ロリコンを、性的対象を子どもとする人を指すのであれば、私はそうでないと思うのだが、しかし5歳くらいより上の女性(女の子)を見て美しい、かわいいと思うことは多々ある。同い年くらいの女性を見かけて美しいと思うことよりも、10歳くらいの女性を見かけてそう思うことの方が多い。

 

 美しいというよりは、「あはれ」と言った方が正確で、心の中心にすぽっとそのまま入ってきてしまう。ハッとして、一瞬時間が止まるが、道ですれ違っただけの人を長く見るわけにもいかないので、通り過ぎる。

 

 これは自慰のときにイメージを喚起させるものを根拠とするが、子どもは基本的には性的な対象ではない。しかし、美しいと感じられる(子どもの女性という意味での)女の子に対し、恋愛的な感情を持たないかと問われると、否と答えることができない。異性に感じる美しさと恋愛の心は、近しいものに感じられる。だから、ロリコンを子どもに対して恋愛感情を持つ人と定義するならば、私も当てはまるかもしれない。

 

 現代社会においてロリコンと見なされることは、ほとんど社会的な死を意味する。性的マイノリティの権利は回復されつつあり、それは喜ばしいことだと思うが、ロリコンはまったく別である。LGBTなどとロリコンを同列に語るのは、後者が大人と子どもという力の差をともなうことを考えれば、適切とはいえないだろう。しかし、ロリコンであることに深く悩む人たちがいるのもまた、確かなようである。

 

 英語だが、「善良なペドファイル」のグループがある。ペドファイルの訳語は小児性愛者で、つまりロリコンのことだろう。「善良な」というのは、実際に手を出すことはしないけれど、その傾向にあることは認めてほしい、ということらしい。人に話すことができず孤独になり、自殺するところまで行ってしまう人たちがいると書かれている。

 

この世界の様々なものがそうであるように、ロリコンもまたグラデーションであるかもしれない。私は子どもに、人の命の原初的な輝きのようなものを感じ、殊に異性となると引きつけられるが、そういった人は私以外にも実は多くいるのではないかと思っている。しかし、それがロリコンとされる危険性を考えて、みな口をつぐんでいるのではないか。

 

私は、自分が感じていることをできるだけ正直に話せる社会が望ましいと思う。それは誤りを放置するということではなく、正確さを求めていくということであると思う。