億女大学ゼミ中はとにかく、


さやちゃんをこんな間近で

見れる!泣き笑い

話しが聴ける!目がハート

でテンション上がるのと同時に


ちょっと緊張感もあって

発言までは出来なくて

ふむふむ、って聞いてるので精一杯。



でも、なるほどな事ばかり。








今回のテーマが

「トラウマ」だったけど。


自分の中の1つ目のトラウマは

行く前に気付いた父親への怖さ。




2つ目は講義中に。


誰かの発言にピクッと反応して

気が付いた。


その言葉を聞いた時に

自分でも思いがけずすごく耳に残って

目がウルっとしたのね。










「母親より幸せになっちゃいけない」








誰かの話の中にこのワードを聞いた時

私の中ですごく反応した。




あ、私もまだどこかで

そう思ってるかもって。




母親が暴力を受けてた記憶もだけど。



母親は私達の前で

2度死のうとした。



どちらも夫婦喧嘩の末、


1度は道路に飛び出して

車にはねられようとしたり。


1度は家の2階のベランダから

飛び降りて。


飛び降りた瞬間

何が起こったのか分からなかった。


ま、もちろん2階だから死ぬまでは

行かず、骨折して入院だったけど





父親が母親に馬乗りになって

首締めた。

その後「もう死にたい」って

突発的に取ったその行動自体が


子供心に目の前で見てて

ショックだったよね。





まぁ、毎日毎日が

そんなばっかりではなかったけど

そんなこんなを見て

その後母親56歳での死だったから




母親の人生は何だったんだろうって。




母親は今世

幸せじゃなかったんじゃないか、


まして、

ちょっと前までは

死に際の私の罪悪感も手伝って


そんな私が

幸せになれるのか、

母親あんな不幸だったのに

これ以上望んでいいのかなって

まだどこかで思ってたかもと思った。







でも、


この罪悪感っていうのは


結局誰も幸せにしない。






私も数年前からそれに気付いた。





なんなら罪悪感って、周りの人にも


「お前も罪の意識持てよ!我慢しろよ!」


そんなエネルギーをまき散らす。





それってどっちも不幸だよね




それを知って、これは私も

義理の家族捨てる(嫌われる)覚悟と同時に

自分を幸せにする覚悟した。




もちろん、義理家族を

不幸にしたかった訳じゃない。


でもまず、自分の幸せを選んでいい、

っていう許可を自分にしたという事。





それ選んだ方が

何ならもっとみんな幸せになるよ、

とも聞いたから。


だってWinWinな世界だからね。


そしてね、ホントにそれ選んでも

結局みんな幸せにしかならなかった。





一見スゴいワガママな事のようだけど

やっぱり純粋な私の喜びは世界の喜び。


それもホントか半信半疑ながら

試したらホントにそうだったから。





だから、罪悪感って


言葉悪いけど

自分を不幸ぶって可哀想な人でいたくて

いい人でいたい言い訳な気もする。

(私はそうだったちょっと不満)



罪悪感持って可哀想な自分でいる事で


「私、可哀想でしょ?」


「不幸な人だから動いてやらない」


そんな拗ねだよね。




そして動かない事で

リスク取らないし自分が傷付かない。







そして実際、私も何ってあの頃

例え離婚になったとしても


母親の幸せな顔が見たかった。

笑顔がいっぱい見たかった。







私は今子供はいないけど

犬が子供代わりで笑い泣き


でも、サブ(犬)が私のせいで

幸せなれなかった、って思って欲しくないし

存分に幸せ選んで感じて欲しいと思うもんね。



親心としてもそうなんじゃない?と想像する。





引き寄せの法則も

ちゃんと理解してたら


誰かの幸せで誰かが犠牲になったり

誰かのせいで不幸になるってあり得ない。




だから、誰もが遠慮なく

純粋に自分の笑顔になれる事、

自分を幸せにしてあげたらいいんだよ、って

私も私に改めて思ってね。




でも自分の喜びって

追求していくとやっぱり

誰かの笑顔や喜ぶ顔が見たかったり。

他の喜びにも繋がってるのね。







口も悪いし

見栄っ張りだし、

ゲスくてセコい私だけど



この罪悪感からも

そろそろ卒業しないといけない。



母親より

もっともっと幸せになっていい!




そして死に際また改めて


「今世産んでもらえて良かった!ラブラブ

 めちゃ幸せでした!ラブラブラブ


って伝えれたらいいよね照れ