日が暮れる瞬間の太陽と一番星。

肉眼ではそこにまだ太陽があるとわかりませんでした。

 

 

 

「このままだとひきこもりになっちゃう」

この言葉をよく耳にします。

多くは保護者から。

ご本人からも聞くことがあります。

 

 

 

厚生労働省の定義だと、

学生とかバイトといった肩書を持たず、

生活必需品程度の買い物ができる人を含めて

6か月以上家の中で過ごしている人のことを

ひきこもりと呼んでいます。

 

 

 

でも、「ひきこもり」に対する不安を持っている人にとっては

厚労省の定義など実は関係なく、

自分の肌感覚で

どのくらいうちが「ひきこもり」との距離が近いか、

ということに関心があるのです。

 

 

 

「このままだとひきこもりになっちゃう」

と考える人の多くは、

現状から推測してそう思っているというより、

「いついつまでになになにができるようになるか」

「できているはずのことができていない」

ということに視点を置いて判断している人が多いようです。

(これは私の肌感覚ですが)

 

 

 

「今、これができなくて不自由を感じる」

「これができるようになるには

どのようなことをしたらいいか」

「これができるようになるには

実際どのくらい時間がかかるだろうか」

こういうことを考えられる人はひきこもりとは呼ばないと私は思います。

 

 

 

ですから、

「このままだとひきこもりになっちゃう」

と思う人は、まず、

今何ができなくて不自由を感じているか、

それができるようになるには何をしたらいいか、

そして、実際にどのくらい時間がかかるだろうか、

ということを考える習慣を身につけるとよいと思います。

 

 

 

これらの問いの答えが見つからなければ、

人に聞けばよいのです。

そして、人に聞くことができるのならば、

あなたはもうひきこもりとは呼べません。

今、たまたま問題を抱えていて

人よりちょっと長めに家にいるだけの人です。

 

 

 

少し前から「発達障害」という区別が始まって、

発達障害か否か、という判断が

教育の場や就職の場に持ち込まれるようになりましたが、

「ひきこもり」の概念もなんだか似てきたなあと思います。

「発達障害」は他人から区別される概念だけど、

「ひきこもり」は自分で区別する概念、

という違いはあるような気がしますけれど。

 

 

 

「このままだとひきこもりになっちゃう」

ということは今はまだひきこもりではないという自覚があるのだから、

必要を感じた時に社会に戻ればいい。

お金がなくなった時に仕事をすればいい。

 

 

 

今までが計画通りではなかったにしろ、

違う計画を立ててつじつまが合えばいいんだ、

人の立てた計画に自分を合わせるのではなく、

自分に合わせた計画にすればいいんだ、

くらいに思っていればいいのだと思います。

 

 

 

そういう風に思えた人が

ほんとうにひきこもりになった後でも

立て直しができているように見受けられます。

 

 

 

 

 

ポチっと応援お願いします

↓ ↓      ↓ ↓   

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村