昨日は、君を想う日でした。
いなくなって、君の存在感を思い知らされる。
どうしていないの。
優しくて、ストイックな君がいないだけで、空虚です。
映し出される君は、いつかの君であって、今の君じゃない。
何かしらでつなげて考えて悲しくなるけれど、せめて泣かずにいるよ。
今でも話題にのぼる君は、眩しくて、そして、優しいのだよね。
せめて、今いる場所では幸せでありますように。
昨日は、君を想う日でした。
いなくなって、君の存在感を思い知らされる。
どうしていないの。
優しくて、ストイックな君がいないだけで、空虚です。
映し出される君は、いつかの君であって、今の君じゃない。
何かしらでつなげて考えて悲しくなるけれど、せめて泣かずにいるよ。
今でも話題にのぼる君は、眩しくて、そして、優しいのだよね。
せめて、今いる場所では幸せでありますように。
まあまあ、面白い話をしていると思っている方がいて、そうなのかとたまに納得しつつ見ています。
時々、その方と考えが合わず、もやっとするのですよね。
だからといって、意見をするとかはないです。
心の中でズバズバ言うという、もやもやが増えそうな日々です。
時には、怒りが湧くのですよね。
私自身、心が狭いなと感じております。
まあ、私は私です。
なんのことやら。
いろいろ考える中のほんの一部で、あくまでも私の考えである。
体調をすこぶる崩し、かえって考えがシンプルになった。
居心地がいいのは、今のこの状態だった。
他人の考えに疲れ果て、ここまでやってきたことに気がついた。
逃れに逃れ、逃に逃げてたどりついた。
合わない人を理解しようなんて、おこがましかった。喧嘩してまでの修復は無意味中の無意味だった。
今は、嫌われてというか好かれもせず、快適である。何もかもが合わないのは、ストレスでしかない。
どん底での思考に上がる人物は極僅かだった。
そこだけで、支えられていたのだ。
あたかも意味のない常識にとらわれて、神経をそがれるような私の行動を無駄に感じた。
どうでもよい人の私は、嫌われたぐらいで合わない人の記憶にも残らないので、適当にしようと思いました。
お世話にもなっていないのに、心配だけすることもしない。
シンプルにシンプルに、生きていく。