40年ぶりに父が実家に戻りました![]()
私の父は、私が小学生の頃に
自分の店を出店する
と言って
家を出て行きました![]()
![]()
実家から2時間ほど離れた地方都市で暮らすと
久しぶりの男と書いて
久男
写真右の男です![]()
その名の通り、
いつも会う時は久しぶりな
数える程度しか会っていない父です
家を出てすぐは
月に一度は帰っていた記憶があるのですが、
中学生の頃には冠婚葬祭くらいにしか現れず
高校生にもなると、
冠婚葬祭にすら現れなくなりました![]()
私にとって、どこか朧げだった父という存在が
自分が成長するにつれ
鮮明な輪郭を持つようになりました
究極の自由人
私もよく似ています![]()
側から見ると
家族に無関心な最低な父親
でも子供には、そうは映らないものです
映さないというほうが正しいかな![]()
子供には親の気持ちが残酷なほどにわかってしまいます![]()
子供に
がないわけでもないけど
それより大切なものがある
人間だもん、優先順位をつけてこなしていくしかないのだ
大人から見ると私は可哀想な子供だったのでしょうが
平凡な人生よりは
やっぱり私向きだったなと思います![]()
父を誰よりも尊敬していた
センスが良くて面白くて![]()
良い面しか見ない
というのが私なりの防御術だったという説もありますが![]()
いるようでいない
いないようでいる
他人に「なぜ?」と聞かれても答えづらい![]()
複雑な現実に
周囲への説明の面倒くささに
いないほうがマシなんて
思ったこともあります![]()
でも、父のおかげで
様々な感情を味わうことができ
それぞれの立場に立って物事を見る癖が
幼い頃からついていました
今思うと、共依存関係を見せてもらったのかなとも思います![]()
両親それぞれの言い分の食い違いを感じ取り分析する
理解する努力をする
離婚しない理由を想像する
可哀想に見えない自分を演出する
私が同じ親になってからのほうが
むしろ学びは過酷でした![]()
実践編ですね
そんな無関心家庭で自由に育った私は
最終的に
過干渉の親を持つ人と結婚します
何もかも正反対
両家の顔合わせにも現れない父に
相手方は怒り心頭![]()
義理の兄が何とか場を盛り上げようと
頑張ってくれていましたが
なかなかの盛り下がりでした![]()
私達家族は過度に楽観的なので
何でも深刻に捉えられると
非常に面倒くさく感じます![]()
この世の学びは
バランスと距離感が大切ですね ![]()
正直、父とは会うことはないのかもしれない
くらいに思っていました
同時に、本当にそれで良いのだろうか?って想いも
父と私達家族の関係を繋いでくれていたのは
義理の兄でした
写真右
私が中1の頃から姉と付き合っていたので
本当の兄のような存在
昔は清水宏次朗にそっくりなイケメンだった
懐かしい
兄がたまに姉を連れて
父に会いに行ってくれていたから
父も帰る気になったのだと思います
父を受け入れてくれた兄に
ほんと心から感謝![]()
そんなこんなで
40年ぶりに実家に父が帰ってきました
今は、母と二人で料理をしたり
姪っ子の卒業式に参列したり
家族を満喫しているようです![]()
何より嬉しいのは、
歳の離れた姉が、また父と暮らせること
父との思い出も多い上に
長女という立場で、今で言う
ヤングケアラー
だった姉なので
本当に良かった![]()
しかし、やっぱり父は自由人
帰ってきて1ヶ月ほどで
友人達と泊まりでカラオケに行ったらしく、
遅い帰りを心配した兄に
ショートメッセージの練習をさせられたとか
その一環で私に送られてきた
生まれて初めての父からのメッセージは
元気?
パパだよ
軽っ![]()
そんな感じで普通にまた合流できる
それも一つの
のかたちなのかもしれません![]()


