この写真のひとコマの中に
詰まっているなと思う。




先日あるお客さんとのお話の中で
『今、幸せです』って言ったら

『幸せ、って何ですか?』
って聞かれ。


私も以前
同居·介護·田舎で悩み病んでた時期
無気力笑えない鬱みたいな時

幸せって何だろう?よく考えた。








例えばアフリカのような物質的に
日本と比べても何もないような地域。
水道ガス電気、食べるものも不足


日本ではまず
そこまで食いっぱぐれる事はない。







私もその当時、衣食住は困ってない。
物質的にはよっぽど豊かだ。
40過ぎにして本当に好きな人と
やっと結婚出来た。




でも、心が窮屈で苦しくて
全く笑えない。

贅沢なのか??
何なら生きてるのが苦しい。






何なんだろう。
環境は整っていないのに
あちらの子供達の方が
よっぽど笑顔で
笑って自由で幸せそうに見えた。


でも離婚したら幸せになる?
何か、違う気がした。
それも束の間楽になった気がするだけで
やっぱり心満たされないというか。




幸せって何なんだろう、
考えさせられた。






そんな時期に
引き寄せの法則や色んな人にも出会って。

自分の欲しかった答えが
見つかるキッカケになった。






そしてその時期
日本でも大きな災害が起きたりして
災害の跡や避難所生活が
報道で目についた。

たまたま自分の住んでいる地域は
災害から免れているけれど
水道、電気、
温かい飲み物、お風呂
足を伸ばして寝れる事、
道路がある事すらも
当たり前ではないのだなと。





私も何もなく平穏に過ごしていたら
当たり前に『在る』もの
有り難いの意味
自分が生きてる意味
きっと考えさせられる事も
なかったのでしょう。


人って
窮地やピンチに陥った時に
本当の意味で
考え方や生き方を
見直させられるのだと思う。




逆に言えば
そんな事でもないと
なかなか考え方や生き方
変えようと思えなかったりする。






自分にとっての本当の『幸せ』は
何?






それは時に
深い悲しみや
傷付いたり、傷付けたりする中で

じゃあどうしたらいいのか、
どうしたいのか、
気付く事も多くて。






流されるように
何も感じないように生きてると
分からなくなる。





それ(自分にとっての本当の幸せ)も
自分に深く問いかける事も
大切な時間なのだと思います。






何もないような
何があっても無くても幸せで。
この時間、
心穏やかに1日が終われ
眠りに付く時

有り難いなってシミジミ思う。


だからそれ以上の欲を持たない
っていうのでも全然なく。

もっと!っていうのも
自然な欲だと思うけど





でも今、
目の前の幸せを感じていると

死ぬ時も
同じ感覚で死ねるかな、と思ったりする。

それが明日でも
1年後でも。

そう、死にたいなと。





前に父親と口論なった時
父親に対して『死』って言葉を吐くのに
一瞬ためらった。

でも、だから敢えて
言おうとも思った。



実際入退院を繰り返し
今回の退院は完治の退院ではない。

そろそろ現実的になってきたから。
今までだったらためらった言葉。



私自身の死生観が
変わった事もある。


でもウワって湧いた言葉を
止めないと思った。

『1日2日薬飲まんくても
 死なへん❗❗』




父親にしてみたら
『薬飲まず
 死んでもいいと思っとるんか!』
位、言いたそうだったけど。


もしそう言ってきたら
これは誤解を怖れずに言うと

じゃあ、仕方ないよね、と。

『死ねばいいじゃん』

思った。




そんな簡単に死なないとも思ってるし

本当に死んでしまえ!、
と思ってる訳でももちろんない


元気に過ごして欲しいと
思ってる。





でも薬が飲めなかった事で
そうなるのであれば
そういう人生だったのだろうと。




実際お薬も
全否定する訳じゃないけど
『気休め』だとも思ってる。


薬に限らず。
自分の中でそこに
『依存心』が芽生えた時
無くてはならないものになっていくだけでね、





で、死ねばいい、は
それは私自身にも言えて。

明日何かで死ぬとしたら
助からないのであれば
誰のせいでもなく
そういう人生だったのだろうと。




でも、大前提として
やっぱりその人の人生は
その人のもので。

産まれて来るのも
死ぬ時も
起こる出来事も
その人の選んだもの。



もし薬も必要なら
父親の発するもの次第で
用意されたり
何らかのサポートが入ったりもするのだろう
と思うから。




実際もちろん家族の私達も
気付いた時点で
色々動いた。

病院の人達もわざとじゃない。

それを
『どちらが悪い』の世界で生きるのか

すぐに気付けて良かったね、
『赦し合い』の世界で生きるのか。




私もこの父親と
今は亡き母親の元に産まれ、育ち
色んなものを見てきて

一時は毛嫌いしたり
ああはなりたくない、思ったり

私は不幸だとか

ああ、やっぱり親って
スゴいなって思ったり。
恵まれていたんだな、と気付かされたり。





あの父親や母親を選んで私は

自分や周りの世界を赦す事、
本当は既にそうだった事、

新たに創って行ける事を
今も一つ一つ知っていってるんだなと思う。