スピリチュアルという言葉が世間に知られるようになった流れを知らない人達が、当たり前のように堂々と「スピリチュアル」を語る。


カタカナになって、軽やかな耳障りの良い響きを利用しようと、色々な輩が出てきていることにも気づかない。

 

おいおい、気づこうよ!
スピリチュアルやってるんだろう?
違うって分からない?自分で判断できないの?
もう、そこから間違ってない?

 

 引き寄せの法則。確かに引き寄せる。
自分の行動、思考に合わせて引き寄せることはある。


でもね、ただ頭の中でだけオーダーしたら叶うなら
誰も仕事しないし、寝たきりニートで超絶幸せになれるよね。
そんな人がいるなら会ってみたい。

 

 昭和は古いといわれ、日本の歴史的な精神論は時代遅れで
ダサいものだと位置づけたのは誰なんだろう?

 

カッコ悪い?何で?
一生懸命することの何がカッコ悪いんだろう?


真剣にぶつかること知ること、分かること、体験することが大切なんだけどね。何もせず感動もなく、喜怒哀楽を感じずに生きてては勿体ない。


他人に助力やアドバイスがしたいなら、なおのこと経験が大事!

 

例え本人が出来た人だとしても、人の痛みが分からなければ説得力がない。言葉に内容は伴わない。故にスピリチュアルな人にはなれない。

 

 占いを習い始めた頃、師匠に言われたことがあります。
「占いの才能はある、占い師の星も持ってる、唯一足りないのは経験だ」

スピリチュアルに一番大切なのは現実を生きること。


山の行より里の行。
山の行をして得たものを里で実践すると言われていますが
微妙に違う意味もあるみたいです。

 

山の行よりも里の行の方が大切(大変)だと言う人もいます。
実際に生きていく上で、山にいれば不自由は多いけれど自分時間で生活できる。里にいると便利かもしれないけれど、周囲と上手く生活していかなければならない不自由さがある。

 

山で修行していることも尊いけれど、里(現実)に生きることも尊いことも忘れてはならない。山で修行できる人はこの世には数少ない。
里で修行している人達も、勉強熱心なのだということです。

 

 日本には他国が追随できない精神性がある。
これこそが日本人のスピリチュアルの基本。それを忘れている。
察し合いの文化。お互いを思いやる精神。


自分を押し殺すまではしなくていい。お互いに生かしていくことを考えて生きていたはず。それは人だけでなく、自然や動物、自分の生活のための道具など周囲にあるもの全てに感謝してきたはず!

 

それを忘れてしまっている。だから今の日本が歪んできている。
その危機感を感じている人が、真のスピリチュアリストだと思う。

 

霊感とかそういうものは要らない。
何かしら変だと思うことが全てなんだと思う。

 

 他人のこと大きな世界も大事だけど、自分の中、自分の仲間とか、身近な人達に笑顔のバトンを渡せないスピリチュアリストは似非だと思う。

 

自分も含めて今一つ足元を見つめつつ歩んでいかねばならないと感じます。

 つい最近、朝カフェの一部の人とランチした時に呼ばれた人しか行けないって言われている玉置神社に行こう!って話が出ました。

 

でも、その話、私はパスして、1人の人が呼ばれた気がすると1人(子連れ)で予定を決行した……か~ら~のぉ~

 

後日、彼女のSNSみたら、神社へあと一歩の場所で、神社ではなく
違う場所に行かれた様でした。

経緯については一つ前の記事を参照して下さい。

 

さて、昨日の夜、単発の仕事の希望を入れていたのですがボツりました。


光熱費が払えない!止まるー!困った!と叫びつつ
今日の昼間の時間が空いたことに気づいたわけです。

 

そして今朝のこと、前々から来なさいと言われていた
平野神社に行くことになりました。

 

実は、玉置神社より前から呼ばれていたんです。
玉置神社の話しをしようとするたびに、この神社の名前が出てきて
そっちのを言いそうになってたんですが、この件は他言無用。
私にのみ課せられたものなので。

 

 そして、やっぱり今日行くことになりました。
朝から良い天気で鳥が高らかに美しい鳴き声を聞かせてくれました。
参拝にピッタリの朝の始まりです。

 

とりあえず朝、前々から頭の中に浮かんでいた場所へ行きなさい!と言われた気がしたので行くことにした。

呼ばれた神社は「平野神社」桜で有名な神社です。

画像
バス通りからの鳥居


でも今は桜の季節ではないし、何故呼ばれたのか不思議に思ってました。

以下、道中考えを纏めていたメモ。

 


前日、今日の仕事が中止になった。
朝、鳥がいつもと違う鳴き方をしていて、吉兆に思えた。

 

桜で有名なのは周知の事実。
平家関連の神社とも聞く。


なぜ源氏系の私が行くのか?
源平和合して大和魂を守れと言うことか?

 

桜好きな私に桜の力で助けて貰えるのか?


それとも桜を助けろということか?

 

『桜道(おうどう)』という言葉が聞こえた。
氣咲流を桜のように、じわじわと日本全国に根付き広げろとの、
ご信託なのだろうか?

 

とにかく、玉置神社さんに行く前に行かねばならない神社だという位置である。

 

これは誰も知らないし、言わなかった。
朝カフェの人達に言うと面倒なので言わない。

 


 

などとバスに乗っている間に色々と考えながら神社に行きました。


近くまで行くことはあっても、足を踏み入れたことがない神社。

 

行ってみると、とても清浄な場所だと感じました。


木々の間を歩き、浄化されていく感覚。

 

社殿を回ってもう一つ鳥居。凄い迫力。

 

画像
鳥居の「平野皇大神」の迫力!

 

そちら側から入ると有名な「魁桜」

 

社殿の近くに大きな楠。

 

ここには、御神木が多い。御神木とは書かれてないけど
注連縄があるわけではないけど、健全で清浄な木々が育っていて
本当に浄化される場所だなと思いました。

 

画像
社殿

 

まだ桜の時期ではないけれど、咲いている花。
心温まる色、雰囲気に疲れも癒され感謝。

 

画像
桜🌸?

心身ともに浄化して貰って帰ってきました。

 

今度は桜の時期に……。
人が多いのは諦めて桜を堪能したいと思いました。

 

たぶん、これは玉置神社に行く準備の一つに感じてます。

 これまで私自身も神社に呼ばれたと言っても資格があるわけではないし、行くのは自由だと思っていました。


私が行く時に同行してくれる人も、普通に縁のある友人なら大丈夫だと思ってました。

でも、そうじゃないんだなって思うことがありました。

以前にも、さして親しくない人を神社にお連れして、お祓い前の結界で、完全にその人が結界から外されてしまうという、御神仏の意志を知ったことがあります。

その人は、神社の樹木に車をぶつけても平然としていたし、私の力を利用しようとしていたのは分かってたので、仕方ないと思ってました。

で、今回のこと。
「呼ばれなければ、行けない」と言われている某神社に行きたいねって話が持ち上がりました。


その時いたのは、Uさん、Tさんと私の三人。
スピ系好きな人との会話だったので、行きたいよねから始まって、具体的な日程もほぼ決定!

話の途中、私の背中に龍神のパワーが流れてきて、その部分だけ今まで体験したことのない熱量を感じました。


隣にいたUさんも、その熱を体感して「ここ熱い!」と言っていました。

 呼ばれてるんだなと実感しながら、その日は帰りました。


で、改めて考えるとUさんは小さな子供を連れて行くと言ってたことを思い出して……違和感。

私の中で神社に行く。特に呼ばれなければ行けないという場所は「修行の場」であって観光ではない。従って子供を連れて行くことは難しいのでは?と思っていました。小さな子供がいる方なら連れていくしかないのかもしれないのですが……。

私の中の勝手な常識として、子連れ参拝は考えられないのです。

これが、広く受け入れている神社、例えば初詣に行く有名な神社などであれば、そうは思わないのですが、今回は違う気がしていました。

さらに後日、事後承諾で1人メンバーが増えていました。


知り合いだからいいんですが、私がお連れするつもりだったので
「声かけてもいい?」の一言は欲しかった。
(誘ったTさんもYさんも、私がお連れするという感覚はないのだと思います)

その日から、元々良くなかった膝の痛みを感じることが増え、仕事で無理もたたって膝の痛みが増し、歩くのも大変な状況になってしまいました。

 やっぱり引っかかる『子連れ参拝』『事後承諾』子連れ参拝は私の偏った主観から来ているのかもしれない。
事後承諾は、はみごにされた気分になってたのかもしれない。

って思い以外にも、呼ばれたとして主になってお連れするのは私の役目だと感じていたから。

お連れする立場としては、子連れで良いか確認して欲しかった、同行者が増えるなら先に相談して欲しかった。

何故かというと失礼があれば、その責任を負わなければならないから。
簡単に考えていて、御神仏に対して礼を尽くしているかな?と疑問に思ったから。

私に対する態度ではなくて、御神仏に対する畏敬の念はあるのか?と疑問に思っただけで、決して私が偉いという感覚ではないです。


私がお連れすると決まったわけではないのですが、実質、天からの指示は私が主になることだと感じたわけです。まぁ私の勝手な思いなのかもしれませんけどね。

気乗りがしない参拝はしたくないので、膝を理由に行けないと告げることにしました。そうすると膝の痛みがマシになったんですよ。

やっぱりそういうこと?


私がお連れする同行者ではないのだと。確かにそんなに仲良が良いわけではない。

私行くと何かしら不思議な体験を期待しているみたいで参拝の意図が違う気がしていたのは正解なんだろうなと、他の人には言えないけど1人で納得していました。

 結局、Uさんは「呼ばれている気がするから」と、子連れで参拝を決行する様です。Tさんは翌日大事な用事が入ったらしく延期。誘われて後から参加予定のYさんもTさんに合わせて延期にしたそうです。

Yさんは近くまで行ったことがあるようですが、早朝に行くなら前乗りで一泊したら楽だねと言っていました。なので早朝の参拝の良さを話しました。


人が来る前、日の出の直後や早朝の空気は普段よりも凛とした空気が流れて素晴らしいのだと話しをしていたのです

が……

「一泊するなら、翌朝の参拝はゆっくりでいいよね」と発言。


早朝に参拝する意味言ったよね?伝わっていない!

それじゃ観光だよ。参拝の意味理解してない?

参拝が延期になったことで、ふと私が呼ばれていないって思われそうだなという言葉が頭に浮かんだ瞬間

「お前のところには龍が来ているだろう!」との声が。


最初に話をしていた時と、その後で家にいる時にも背中に龍神の熱気を感じることがありましたことを思い出しました。


呼ばれてないどころか、御神仏自らお宅訪問までしてるだろってことですね。(これが私の勝手な妄想だったら大笑いなのですけどね)

行けなくなったと伝えた時、Uさんは私が呼ばれてなかったのだと理解した気がしました。その時の返事は少し見下したような文面に感じました。

参考までに、その神社に行ったことがある人に、子連れで行けるものなのか聞くと
「小学生でも低学年以上でないと、厳しいかもしれないよ。教えてあげたら?」
と言われましたが、行けなくなった私の、やっかみに聞こえそうなので伝えていません。

彼女が無事に行きつけると良いのですが……。

そして、膝があまり痛まなくなった私はというと、

「昔からの友人に聞いてみなさい」という声を聞いたので
昔からの友人夫婦に声をかけたら、即決定。
日程、待ち合わせもすんなり決まる。心にわだかまりもない。

本来の参拝はこうでなきゃならないない!と実感しました。
あくまでも、私個人の感覚なので、これが正しいかは不明ですが
私の中では、これが正解なのだと思っています。