フリードリヒ二世が、近衛兵のハンス・ヘルマン・フォン・カッテと、カイトを手に引きこんで、
逃亡をはかったのは有名な話です。
↑ プロイセン軍の軍人。カッテ少尉(逃亡した時は中尉だった。)
フリードリヒは、父のフリードリヒ・ウィルヘルム1世からの、虐待ともとれる行為などによって、精神的にも追い詰められていた。
何故父がこんなにもフリードリヒに対して乱暴だったのだろう。
フリードリヒの父のフリードリヒ・ウィルヘルム1世は、「兵隊王」ともあだ名される無骨者。
いっぽう母のゾフィー・ドロテーアは、イギリス王室の出の宮廷人だった。
もちろんその両親の考え方や教育理念は正反対で二人はよく対立していた。
父親は音楽や歌劇などに親しみを覚えることを禁止し、フリードリヒにそれらにかかわるものを近づけさせないようにしていたのだった。
だが、そんな父の思いと、フリードリヒは正反対の行動をしていた。
フリードリヒは芸術や音楽に親しみを覚えた。
そして特に音楽を好み、音楽家のクヴァンツにフルートの手ほどきも受けている程だった。
フリードリヒはよく客を呼んで演奏会を開いていたが、
そのようなことを耳にした父王は怒り狂って、フリードリヒに杖を打ち据えたという。
父王はほかにも食事を与えないなど、虐待ともとれる行為をフリードリヒにしていた。
こうした生活を彼は18になるまで続けていた。
そして18になったある日に、イギリスの王女との縁談をきに、フリードリヒは逃亡をはかることとなる。
フリードリヒはカッテと信用できる部下とイギリスへの逃亡をはかった。
・・・だが、この情報は既に父王のもとに届いており、フリードリヒはそのひのうちに捉えられた。
カッテが捉えられたのは、ベルリンであった。
カッテはなんとなく、この計画の失敗を見抜き、自分ひとりで罪をかぶるつもりだったのかと思われる。
そうして、フリードリヒとカッテは幽閉された。
一緒ににげたカイトはなんとか追手から逃れることに成功する。
キュンストン要塞に幽閉された。
父、フリードリヒ・ウィルヘルムは、他国からにくまれていたため、このフリードリヒの逃亡も、自分をはめる罠だとしてフリードリヒまでも処刑しようとしたという。
独房を訪れたシャックはカッテに処刑の時間を告げた。
「明朝七時だ」
「早いほど結構です」とカッテは答えた。
フリードリヒの目の前で処刑された。
フリードリヒは窓から身をのりだし叫んだ。
「カッテ、私を許してくれ!!」
「殿下、わたしは喜んで貴方のために死にます」とカッテは答えた。
彼は上着を脱ぎ、シャツの襟を開き、目隠しを断って跪いた。
そうして、フリードリヒはカッテが大刀を浴びる直前で心神したのだった。
↑ ひざまずいて、手を合わせるカッテと、その目線の先にいるのがフリードリヒ2世
「私は国王陛下をお怨み申し上げません。殿下は今までどおり父上と母上を敬い、一刻も早く和解なさいますように」
この言葉は、カッテが遺書に書き残していった言葉だという。
彼の死は、その後世まで語られ、様々な作品にも登場している。
彼の死はフリードリヒの人生を大きく変えたのだと思う。
フリードリヒはこのあと、根暗な性格になり、ひきこもりがちになってしまう。
だがこのあと、カッテとの約束どうり父との関係を回復して、「大王」をあだなされるまでに成長していくのだった。
この時、カッテをはねた剣はブランデンブルク州に保存されている。