懐かしい写真を織り交ぜてのアーカイブシリーズ、今回はかつて存在していた淡路交通の割り当てナンバーと希望ナンバーの「5」という数字に関する考察を独断で纏めてみた。

 写真は2017(H29)年の新車で丁度同年5月「神戸200か」は50-00番台に突入した。また同年6月に淡路交通では「50-05」「50-06」が登場している。私はこのナンバーを見て、かつての「5」に纏わる淡路交通のナンバー体形が頭に過ぎったのであるが、淡路交通の割り当てナンバーでは1963(S38)年以降の新「兵2あ」では「50-00~」、1964年末~1970(S45)年9月までの「神戸2き」では「55-01~」であり、1998年5月以降に登場した所謂3ケタナンバーでは一頃希望ナンバーで登録し「500」番台を取得していた。

 まずは旧い順で新「兵2あ」から見ていきたい。

 私の所蔵写真からであるが、これから挙げる旧い一連の写真の掲載許可は得ている。上は1966(S41)年6月、福良(ふくら)車庫で休む「兵2あ50-06」号で1964年式いすゞBA741型=川崎航空である。冒頭のガーラで「50-06」も載せているので、同じ50-06号で新旧を楽しんで頂きたい。

近年の淡路交通路線バスの「特急」は徳島便が有名であるが、この頃既に「特急」種別があったのが私には驚きで方向幕の他前面に看板も装着されている。隣はナンバー不詳であるがBX型ボンネットバス。

 こちらのカラーは同じ頃にまだ存在していた淡路交通鉄道線終点の福良ホームから撮影したバス駐車場で手前に大きく写るのはS40年式のふそうMR470=新三菱。下のガーラが並ぶ写真は定点撮影としてつい先日(2022年8月)撮影してきたもの。建物は変わっているが構える方向はほぼ同一である。上の写真の左側の食堂は下の写真でも建物は変わりながら食堂系であるので恐らく当時から同じ店舗なのであろう、と推測するが果たして・・。

 上の写真では「兵2あ」の1600番台の車両も写りこんであるが、黄色小判の「兵2あ」時代は残っている写真や資料から始・終番推測ながら1501?~1710?で、1963年以降に緑大判仕様に付け替えられた車たちである。手前のふそうは「神戸2き」である。

 続いて鉄道線廃止後、軌道敷きを撤去したあとに点在するバスたちで上の写真は元「宇山駅」駅舎なのか、駅名看板も残っている。その横に留まるバスはS40年式、ふそうMR470=新三菱の神戸2き55-03号、下は4灯採用で近代的に見えるS43年式ふそうMAR470=三菱の神戸2き56-08号で貸切車である。

 いずれも鉄道線廃止の1966年秋以降の撮影である。

 

 このように、1963年以降淡路交通は千位「5」が割り当てとなり、縁起も良かったのか後年1990年代前後に同社貸切車に社番?が設定された際もナンバーとは別に「500番台」が付番されていた(大阪淡路交通は300番台)。

 そして時が流れて近年同社は一時期希望ナンバー取得になった。これに関し、あくまでも推測だが次のように考察している。

 1998年5月から3ケタナンバー化先行地区に選ばれ、登録開始された「神戸200か」は翌'99年~'00年掛けて400番台に到達した(因みに「姫路200か」のスタートは1年遅い'99年)。死や苦しみを連想させる「4」を「9」を忌み番と捉える事業者も多く、車両管理を登録番号で行っていると思われる同社では敢えて「400番台」を避けて新しい制度となった「希望番号」で500番台にしたのでは?という考えである。同社H11(1999)年式車が通常払い出しの300番台なので、400を飛ばして500~と考えるのが自然あるが、前述の流れから淡路交通では「5」が良い番号、として捉えられていたのかも知れない。

 このエルガミオが淡路交通で一連指定番号3ケタ時代の最終グループでH11年式、KK=LR233J1。 

※’99年12月、福良車庫にて

 そしてこれが希望ナンバートップの「神戸230あ500」以下3両。H12年式、で型式は同上。現在はいずれも神姫バスに移籍している。 

※'02年12月、宇山車庫にて。(公道より)

 

 この後暫くは希望ナンバー500番台で進番し、下2桁を年式で分けて登録しているが、高速路線用・路線用での区別はなく、同一年式内でまとめている。しかしながら、下2桁40番台は欠番としているのはやはり忌み番と捉えている、とみてよいであろう。ただ、気になるのは50番台も見あたらず、次の年は560~になっている。

 私は希望ナンバーはあまり興味が湧かない人間なので、この頃の淡路交通は真剣に見に行っておらず、抜けがあるかも知れないが、50番台を希望で取ると「555」は抽選対象となり、分類番号が「神戸200」となる。ナンバーマニアでなければそこまで拘らない…とは思うが、50番台を外したのは、そう言うところもあったのか?と勘ぐってしまう…(あくまでも私個人の推測であるので・・)。

 そしてこれは今のところ希望ナンバー導入最終年と思われる、H14年式のエルガでKL=LV280N1(廃車、転籍済)。

年式毎に番台繰り上がりということで欠番がありはしたものの、500番台も終焉に近づいたから、かどうかは分からないが、H15年の新車導入時からは再び払い出しの「神戸200か」となり11-00番台の登録で以後、本年まで希望ナンバーの導入はない。

 

 このようにたかがナンバープレートであるが、されどナンバープレートであり、私の様に昔から研究していると色々面白く、はまってしまうのである。

 なお、1960年代~1970年代の淡路交通の車両写真や資料は手元にあるので、また環境と機会が整えば順次ご紹介したいと思う。