先週の日曜(5月23日)は、福井県福井市の福井放送会館6階シアターホールにて、「ふるさと歴史講座 中島道子作家生活25周年歴史講座」が開催され、福井県三国町出身の歴史作家・中島道子さんの作家生活25周年歴史講座に、ゲストとして同じ福井県三国町出身のシンガーソングライター、横田はるなさんとヒナタカコがミニコンサートで参加しました。
歴史作家の中島道子さんについては、このヒナタカコスタッフブログでも紹介されていただいていますが(中島道子さん関連記事)、55歳まで地元・福井で教員生活を務めあげ、それから第2の人生として上京して作家の道を歩まれたという、まさに伊能忠敬のような方です。作家生活25周年といっても、作家としてのスタートが56歳からということで、現在80歳を超えておられるも、非常にお元気でいらっしゃいます。
私は、前日(5月22日)東京の原宿アストロホールで、他にサポートしている半崎美子さんのライブがあり(横田はるなさんもこのライブに出演)、それからライブ打ち上げなどがあって帰宅は午前4時前。ほとんど寝ずに当日(5月23日)早朝、東京を発ち実家の鯖江で下りずにそのまま福井駅へ。体はつらくても、中島道子さんの歴史講座がとても楽しみでしかたがありませんでした。
私が先に会場の福井放送会館に入り、その後、金津中学校との交流活動などで約1週間前から福井に戻っていたヒナタカコさんが実家の三国からキーボード一式を持って車で会場入り。その後、横田はるなさんは前夜の東京・原宿のライブを終え、深夜バスで福井に戻ったそうで、やや睡眠不足の様子で会場入り。
それぞれのリハーサルを終えた後、控室で、ヒナタカコさんと横田はるなさんは、初対面の中島道子さんにご挨拶をしたものの、講演前にもかかわらず、中島道子さんの止まない語りが控室で展開されておりました。中島道子さんのパワーに完全に若手シンガーソングライター2人は圧倒されていましたね。ヒナタカコさんは、中島道子さんの前ではそれはそれはおとなしいものでした。横田はるなさんは、FM福井のパーソナリティを務めているだけあってか、中島道子さんとの会話をなんとかつないではいましたが。
この日のプログラムは、14時開演で、第1部は、中島道子歴史講座「明智光秀と私」。第2部 横田はるな&ヒナタカコ ミニコンサート、第3部 中島道子歴史講座「怨念の絵師 岩佐又兵衛」という構成。
第2部では、横田はるなさんが最初に登場し2曲歌い、ヒナタカコさんにつないでヒナタカコさんも2曲を歌いました。今回は音響でトラブルがありましたが、そのことを除外しても、主役である中島道子さんの講演が光っていましたし、観衆の関心を強く引きつけていましたね。特に、第3部で「山中常盤物語絵巻」の解説は、さすが三国中学教員時代にも演劇部顧問で張り切っておられただけあってか、講談のようであったと思います。1部も3部も、ともに大変興味深い歴史講座で、私は大満足でした。
もともと、今回のプログラム主催の勝木書店の海東部長さんと、ずっと以前から、世界感が近いヒナタカコの音楽と作家の方の講演のコラボ企画ができたらと話をしていたことがあり、遊女の歌を歌うヒナタカコの「碁盤の女」と、中島道子さんのデビュー作「越前三国湊の俳人 遊女哥川」との組み合わせて、江戸期の三国湊の歴史文化講座などと思っていたことがありましたが、中島道子さんの人間洞察の深さや話の深さに感銘し、まだまだ足元にも及ばないと思い直しました。
「相手に惚れなきゃ、いいものは書けない」と、中島道子さんはよくおっしゃられますが、まさにその通りで、明智光秀にしても岩佐又兵衛にしても、中島道子さんが惚れているのが良く分かるような、熱弁だったと思います。加えて、中島道子さんの講演でも強調されていましたが、人との出会いほど劇的で運命的なものはないと、岩佐又兵衛の人生を通じて改めて思いました。
この日のプログラム終了後、私は、会場でヒナタカコさんと別れ、その後、福井市内の喫茶店で別の打ち合わせをして、最終列車で福井駅から東京に戻りました。それにしても、この日も、中島道子さんには、私はいろいろと突っ込まれ、また東京に戻ったら話をしましょうと、有難いお言葉をいただいております。それにしても、福井での学生時代に中島道子さんが自分の先生だったら、自分はどんな影響をうけていただろうかな?と、今日の楽屋での中島道子さんの話や会場での講演を聞いて思ってみました。
◆今年5月に復刊となった中島道子著『怨念の絵師 岩佐又兵衛』(河出書房新社、初版1992年4月)