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kumikoのブログ

吉田九美子(四柱推命鑑定士・医学気功師・除霊師九氣.遠隔治療技術士)は、人のお役に立つためのブログを書かせて頂いております。人生の歩みの方向性を見失われた方、霊に悩まされておられる方等、様々なお悩みを解決し、アドバイスもさせて頂いております。

子供は親を見て育ちます

そして、何を聞かされたか

どんな扱いを受けたか覚えており、小さいながらに深く心に残る言葉等も記憶しているのです

反対に、優しく声をかけてもらったり抱き締めてもらった事もその時の記憶をしています


少し私の母の生い立ちを書きますね

私の母親は、両親から溺愛され育ち、家事も一度もした事がなく大人になりました

社会人になっても、お給料は全て自分で使い切り、親のお金で習い事をし、自由気ままに生きていました

そしてほんの偶然に父と知り合い

母の実家の強い押しもありスピード結婚となったのです

でも、母が吉田家に嫁ぐ条件として

お茶碗洗いはしない

でした

こんな条件を持ち、自由奔放で育った人間に妻業や母親業が出来る筈がありませんでした


私の父の両親は、こんな嫁と同居でした

母は自分の両親を奴隷の様に扱って来ましたので、もちろん嫁ぎ先の私の父の実家でも、同居の義父母(私の祖父母)に対して、嫁いだ初日から

不平不満、愚痴、人の悪口、自分の自慢話、そして父と両親を小馬鹿にする見下げた暴言が始まったのです


やっと来てくれた嫁だからと

父や祖父母は母のわがままを出来るだけ聞きましたが、祖母は心労もたたり私が生まれてから3ヶ月で他界、祖父も母からの更なるひどい暴言を毎日聞かされ、祖母の後を追う様に私が生まれた半年後に亡くなりました


私の上には三歳年上の兄がいます

母は兄を溺愛して育てるのが精一杯で、生まれたての私は邪魔で仕方がありませんでした

私が生まれた当時、祖母は既に入院していましたので

生まれたての私の育児は、母方の祖母が来てしてくれました


3ヶ月で祖母は母の世話や私の育児に疲れて大阪に帰りました

それからの私の育児は、当時二十歳くらいだった父の弟(叔父)と仕事から早く帰って来て父がしてくれました


私の母親は、結婚してはいけなかったのです

そうすれば、父は両親を早く亡くす事はありませんでした

その事を何度も父に訴えましたが

父はその度に、お母さんと結婚したからお前が生まれたんだよ

そう言って頭を撫でてくれました


ですので、私はいつもそれ以上何も言えませんでした


兄は幼稚園に通う様になり

2歳の私は母と二人で過ごす事になりますが、毎日毎日うんざりするくらい愚痴や不満を聞かされました

その度に

お母さんは可愛そうに

大変やったね

大丈夫?

最後に、今日もお母さんは綺麗やで

これだけを言わないと、延々と

私への罵倒が始まり、最後にヒートアップした母は私への虐待を始めるのです

まだ2歳になっていない私

(オムツをしていましたから)

私はガリガリに痩せていて、紙の様に軽かったので、簡単に壁や戸に投げつけられてました

でも、私は絶対泣きませんでした

それが母は余計に腹が立ったのです


愚痴や人の悪口

言う方は言えばスッキリしますが

聞かされる方は、本当にしんどくなります

父には、なぜうちは他のお母さんの様に、きちんとエプロンをしてご飯を作ったり、抱っこをしてくれたりお風呂に連れて行ってくれないのか、何度も泣きながら聞いた事がありました

でも、父の答えは生涯変わりませんでした

「病気で寝込まれるより、ましだろ?」でした


お母さんはいない方がいい

と、父がいる時はずっと訴えていました


この時に、生涯胸に刻まれる程の

私の学びは、「諦め」でした

私は三歳で、何か分かりませんが

全てを諦めてしまいました


それ以降、自分の希望なんて言った事もありませんし、おもちゃを買ってとも生涯口にした事はありません

それは、どんなに欲しい物があっても絶対買ってもらえないと分かっていたからです

私は色紙すら買ってもらえない幼児でした

そんなボロボロの姿を見た叔父が

お人形を買ってくれましたが

いつの間にか母親が捨ててしまってました


ですから私の母親像は口では言えないものでした

その代わり、私は本当に沢山の事を母親から学べたのです


不平不満

私は口にした事はありません

(記憶にある限り)


自分の自慢話

(こちらもい記憶にある限り話しません、冗談では話します)


今の私はわがままを言わず

人の為に尽くします

それは多分、わがまま過ぎる人間を見て生きて来たからです


子供は見ています

子育ての最中、親として辛いと思う事がありましても、子供に当たるのではなく、先に我が子を抱き締めてあげましょうね

子供への愚痴は、子供には出来るだけ聞かせず、学びとして話してあげましょうね


私は、精神的にも余裕の無い人物を母親として生まれました

その為、何度も自分なんて消えたいと思い生きてきました

でも優しいお父さんがいる

私がいなくなったらお父さんが悲しむ

その思いだけで生きて来ました


それが学びとなり、私は結婚をして我が子を授かったその日から

大切に大切に育てました

私が育つ中で感じた事

こんなお母さんだったらいいな…

と思った事を学びとして、全て我が子にしてあげました


辛い幼少期でしたが、今は食事も出来ますしお風呂も毎日入れます

その、日常何気ない事ですが幼少期の私には与えられなかったので、私は今でも感謝の気持ちを持ち食事や入浴を行っています


子供に、感謝の気持ちという事への気づきを持たす事は簡単では無いかと思いますが、そんな時はぎゅっと我が子を抱き締めてみあげて下さいね

親の気持ちがきっと伝わると思います

子供は記憶していますからね











そろそろ虫達が活動する季節になりましたね

その中で私達が一番困るのは、自宅の中に害虫が侵入する事ですね


そして侵入した自宅内で爆発的に数を増やすのがコバエです



コバエは、生ゴミやペットのエサが大好きです

また、湿気も大好きなので排水口

やゴミ箱の下等にも集まります

そして人の掃除の手が届かないところに卵を生み、家族を増やします

以前にもブログに書きましたが

出入口やベランダにゴミ袋を置きますと、臭いに誘われてコバエやハエが集まって来ます

出入口の戸や窓を開けますと、その瞬間にゴミ袋に集まっていたコバエ達が自宅内に入り込んで来るのです


ですので  できるだけゴミ類は、戸の内側に置き ゴミの日にサッと持って出るのが好ましいですね


それから台所から出る生ゴミは

上から次亜塩素酸水(漂白剤)を一回シュッとスプレーするだけで

コバエは集まりません


窓や戸を開けたままにしておきますと、害虫は喜んで自宅内に入り込んで来ます

ですのでこれからの季節は

本当にお気をつけ下さいね


害虫はバイ菌も運んで来ます

それらがご飯やおやつやペットちゃんのエサの上にとまるのも嫌ですね

私は今年もハエ取り紙を吊るします

これが一番人体に一番影響の無い

害虫取りだと思うからです

吊るす場所はお台所の端😊


気持ちの良い日々を過ごす為にも

とにかく害虫の侵入に気を付けましょうね




私の好きなお漬物の中に



梅しそ生姜漬という生姜のお漬物があります
細かく刻みました生姜を梅の甘酢に浸けてあるお品です

店頭にはあまり出ておりませんので、殆んどの方はご存知無いかと思います

でもこの生姜
本当に超美味で


お茶漬けにピッタリ
そして、お味は京都風なのです


私は、生まれも育ちも京都ですので、普段の食は大変質素です

昔からいいますね
京都は着道楽
大阪は食い道楽
京都人は着物にお金をかけ
大阪人は食にお金をかける

私の京都の実家の近くにお住みの
おば様方は、皆様本当に質素倹約です
高価なお品が並ぶコンビニには行かず、お安い食材を上手に購入され、薄味に味付けをされて召し上がられます
私はそんな町で育ちましたので
おかずを多い目に作りましたら
必ずご近所に配り、立ち話をしてしまうのです

実家に帰りますと、いつの間にかたくさんのおば様方が集まり、楽しく話してしまいます

私はそんな環境で育ちましたので
ドアに鍵を掛け、お隣に誰が住んでいるか分からない今の環境は
少し住みにくいと思う事がありますね

私は毎月京都へ帰りますが
帰りましたら、実家の玄関の戸は
開けたままです
これを開けっ放しといいますが
それが私にとりましたら、凄く居心地が良いのです
名古屋の今の住居では、開けっ放しは命取りになりかねませんね

仕事でお客様とお食事に行きます時は、少し高価なお料理を食しますが、普段の私は質素を楽しみます
きっとそれが好きだからですね
何でもある飽和な現代
要らないものはどんどん捨てて
新しいものをどんどん買う
一つの物を買ってそれを大切に使う時代はもう無くなってしまったのですね

昭和の時代、壊れた傘は必ず直しに出しました
でも今は、傘が壊れたら捨てる時代なのですね

どんどん贅沢になる今
これからの未来を思いますと
私は少し考えてしまいます

明日の朝もこの生姜を頂きます
それが少し楽しみな私です
ま☺️