写真におさめると、ジオラマみたいになる。

あとはやっぱりゴジラがほしいな(笑)

 

―――――――――――――

 

 

昨日のオリンピック開会式。

私はとても楽しめました。

私はオリンピックイヤー生まれなので、

1964年の映像は興味を持って見てきました。

ブルーインパルスと鳩はきっと今回も出てくるかな、

と思っていたら、やっぱり出てきました(笑)。

ブルーインパルスを飛ばした担当者、

時代を反映してリアル鳩を紙に変えた企画者。

各々が自分の知性を駆使して、

良い作品を作ろうと100%コミットして

作業したのだと想像しながら観ていました。

 

 

 

人間は捨てたもんじゃない。

自分の役割を精一杯演じる時、

生きている甲斐を感じるんだろうな。

 

 

 

行進曲が全部ゲーム曲だったのも

ニクイですよね。

サブカルチャー国ニッポン、やるよね!って感じ。

 

 

 

ところが報道番組を観ると景色は一変します。

観客を会場から追い出しても

会場の外は人だかり。

路上飲みの映像は

外国の暴動の映像みたいにわちゃわちゃしてる。

SNSを見れば、

開催直前まで「辞めろ」「辞めろ」と大騒ぎ。

命が何よりも大切なのは世界共通しているから

彼らの主張は正しいのだけれど、

なんだか世界中の人に押しなべて「辞めろ」と主張したり

アスリートを犯罪者のように言うのは

ちょっと余計なお世話じゃないかなと思います。

 

 

 

だって、もし自分がアスリートで、

この日のために命をかけて練習してきて、

それで国が「出ていいよ」と言ってくれたら、

私だったら喜んで出るな、と思うからです。

「オリンピックに出られるならあとは死んでもいい」

と思う人がいたとしても、

それは責められないのではないかな。

 

 

 

みんな、「自分だったら」と真剣に考えているのかな?

 

 

 

「問題を広げれば広げるほどカオスになる」

というのが最近のコロナやオリンピックの議論を通じて感じることです。

 

 

 

自分の幸せ、子どもの幸せ、

いや、幸せなんて大げさなことではなくて、

自分の明日が満足いくものになるか、

子どもの明日が満足いくものになるか、

それだけを考えるだけで十分なのではないかな、

こんな時代ほどそうなのではないかな。

 

 

 

自分と子どもの明日に

オリンピックの是非は関係ない。

コロナ対策も与えられた対策を講じるしかない。

聞かれれば自分の意見は主張するけれど、

人の人生にまで口出しするつもりはありません。

 

 

 

社会参加も子育ても、

その人となりが反映されると感じます。

子育てでも、問題を広げれば広げるほどうまくいきません。

目の前の、今日できることを精一杯やる、

その積み重ねが子育てですものね。

 

 

 

子どもの卒業後はどうなるの?

就職できなかったらどうなるの?

就職先によっては幸不幸が決まってしまうのでは?

将来ひきこもりになったらどうなるの?

こういう見えない将来の準備をするほど混乱します。

子育てに関しては特に

見えないことの予防をするのは非合理的です。

 

 

 

私は深く考えずに

目に見えたものが素晴らしいと思ったら喜び

心がもやもやすることからは離れたい。

自分の気持ちがもやもやしている時は

何も生み出すことができないから。

 

 

 

 

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