部下の市職員をイジメながら、一方で障害者も排除する人物。
こういう人物を、ダブルスタンダードというのである。
事業仕分けが始まり、その様子が公開されている。
行政の事業を抽象論ではなく「現場」の視点で洗い直すことによって、
個々の事業の無駄にとどまらず、その事業の背後にある制度や国と地方の
関係など、行財政全体の改革に結び付けていくのが目的。
まあ、早い話が「コストバスター」なのである。

以前のブログでも書いたが、日本国としてのパイの大きさは一定で、
それを奪い合うわけだから、喧嘩腰になるのもわかる。
今回の事業仕分けでわかったのは、税金にヒモのようにぶら下がり、
その甘い汁を吸っている人間が如何に多いかということである。

以前、仕事で総務省系の独立行政法人に行ったことがある。
驚くべき事は、一つの部署で所長と部長の二人がいて、
その部の庶務室に11人の女性職員がじっと座っているという光景。
その所長は総務省からの天下り、部長は総務省からの出向。
11人の女性職員の内訳は若い子10人+お局さん1人で、
10人の若い子は官僚の子女、親戚。お局さんだけ実力で入ったらしい。

彼らは、総務省から随意契約で業務契約を結び、その仕事を
契約金の半分くらいの価格で下請けに丸投げしているわけだ。
当然、彼らにこれといった仕事はなく、ただじっと座っている。
9時から17時まで、じっと座っているのが仕事なのだ。
こういう現実を目の当たりにしては、事業仕分けの必要性を
強く感じるわけで、もっとドンドンやってほしいものだ。

仕分け人急先鋒の蓮舫議員も枝野議員も、反小沢一郎である。
小沢一郎氏としては、汚れ役をやらせているつもりだろうが、
蓮舫議員などは、キャラ的にはまり役だから笑える。

無駄な税金をカットするコストバスターとしてマスコミが報道
するものだから、小沢氏の意に反して国民の好感度がアップ。
それを察知して亀井静香が「仕分け人に外国人をいれるな」的な発言で
小沢氏の機嫌を取ろうとしているのが、端から見ていて滑稽である。
亀井氏としては、仕分け人の一人であるモルガン・スタンレー証券の
ロバート・フェルドマン氏のことを指していると言いながら、
本当は、台湾人と日本人のハーフである蓮舫議員のことを指して
「外国人」と中傷しているわけだ。

まあ、政権交代と言いながら、小沢氏といい亀井氏といい、
古い自民党の体臭がプンプンしている人間が要職に就いている限り、
この事業仕分けも単なるお祭りに終わる可能性もある。
まず仕分けるなら、そのあたりが先だろう。


国会の開会式において、天皇陛下から「御言葉」を賜るわけだが、
国家最高の政(まつりごと)の始まりであるからこそ、

わざわざ国会にまで天皇のほうから出向いて一言申すわけだ。

その御言葉に対して、岡田外務大臣が注文をつけたことが騒動となっている。
「陛下の思いが少しは入ったお言葉がいただける工夫を考えてほしい」


確かに、御言葉の文面は、宮内庁が過去の慣例を踏襲して作成したもので、

天皇自らが作成したものではないし、またそれが天皇の仕事でもない。

災害時などは、天皇陛下がアドリブで御言葉を足されることはあるのだが、

国会の開催式でアドリブもクソもないだろう。


ひょとして民主党は、「政権交代おめでとう」、とでも言って欲しかったのか?

もしそうならば、自民党の大島氏が言うように奢り以外の何者でもない。

政権交代は、国民の民意ではない。国民は、目先のカネが欲しいのだ。

カネをくれる政党ならば、民主党でもピエロ党でも何でも良いのだ。


今回の騒動の張本人、岡田氏は、日本最大のスーパーマーケットである

イオングループの創業家次男であるのは周知のとおりである。

特に政治家にならなくても、食うには困らない家庭環境にはあったのだが、

創業者の父と現社長の兄の前では、言いたいことも言えない状況に

あったという。今でもイオンとの関係に触れたがらないのは、そのためである。


岡田氏から見れば、ピエロのように宮内庁に操られている天皇陛下が

非常にもどかしく、かつお気の毒に思えたのだろう。

また、政治思想的に左傾してることも天皇への注文につながったワケだが、

左傾だからといって、天皇陛下にモノを言っていいわけではない。


天皇は、国民1億2700万人の象徴であると憲法で定められているのだから、

その御言葉は、すべての国民に対してニュートラルでなくてはならない。

天皇陛下を始め、皇族方が御言葉を発せられるときは、非常に気を遣って

言葉を選ばれているのがよくわかる。


天皇陛下の御言葉とは、

スーパーの次男坊が気まぐれにコメントするような軽いモノではないのだ。




前原国土交通大臣の「羽田をハブ空港にする」発言のために、

地方も巻き込んでかなりの物議を醸している。

そもそも成田空港は、旧態依然とした自民党政権時代に、

体制の力で反対派をねじ伏せて無理矢理作った空港である。

現民主党から見れば、格好のスケープゴートなのだ。


確かに、利用者から見た利便性では、圧倒的に羽田に軍配が上がるだろう。

品川から京浜急行一本で行けるのも魅力だ。

騒音問題で都心から追いやられた成田はとにかく不便。

それに、あそこは千葉県であって東京ではないではないか。

東京デズニーランドだって千葉県にある。千葉デズニーランドでいいのだ。


羽田と成田の関係は、そのまま大阪の伊丹と関西に当てはまる。

伊丹空港は阪急電車かモノレールで大阪市内から直通で行けるが、

関西空港は電車かリムジンバスで延々1時間はかかる。

関空に着いた時点で、なんか一旅したような気がするのだ。


アジアのハブ空港と言えば韓国の仁川空港とか言っているようだが、

香港国際空港の方がハブらしいハブと言えよう。

香港に本社があり、日本にも乗り入れているキャセイ航空を使って

欧州に行ったことがある。

そのときは、関空発で香港まで飛んでトランジット、

香港からパリのシャルル・ド・ゴール国際空港へと飛んだ。


香港国際空港は、実に広大で美しく素晴らしい空港だ。

あまりに大きいので、移動には動く歩道が場内に網羅されている。

その歩道がまたバカ長くて、歩道の向こう端がかすんで見えないのだ。


hippo the world-香港国際空港 動く歩道


これは、日本の空港では真似できないだろう。

ハブ空港の絶対条件は、とにかく大きくて広いこと。

羽田では無理だろう、多分。


それにしても、キャセイ航空のキャビンアテンダント、

すなわちスッチー達は、超美人揃いだ。

ほとんどが香港人なので、顔立ちも日本人と変わらない。親切だし、優しい。

いつも怒っているユナイテッド航空のおばさん連中とは雲泥の差がある。


次も彼女たちに会うために、キャセイで旅をするとしよう。

もう少し、機内食が美味しければ言う事無いのだけど。


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2016年のオリンピック招致に、東京が失敗した。

150億円の都税と800人の都職員の人件費が無駄になったわけだ。

IOCが東京の熱意を感じなかった、というのが建前になっているようだが、

真の原因はどこにあるのだろうか?


『責任者』の石原東京都知事は、

「プレゼンは最高だったが、見えない力学が働いた」、と弁明した。

しかし、この言葉の中に失敗の原因が見えてくる。


まず最初の失敗は、プレゼンに子供を使ったことだろう。

オリンピック招致のプレゼンは、歴代メダリストや学識経験者、

国家首脳が演説するステージなのである。

そこに子供を登場させるなど、あざといだけだ。

日本は、こういうイベントものに変に若手を偏重する風習がある。

しかし、諸外国では、子供の社会的地位は非常に低いのだ。

税金も納めていない者が、国際舞台で日本を代表してモノを言うなど、

諸外国から見れば非常に奇異に映ったに違いない。


だいいち、あの女の子の事を考えて起用したのだろうか?

本人は、「自分のスピーチのせいで失敗したのかも」と、

責任を感じてしまうのではないだろうか?

これを発端に、周囲の意地悪な子からイジメを受けるかも知れない。

子供を使うなら、出来レースの様な絶対失敗しない競争でなければならない。

子供を守るとはそういうことだろう。

ひょっとして老獪な石原氏は、子供の責任にしたかったのか?

とんだ茶番劇、あざとい最低のプレゼンだったワケだ。


二つ目の失敗は、あざとくエコを引き合いに出したこと。

元来、オリンピックのような非生産的な活動はエコとは無縁であり、

本気でエコを考えるならオリンピックなどやめれば良いのだ。

エコは、ワードとしての響きは斬新だが、その本質は苦しみである。

国民が個人レベルで従来の利便性を放棄するということである。

なんでもかんでも、エコを引き合いに出せば事業や活動がうまくいく

と考えているのは、日本人だけである。

諸外国のIOC委員がエコと聞いてもピンとこなかった理由だ。


そして、三つ目の失敗は、現状認識の甘さによる目測誤りである。

世界における日本の地位は、かつて無いほど低下してきている。

外資系の有力企業は、どんどん東京のエージェントを畳んで

上海や香港に極東の主拠点を移し始めている。

そのような現状にあって、「見えない力学」など単なる詭弁である。

自分の国の置かれている現状が、「見えていない」だけなのだ。

「東京」と言えば世界が一目置く時代は、すでに終わっていたのである。


まあ、IOCは、カネまみれの汚い団体でもある。

特定のオフィシャルスポンサーから湯水のようにカネを巻き上げ、

オリンピックという言葉と五輪のロゴを商標にしてカネを取り、

招致自体もIOC委員への賄賂でどうにでもなる世界だ。

そんな団体が主催しているお祭りを、無理して招致する必要はない。

だいいち、オリンピックなどやっても国民の生活は改善されない。

スポーツは生活などではない。単なるレジャーなのだ。


それにしても、石原軍団などと内輪受けで盛り上がり、

石原の看板があれば、何でも出来る、何でも意見が通る、人はおそれいる、

そういう奢り(おごり)があのファミリーにはある。

そんな中にあっても、渡哲也氏の責任の取り方は立派だった。

自身が主演の映画撮影中の事故で一般市民が重傷を負ったとき、

すぐさま映画制作を中止し、被害者に土下座した。

これが男の責任の取り方だ。

方や、石原氏は、ぶざまにも責任逃れに明け暮れている。

こういう時にこそ、その人の人間性が見えるというものだ。



ソフトバンクモバイルのCMは、高い好感度を得ているそうだ。

放映も頻繁なので、誰でも一度くらいは目にしているだろう。

白戸(ホワイト)家という一家が舞台になっているが、

なぜ、父親が犬なのか、長男が黒人なのか、女性のみ日本人なのか、

色々な解釈がなされているが真意は明かされていない。

というより、オーディエンスに疑問を抱かせることが、

記憶に残るCMづくりのコツなのである。


犬を使ったCMの代表作は、1981年のトリスウイスキーのCMだろう。

http://www.youtube.com/watch?v=eYAs1j5bpYc&feature=related

子犬が街中をさまよい、人々の生き様を犬の低い目線という

ニュートラルでネイティブな観点から冷静に見つめた作品。

この作品は、後日、カンヌ国際広告祭で金賞を得ている。

当時、日本経済は高度成長の最高潮に達し、経済原則が生命に

勝るような虚構が横行した時代。その風潮に対する警鐘でもあったのだ。

芸術作品は、その時代背景を抜きにしては語れないのである。


ソフトバンクモバイルのCMにおける犬は、人間と同じ目線。

犬は文化を持たないのだから、そのレベルは不変である。

つまり、相対的に人間のレベルが落ちてきたことを示唆する。

そのような皮肉なCMが高い好感度を以て受け入れられていることこそ、

今の日本国民の民度を良好に反映していると言っていいだろう。


白戸家の長女役は、上戸彩。

それにしても、彼女はテレビ映りの非常に良い女優である。

関西地方の人しか見られないが、大阪ガスのCMに彼女が出ている。

隣の家のお嬢さんという位置づけで登場する彼女は、

質素なブラウスとスカート姿がとても初々しい。


芸能人の彼女は、日々メディアから取材を受けるのだが、

担当した若い男性記者が彼女と面と向かうと、

緊張のあまり何も聞けなくなるという話を聞いたことがある。

なんとなく、その気持ちがわかるような気がする。