こぽこぽこぽ……・。
 気持ちの良い水音がする。誰かが潜っているのだろう。深い深いプールの中を。
 今日は清清しいほど快晴で、誰しも海水浴がしたいと唸る暑さであった。そんな中、一人でプールを独占している少女がいる。彼女は長い金色の髪を掻き分け、色っぽくサングラスをし寝そべっていた。謂わば、彼女はお金持ちでプライベートルームを所持しているのだ。水がもともと好きだった彼女は、大規模なプールを両親に作って貰った。夏になると毎日のように飛び込み、そのまま二時間は水の中に潜んでいる。
 彼女はぱちんと親指と中指を弾いた。すると、家臣達がどこからともなく現れ、ジュースのようなものを持ってきた。
「あら、ご苦労様」
 当たり前と言う風に呟く彼女。だが、家臣達は厭そうな顔ひとつせず「有難う御座います」と囁き、またさっと消えてしまった。艶やかな横顔に年相応ではない水着。彼女は元々大人のような凛々しい顔立ちをしているが、実はまだ十四歳の若造なのだ。だがしかし、その風貌に騙される男性は少なくない。二十歳くらいに見えたりして、老爺にワルツに誘われたことだってあるし、何回も大人の男性に告白をされた。勿論、成人してると見てだろう。そして、実年齢を知ると血相を変えて逃げていく。そんな男性ばかりを、彼女は見てきた。
 彼女はグラスを傾け、それに映る自分を見つめる。昔のように輝いた瞳ではない。寧ろ、穢れている。この世の全てを軽蔑しているようなそんな瞳をしていた。そして、また彼女は金色の髪を掻き分ける。まるで涙を隠すようにうつむきながら……。

 がさごそ、何か音がする。彼女ははっとし、涙を止め即座に拭き「誰だっ」と大きな声を張り上げる。家臣達ではないのは確かであった。何故かと言うと草葉に隠れる家臣達はいない。恐らく、迷い込んでしまった子猫だろうと思い、彼女はそおっと歩き出した。子猫だったら飼ってやろうという考えが生まれる。すると、青年二人の囁き声が聞こえた。
「や、やばいぞ……」
「に……逃げられないよな」
「謝るか」
 彼女はその声が聞こえたので一瞬足を止めたが、行き成り怒りが込み上げてきたので、咳払いをひとつし声のトーンを低くして怒鳴った。
「其処にいるのは誰だ! 早く出てこないかっ。そうしないと、警備員を呼ぶぞ」
 勿論、脅しで警備員を呼ぶことなんて出来るわけがない。すると、其れが利いたのか、男二人はすっと手を上げてゆっくりと立ち上がってきた。顔立ちは普通で恐らくその服装からしても一般市民であろう。彼女はニヤリと笑うと息を吸い込もうとした。すると、一人の男がさっと動き彼女の口を塞いだ。
「すまん、お嬢。すこうし黙っててくれないか」
「そうそう。俺達は此処に遊びにきただけなんだよ」
 彼女は足をばたつかせ彼の掌を振り払おうと、必死に抵抗している。しかし、男の力には敵わなく、其の儘両腕を拘束されてしまった。余り痛くないのは彼らなりの配慮であろう。男二人は何事もなかったように水を掛け合っている。彼女が思ったのはただひとつ、暑苦しい。

「お、お前らっ! もう一時間は過ぎている。早く帰れ」
「そう言われても……。んじゃ、約束してくれよ」
 一人の男が「よいしょ」と呟きながら這いあがってくる。彼女は一歩後退りをして簸たと精一杯にらみつけた。其れにあわせるようにもう一人の男も這い上がってくる。
「また此処に来ていいか? 次は一緒に遊ぼうぜ」
 純粋無垢な彼らの表情。恐らく、年端は二十歳を過ぎているだろう。しかし、その瞳の輝きは今の彼女よりも輝きを放っており、荒んでなどいなかった。「嫌だ」といったら、勿論、素直に引き返してくれるかもしれない。だが、彼女は何故か寂しく思えた。
「い、いいわ。それより先に縄を解いてよ」
「ああ、それね。ちょっと手を動かせばすぐに解ける。だからいいだろ」
「俺達だってめいっぱい遊びたいんだよ」
 彼女は言う通り少し手を動かした。すると、容易く縄は解けた。彼女は立ち上がり、髪を掻き分けて、サングラスを外す。可憐で美しい顔立ちが露になり彼らの頬は真っ赤に染められた。ふふっと彼女は笑って腰に手を当てた。

「いいわ。私の名前は大道寺エミリ。あなた達は?」
「お、俺はマサト」
 ちょび髭が生えており、もう一人の男よりも体つきは良い。髪形は彼女と同じ金髪だ。しかし、染め上げており、不良という二つ名が似合う男だ。だが、性格はとても気遣いがよく優しく無邪気である。
「俺はケンジ」
 少し背が低く頼りなさを感じる顔をしている。だがしかし、物凄く太い眉毛が特徴的で愛らしくも見える。嵌ると面白いというのはこの男だろう。
「マサトとケンジ……」
 そして、彼女の瞳には輝きが少しだけ蘇った。

 こぽこぽこぽ……。
 やっと見つけた。水の中以外の、素敵な私のタカラモノ。

fin
 
 夏、というのはひとつの恋物語が出来上がる。と何処かで聞いたことがある。といっても、私は其れは信じることはない。誰かが言っていたことなんて大抵は嘘で作り上げられているのだ。本当のことなんてまったく無いといっても過言ではないほどだ。こんなことを言えるのは、遥か昔の夏に淡い恋をしたからである。とても哀しい夏の出来事だった。



 確か、私が中学生のころだったと思う。あの頃は流行っていた可愛らしい三つ網をしていた。けれど、幾ら髪型が可愛くてもその人の顔立ちなどを変えることなどないのだ。私は不細工で男子に告白されたことも、碌な女友達もいなかった。性格も大してよくないし、顔なんて酷いものだ。大きな鼻と小さな瞳に、大きく見せるための眼鏡。大きな鱈子唇に、肌は物凄いがさがさだ。当時の呼び名は「怪獣」だ。嗚呼、なんて哀しいのだろうか。その頃は、心もなにもない状態だったような気がする。私に対して優しくしてくれる人なんていないんだ、と思ってた頃だった。けれど、その期待はいい意味で裏切られたのである。

 いつものように過ごす日々。神々しいほどの青い空。だだっ広い背中にシャープペンシルを突っつかれると、私は授業だということを忘れて「ひえっ」という奇妙な声を出した。周りから冷たい視線が集まる。顔を赤らめて辱めを受けていると、もう一度シャープペンシルを突っつかれた。酷い悪戯だ。なので、私は静かに涙を流すことにしたと決意した直後、やさしい声で誰かが名前を呼んだ。
「春日さん」
 教師ではない。聞いたこと無い声。やさしく澄んだ男の子の声だ。思わず後ろを振り返る。すると、無邪気な笑みを浮かべてる見たことの無い男子生徒がいた。この人はまだ私を見たことが無いから分からないのだ。しかし、その笑みは揺るがなく、とても天使のような顔立ちをしていた。私の顔を見ても平気だと言うのだ。
「ねえねえ、この問題分からないから教えてくれない?」
「な、なんで私……?」
「春日さん、頭いいって評判だから」
 少年のようなあどけなさの残る笑顔。癒される、というのはこういうことなんだろう。私の少しの黒いものが浄化されていった気がした。周りから見ると、美少年と野獣といった感じだろう。その男子生徒は本当に容姿端麗で一見、チャラ男に見えるが実は誠実な男子だった。名前は折笠君というらしい。下の名前は教えてくれなかったけど、いつか分かることだ。そういえば、こんな人いたっけ。などという疑問もちらほら頭を過ぎったが、気にしないことにした。そして、いつからか恋心を抱くようになった。

 友達といるよりもその人といる方が楽しくて、面白くて、お弁当の時間も休み時間も折笠君とばかり話していた。友達からは「どうしたの」なんて聞かれたりしたけれど、普通にはぐらかす。
「折笠君と話したいの」
 なんて言ったら訝しげな表情をされて、その日話してくれなくなる。その瞳はおかしな人を見るような目つきで、背筋を震わせた。
 そして、「春日さん可愛くなったね」と言われ始めたのもその時期である。折笠君からもだけど、他の人達からも言われるようになった。だって、密かな努力をしているから。折笠君の為に、洗顔フォームで顔を洗うようになったし、コンタクトをつけるようにした。そしたら、肌はぴかぴかになったし、ほそっこい瞳も少しは大きく見えるようになった。唇や鼻は仕方ないとしても、瞳と肌を精一杯直した。すると、だいぶ変わった。友達も増えたし、男子生徒も近づいてきた。いつからか、折笠君と話す時間が少なくなっていった。

 夏休みが始まろうとする一日前。折笠君が「放課後話したいことがあるから」と、いつもと変わらないあの笑顔で告げてきた。けれど、声色は相当深刻なものを指していた。この誘いを断るわけにはいかない。私も、折笠君に伝えたいことが沢山沢山あるから。その日は授業時間が長く感じた。折笠君が話しかけてくれなかったのもあるし、放課後のことが気になって仕方がなくなったからである。先生の話も耳に通らなかった。ただ、動く時間だけを見ていた。それだけだった。そして、やっとのことで全校生徒が帰っていった。嗚呼、すがすがしい空気だけが教室を流れる。すると、黙っていた折笠君が急に口を開いた。

「ねえ、春日さん。僕が君の事を好きって言ったら、どうする?」
「どうする……って」
 私が期待していた言葉。なのに、何故か恐怖心を感じる。乾いた唇を舐めて、次の言葉をつむごうとした瞬間、折笠君が休まずに言葉を続けた。
「やっぱり、ともだちのままって……厭かな?」
「なんでそんなこと……」
「だって、春日さん。僕のこと好きなんでしょ? いっつも聞くよ。君の友達から」
 怪しい笑み。どうしたのだろう、いつもの折笠君ではない。

「でも、御免ね。君みたいな人と恋人にはなれないんだ。期待させちゃって御免ね」
「え……?」
 何を言ってるんだろう、この人は。思考回路が一時停止に落ち込んだ。
「可愛くなろうとしても、全然可愛くないよ。この三つ網、引きちぎってやりたいくらい。あ、もう時間だ。じゃあね、春日さん」

 嗚呼、世界が滲む。周りの景色も全て何もかも。最初から怪しいとは思っていた。折笠君が稀に見せる、あの表情は幻影なんかじゃなくて、友達が稀に見せるあの怪しい笑みも、全て仕組まれていたことだったんだ。なんて私は莫迦だったんだろう。トイレに行って、鏡を見てみる。嗚呼、魔法は解けてしまったようで醜い顔をしている。私は酷く涙で顔を濡らした。
「折笠君……。ともだちじゃなくて……」
 嗚呼、可愛そうな娘。世界中がそういっているような気がして、酷く心が蝕まれた。



 だから、私はもう恋なんてしない。男友達も作らないし、恋人も作らない。結婚もしない。別に困ることは無いと思う。恋人にもともだちにもなれない季節なんて、要らない。夏なんてもう……要らない。


fin

「……よし、此処でいいか」
 一人の青年が望遠鏡を立てた。容姿はとても小柄で、顔つきはまるで小学生のようなあどけなさがある。しかし、この男はこの高校の生徒であり、一応生徒会長であったのだ。名は東真之介。サボリ魔、遅刻魔などで評されている、所謂、餓鬼大将である。生徒会長であるのにも関わらず、校則に則ろうとしないし、いつも悪さばかりを行っている。先生達からの目は勿論、悪役である。
 一人佇む一人の少年。今の時刻は凡そ六時で、星空が瞬き始めるのは七時くらいだろう。彼は、此処に天体観測する為にやってきた。勿論、屋上は入ってはいけない場所だし、最終下校時刻はとっくに過ぎているのだ。なのに、彼は不法侵入をし勝手に寝そべって今にも暗くなりそうな空を見つめている。

「あ、そいえばあいつと約束したなあ……」
 と彼が思いついたように呟くと、可愛らしい少女の声が聞こえてきた。
「しーんのすけっ!」
 溌剌とした発声のいい声。容姿も端麗でスタイル良し、真之介より遥かに高いその身長。だが、真之介は「うげっ」と苦虫をつぶしたような顔をした。そして、真之介は起き上がり異議を唱えた。
「な、なんでお前が此処にいるんだよっ!」
「なんでって……。勿論、みほの代わりに決まってるじゃない」
 真之介が一緒に見ようと約束したのは、ガールフレンドの鈴木みほであった。しかし、現れたのは天敵である三河佳代であった。小学生のころからの幼馴染でいつも顔を合わせば喧嘩ばかりである。だが、周りの人達からは何よりも楽しそうに見えるらしく、誤解を受けている。佳代は真之介の視線を遮って隣にちょこんと座った。

「ちょ、俺は許可してないぞ……」
「あ、真之介、みてみて。ホラ、すっごい綺麗よ」
 星空が瞬く時間が来てしまった。真之介は項垂れたが、すぐにその星空に視線をずらした。すると、顔が火照っていくのが判る。
 ――嗚呼、どうせまた風邪か。
 星空の光にあたる佳代の顔をずっと見ていた。いつもは判らないが、とても綺麗な横顔で星空を見るのを忘れてしまうほどだった。それからだった。彼の人生の歯車が狂い始めたのは……。



「へー、先生にもそんなロマンティックな過去があったんですね」
「ああ。そうだぞ」

 木刀を持ち、真之介は自慢らしげに話していた。おそらく説教の途中だったのだろう。しかし、話は逸れてしまっていた。世間一般で言う、恋バナに花を咲かせてしまったのである。

「で、その佳代っていう人とはどうなったんですか?」
「いや。どうも。寧ろ、みほとうまくいったなぁ」
「はあ?」
「でも、星空は綺麗だったぞー。お前もどうだ、彼女と一緒にいくって言うのは……。あ、許されないな。うん」
「どっちですか……それでは、失礼致します」

 愛想を尽かれてしまった。生徒に愛想を尽かれるのは、教師の中で恐らく真之介くらいであろう。いつもは鬼と呼ばれている真之介も思い出話に花を咲かせると、態度は急変してしまう。みほや佳代の話になるとそれがすぐ手に取るように変わる。

「あ、ちょっと待てっ! 女と星空を見たらどうなるか教えてやるよっ!」
「はい?」
「ま、俺の場合は失敗したんだけどな……」

 ――両思いに――



「ね、真之介」
「あ?」
「これからもずっと友達として仲良くしてね」
「ああ。この星空にかけて誓ってやるよっ!」
「ふふふ。みほを幸せにしてやってねぇ」

 彼女の瞳からは大粒の涙が。彼の瞳には輝きが。嗚呼、まるで儚く切ない二人の想い。

fin