公開されてから、ずーっと繰り返し聴いてます。
こういう歌、もっとたくさん聴きたいです。
派手な演奏も何もいらないから、ピアノとジェジュンの歌声だけで、じっくり聴かせる歌を歌ってほしいな…。
大人の、今のジェジュンが歌う歌…すごく好きです。
昔の歌声も好きだけど、昔と同じものを求めなくてもいいかなと思いました。
ピアニストの舘野泉さんのことを知ってから、もっと舘野さんのことを知りたくなって、CDと舘野さんが書いた本を買いました。
病気で倒れて右手に麻痺が残ったときのことを書いた『ひまわりの海』という本の中に、こんな言葉がありました。
左手のピアニストとしてステージに復帰した頃に舘野さんが受けた質問です。
「あなたは長い演奏経験をお持ちで、レパートリーも膨大なものがある。おそらく、あらゆる作品を弾いてこられたであろう。しかし、今は右手を使えず、不自由である。以前は自由に使えたものが思うようにはならず、左手だけでの演奏を余儀なくされ、もどかしく、口惜しくはないだろうか。」
それに対して、舘野さんはこう答えたそうです。
「口惜しくないとは言えないだろう。
今まで弾いてきた音楽を、どうして忘れ去ることができようか。
ひとつひとつが長い年月をかけ、自分の血となり肉となっていったものである。
多くの人々と共に、喜びも悲しみも分かち合ってきた曲ばかりである。
しかし、これもありのまま正直に申し上げるが、今感じているのは音楽の喜びだけである。
音楽がまたできる、指を通じて全身が、自分の全存在が楽器に触れ、聴いてくださる方々と、そしてこの世界と一体になっていく、その感覚だけである。
あれができない、これができないではない。
ないない尽くしの気持ちは振り払ったり、見ないようにしているからないのではなく、音楽そのものをしている充実感が溢れていて、何も不足を感じていないからである。
左手だけで演奏することにも、なんら不自由は覚えない。
演奏をしている時には、片手で弾いていることさえ忘れている。
充足した音楽表現ができているのに、どうして不足など感じることがあろう」
音楽を愛している人は、こういうふうに感じるんだ…ということが伝わってきて感動しました…。
ジェジュンの声がもし昔みたいじゃなくなったとしても、それを惜しむのではなく、ジェジュンが新たに得たものを感じながら今のジェジュンの歌を聴きたいなと思いました。
次にジェジュンが思い切り歌うときは、その歌の中にどれだけの喜びと幸せが詰まっているのかと思います。
歌う喜びや、歌を通してたくさんの人と喜びや悲しみを分かち合えることの幸せを、伝えてくれると思います。
舘野さんは、自分の目標として70歳以後に取り組もうと手をつけずにいたバッハが、左手で弾くようになってからごく自然に弾けるようになったと言っています。
そして、バッハの演奏を通して感じたことを、こんなふうに書いています。
「左手だけで音楽をたどっていくと、音楽の本質が何の飾りもなく、それでいて豊かに現れてくるのであった。
それは、もしかすると左手による演奏の際立った特徴かもしれないと思った」
舘野さんは右手の自由を失ったけれど、それによって、音楽の本質に気づくことができたのだと思いました。
ジェジュンも、もしかしたら、歌わなかった時間によって気づくことができたものがあるのかもしれません。
ジェジュンがこの数年で感じたこと、学んだことのすべてを込めて歌うだろうこれからのジェジュンの歌を、期待でドキドキしながら待っていたいです。
何年後になっても…兵役の後でも…大丈夫^^
ジェジュンの歌を聴いた瞬間、きっと心は今この瞬間に飛んで戻ってきて、ジェジュンの歌を聴けなかった時間もすべて一瞬で埋めてくれると思います。
ピグの着替えです![笑2](https://emoji.ameba.jp/img/user/pr/primrose77/9385.gif)
無性にモヤモヤして、ピグの洋服を衝動買いして無駄遣いしました…。
![☆ひなくま☆](https://stat.ameba.jp/user_images/20121105/21/hina-ku-ma/c2/8c/p/o0320024012272313218.png?caw=800)
![☆ひなくま☆](https://stat.ameba.jp/user_images/20121105/21/hina-ku-ma/e8/6d/p/o0320024012272306612.png?caw=800)
![☆ひなくま☆](https://stat.ameba.jp/user_images/20121105/21/hina-ku-ma/6a/92/p/o0320024012272297717.png?caw=800)
![☆ひなくま☆](https://stat.ameba.jp/user_images/20121105/21/hina-ku-ma/e7/d3/p/o0320024012272290169.png?caw=800)
JYJじゃなくジェジュンの歌を聴きたいと求めることはそんなにいけないこと?
JYJはメインボーカルがジェジュンじゃないからジェジュンの歌声はあまり聴けないし、ジェジュンの歌声をたくさん聴きたいからソロアルバムを出してほしい、JYJ活動よりソロの方がいいなと思うのはいけないの?
だからって別に誰かを攻撃しようとは思わないけれど、心からJYJの歌を聴きたいとはもう思えないんだもの。
JYJのCDを聴いたとき、ジェジュンの歌声を必死でバックコーラスから探しながら泣いたのは心に刻まれた忘れられない思い出。
あのときの痛みは忘れられない。
C社が出す商品を無条件に何でも買おうとももう思わないし。
JYJの絆を無条件に信じてJYJを好きになれなきゃファン落第と言うなら、落第でいい。
ファンはこう思うべき、JYJに対してファンはこうあるべき、みたいな強制が苦しいです。
私一人がどう思おうと別になんの影響もないだろうし、心で思うことくらい自由でいたいです。
モンペでもファン失格でもなんでもいいです。
自分が思うことくらい自分で決めたい。
こういう歌、もっとたくさん聴きたいです。
派手な演奏も何もいらないから、ピアノとジェジュンの歌声だけで、じっくり聴かせる歌を歌ってほしいな…。
大人の、今のジェジュンが歌う歌…すごく好きです。
昔の歌声も好きだけど、昔と同じものを求めなくてもいいかなと思いました。
ピアニストの舘野泉さんのことを知ってから、もっと舘野さんのことを知りたくなって、CDと舘野さんが書いた本を買いました。
病気で倒れて右手に麻痺が残ったときのことを書いた『ひまわりの海』という本の中に、こんな言葉がありました。
左手のピアニストとしてステージに復帰した頃に舘野さんが受けた質問です。
「あなたは長い演奏経験をお持ちで、レパートリーも膨大なものがある。おそらく、あらゆる作品を弾いてこられたであろう。しかし、今は右手を使えず、不自由である。以前は自由に使えたものが思うようにはならず、左手だけでの演奏を余儀なくされ、もどかしく、口惜しくはないだろうか。」
それに対して、舘野さんはこう答えたそうです。
「口惜しくないとは言えないだろう。
今まで弾いてきた音楽を、どうして忘れ去ることができようか。
ひとつひとつが長い年月をかけ、自分の血となり肉となっていったものである。
多くの人々と共に、喜びも悲しみも分かち合ってきた曲ばかりである。
しかし、これもありのまま正直に申し上げるが、今感じているのは音楽の喜びだけである。
音楽がまたできる、指を通じて全身が、自分の全存在が楽器に触れ、聴いてくださる方々と、そしてこの世界と一体になっていく、その感覚だけである。
あれができない、これができないではない。
ないない尽くしの気持ちは振り払ったり、見ないようにしているからないのではなく、音楽そのものをしている充実感が溢れていて、何も不足を感じていないからである。
左手だけで演奏することにも、なんら不自由は覚えない。
演奏をしている時には、片手で弾いていることさえ忘れている。
充足した音楽表現ができているのに、どうして不足など感じることがあろう」
音楽を愛している人は、こういうふうに感じるんだ…ということが伝わってきて感動しました…。
ジェジュンの声がもし昔みたいじゃなくなったとしても、それを惜しむのではなく、ジェジュンが新たに得たものを感じながら今のジェジュンの歌を聴きたいなと思いました。
次にジェジュンが思い切り歌うときは、その歌の中にどれだけの喜びと幸せが詰まっているのかと思います。
歌う喜びや、歌を通してたくさんの人と喜びや悲しみを分かち合えることの幸せを、伝えてくれると思います。
舘野さんは、自分の目標として70歳以後に取り組もうと手をつけずにいたバッハが、左手で弾くようになってからごく自然に弾けるようになったと言っています。
そして、バッハの演奏を通して感じたことを、こんなふうに書いています。
「左手だけで音楽をたどっていくと、音楽の本質が何の飾りもなく、それでいて豊かに現れてくるのであった。
それは、もしかすると左手による演奏の際立った特徴かもしれないと思った」
舘野さんは右手の自由を失ったけれど、それによって、音楽の本質に気づくことができたのだと思いました。
ジェジュンも、もしかしたら、歌わなかった時間によって気づくことができたものがあるのかもしれません。
ジェジュンがこの数年で感じたこと、学んだことのすべてを込めて歌うだろうこれからのジェジュンの歌を、期待でドキドキしながら待っていたいです。
何年後になっても…兵役の後でも…大丈夫^^
ジェジュンの歌を聴いた瞬間、きっと心は今この瞬間に飛んで戻ってきて、ジェジュンの歌を聴けなかった時間もすべて一瞬で埋めてくれると思います。
ピグの着替えです
![笑2](https://emoji.ameba.jp/img/user/pr/primrose77/9385.gif)
無性にモヤモヤして、ピグの洋服を衝動買いして無駄遣いしました…。
![☆ひなくま☆](https://stat.ameba.jp/user_images/20121105/21/hina-ku-ma/c2/8c/p/o0320024012272313218.png?caw=800)
![☆ひなくま☆](https://stat.ameba.jp/user_images/20121105/21/hina-ku-ma/e8/6d/p/o0320024012272306612.png?caw=800)
![☆ひなくま☆](https://stat.ameba.jp/user_images/20121105/21/hina-ku-ma/6a/92/p/o0320024012272297717.png?caw=800)
![☆ひなくま☆](https://stat.ameba.jp/user_images/20121105/21/hina-ku-ma/e7/d3/p/o0320024012272290169.png?caw=800)
JYJじゃなくジェジュンの歌を聴きたいと求めることはそんなにいけないこと?
JYJはメインボーカルがジェジュンじゃないからジェジュンの歌声はあまり聴けないし、ジェジュンの歌声をたくさん聴きたいからソロアルバムを出してほしい、JYJ活動よりソロの方がいいなと思うのはいけないの?
だからって別に誰かを攻撃しようとは思わないけれど、心からJYJの歌を聴きたいとはもう思えないんだもの。
JYJのCDを聴いたとき、ジェジュンの歌声を必死でバックコーラスから探しながら泣いたのは心に刻まれた忘れられない思い出。
あのときの痛みは忘れられない。
C社が出す商品を無条件に何でも買おうとももう思わないし。
JYJの絆を無条件に信じてJYJを好きになれなきゃファン落第と言うなら、落第でいい。
ファンはこう思うべき、JYJに対してファンはこうあるべき、みたいな強制が苦しいです。
私一人がどう思おうと別になんの影響もないだろうし、心で思うことくらい自由でいたいです。
モンペでもファン失格でもなんでもいいです。
自分が思うことくらい自分で決めたい。