今年初めて柿を食べました。

柿は2番目に好きな果物です。秋の常備品です。

1番好きなのは・・・いちごです。

 

 

 

どうしても抗えない(あらがえない)障害がある時

自分の力ではどうにもならないことがある時

運命を恨むしか他にやることがない時

人は自殺を考えることがあります。

 

 

 

写真にあるような柿を見て、

秋になったら柿が食べられるのは嬉しい、

だから人生捨てたもんじゃない、

なんて思えればいいのですが、

そういうわけにはなかなかいきません。

 

 

 

富を手に入れても、

名声を手に入れても、

人は心が枯渇するのです。

 

 

 

よしもとばななの名を聞いたことがない人は

いないのではないかと思うくらい

彼女は有名な小説家です。

彼女の作品はデビュー当時からヒットして

多くの人に読まれています。

ちょうど彼女が30代だったころが

一番売れていたのではないでしょうか。

 

 

 

30代の後半に書かれた小説に「アムリタ」

という作品があります。

これはかなりコアなフアンが好む小説です。

(スピリチュアルと哲学が混ざったような作品)

このあとがきに彼女はこんなことを書いています。

今日はそれをご紹介します。

売れっ子だった彼女の人生に何があったのかは

読者には知るよしもありませんが、

きっと彼女も私たちもおんなじで

上も下もそれ以上も以下もない。

だからなおさらリアルなメッセージだと思うのです。

 

 

 

―あとがきより抜粋―

 今のところ、これから先そういうことが起こりそうな傾向はないが、もしも人生で自殺というものに同意することがあったとしたら、多分それはこの時期だろうと思う。だから私には自殺のシステムがよくわかるようになった。他人を殺せないから自分をなくしてしまうのであり、自分を好きになれないからなにをしてもどんどん自殺という名前の沼におぼれていくのだ。だからこそ、その状態になった人に言いたい。くだらなく重く思える日常を大切にしてほしい。自分のすることのなかで、そうではないことにいかにひきつけられても、自分に自信を持たせられることだけに同意してほしい。そして、できることなら私の本を読んでいる数時間だけ、自殺のことを忘れてほしい。残念ながらその願いはかなえられないことも多いが、かなえられることを祈って、書き続けるしかない。

 日常にはおちはなく、どのような呪いの夜も明けるし、どんな悲しいことも長くは続かない。食べたり、飲んだり、出かけたり、寝たり、風呂に入ったり、そういうことの力は憎んだり、愛したり、出会ったり別れたりするよりも強い気がする。そうでなければ死別の悲しみなど、永久に乗り越えられはしない。体があるかぎり、それを維持する営みは続き、それは人間にとって苦痛ではあるけれどもやはり救いなのだと思う。

 

<「アムリタ」吉本ばなな 新潮文庫 P.306「日常の力 文庫版あとがき」より>

 

 

 

それからいつも引用するので耳タコかもしれませんが、

「男はつらいよ」の寅さんからも一言 (笑)

―あぁ生まれてきて良かったな、って思うことが

何べんかあるじゃない。

そのために人間生きてんじゃねえのか。

そのうちお前にも

そういう時が来るよ、

な?まあ、頑張れ  

(人間はなんで生きてるのかなあという

満男の質問に答えて・第39作より)―

 

 

 

あの時の1杯のビール。

あの時のあの人の言葉。

飛び上がるほど嬉しかったあの日。

過去のそういう記憶に支えられて人は生きてゆくのだと思います。

決して未来に期待するから幸せなのではなく。

 

 

 

 

 

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