悲しみを癒して、愛に変えよう・・・母のこと | もうそろそろ幸せになっていいんじゃない?40歳からのこじらせ大人女子さんへ・あなたのstoryを明るくchange

もうそろそろ幸せになっていいんじゃない?40歳からのこじらせ大人女子さんへ・あなたのstoryを明るくchange

今までの辛いパターンを手放し、もっと軽やかに女性性を楽しむ
心の癒しとコーチングで40才からの私happyスタイルみつけましょ

みなさん、こんにちは~

 

 

happyスタイルコーチ・HIROKOです

 

 

 

 

すっかり梅雨に入りました

 

 

♬しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃんしとぴっちゃーん

子連れ狼を知ってる方は、アラフィフ以上でしょうかにやり

 

 

 

 

6月は、私にとっては特別な思いがある月です

 

 

 

2010年、6月、大好きな母が亡くなりました

 

 

 

 

元々とっても丈夫な母でした

明るくて、ユニークで楽しくて

いつも人のお世話をしてる母でした

 

 

 

 

病気を告知されてから

一年半の闘病で亡くなりました

 

 

 

 

病気がわかる少し前に

「お母さんは100まで生きるわブルー音符」と言ってて

丈夫な母は、ひ弱な私より

もしかしたら、長生きするかも?なんて

その頃は思いました

 

 

 

 

結果、75と言う今どきではそんなにおばあちゃんではない

その若さで亡くなったので

きっと、向こうから

「ごめんね、ヒロちゃん、お母さん、失敗しちゃった」

・・・とおどけて舌を出してる気がしますニコ

 

 

 

 

 

私は、大好きな母を失いたくなかったので

病気が分かってからは、ネットや本から色んな情報を集め

色んな事を試し

病院も何軒か行きました

 

 

 

 

 

心配で心配で

病気がわかった当初は、母より私の方が

食べれない、寝れないで弱まっていたくらいです

 

 

 

 

病気は情報戦だと思い、家にいる間中

ネットで一つでも情報を漏らさないように

血眼でパソコンに向かってました

 

 

 

 

母が、もうやめて・・・と逆に心配するくらいでした

 

 

 

 

それくらい母が大事だったのです

 

 

 

母は当初は病気なの?というくらい

いつもと変わらず家事をし、

辛い治療も受けながら

友達とお喋りをし

好きなこともしてました

 

 

 

 

亡くなる年の3月くらいから急速に悪くなり

かかりつけの病院でやれる事がないと言われました

(その間も、私が見つけて来た色んな治療もしてました)

 

 

 

 

その病院の帰り

私が運転する車の後ろで

遠くを見つめて、「赤とんぼ」を口ずさんでる母がいて

 

 

 

その時の外の暗さ

母の着てた洋服

その状況を未だによく覚えてて

思い出すと今でも切なくなります

 

 

 

 

藁をもすがる気持ちでいたころ

同じ県内の小一時間の所に

今まで試してない治療をするところをみつけ

メールをしました

 

 

 

 

すると、院長先生がすぐ来て下さいと言って下さり

とりあえず、私が面接に行って来ました

 

 

 

 

9年前で、当時80代だった院長先生ですが

とても丁寧に対応して下さり

「あなたのお母さんは今までたくさんの事をして来たので

どうなるかわかりませが、すぐにでも入院してください」

と言って下さり

 

 

 

そこに希望の光をみつけたような

救われた思いがしました

 

 

 

 

それが、9年前の5/31です

 

 

 

それから、3週間で亡くなったのですが

父は、毎日、車で通いました

 

 

 

 

あんなに母に甘えて

いつもちょっとした事に切れて

甘えて好き放題だった父です

 

 

 

 

私は、土日どちらか行った記憶があります

 

 

 

 

今思うと、母の病状は本当に深刻な状況で

もし、これがどこか他人様の事だったのなら

ああ、もう長くはないのかもしれないね・・・と

冷静に思ったのかもしれませんが

 

 

 

 

実の親だと、なんか奇跡が起こるような

自分の母親はずっと死なない気がしてました

 

 

 

 

 

三週間の入院中

毎週お見舞いに行くごとに悪くなる母も感じてました

 

 

 

 

一週目は病院の玄関まで送ってくれて

二週目は下まで降りないよと言いました

三週目は、ベッドの隣にポータブルのおトイレがありました

 

 

 

 

そう言う事をとっても嫌がる母なので、だいぶ悪いのかなって

思いました

 

 

 

 

お見舞いに行くと、叔母の悪口や

私の買って来たものに、本当に嫌そうに文句を言い

そう言う事をいつまでも言う人ではなかったので

その時も違和感を感じました

 

 

 

 

今思うと、病気で辛い気持ちだったのだと思います

 

 

 

 

そして、その三週間の入院の中で

私が、ずっと悔やんでいた事があります

 

 

 

それは最後のお見舞いに行ったときに言った言葉です

 

 

 

「もう、毎週はお見舞いに来ないかも

タクシー代もかかるし・・・」と

 

 

 

これは、今までの私と母との親子関係の現れで

私が母に甘えたのだと思います

 

 

 

 

別にタクシー代なんてどうでもいい

本心ではないのです

ちょっと愚痴りたかったのです

 

 

 

そして、最初に書いたように、母は死なないと思ってたのです

 

 

 

 

現に、母も、

ヒロちゃん、この病院に来てから良くなって来た

希望が持てるキラキラ

・・・と言ってたのです

 

 

 

 

亡くなる前日にお見舞いに行ったときも、ポータブルこそありましたが

普通に話して、次回持ってくるものもお願いされて

翌日亡くなるようには見えませんでした

 

 

 

 

しかし、ほんと、今思うと病状はとっても深刻で

いつ亡くなってもおかしくなかったかと思います

 

 

 

私と母の事、ここまで読んで下さりありがとうございます

長くなってきたのでつづきは次回に

 

 

 

大事な人を亡くすという事は辛い事です

どんなにやってきたとしても後悔もあるかと思います

 

 

 

今、大事な人やペットを亡くし苦しんでる方も

いらっしやるかと思います

 

 

 

優しいあなたが、

私の話で、少しでも気持ちを共有でき

そして、少しでも癒しにつながればと思います

 

 

 

長くなりますが、次回も読んでみて下さいね

 

 

 

今日も最後までお読み頂きありがとうございました

 

 

 

ではでは~

 

 

 

 

ハートLINE@登録者プレゼントのタロットカード占いハート

 

当たる~・・・とか

優しい鑑定に癒されました・・・とか

今の状況そのままです・・・とか

涙が出ましたとか、とか、とか

とってもご好評いただいてます

 

是非、ご登録くださいね

 

 

 

 

ベルLINE@始めました!ベル

 

アラフォー、アラフィフ・・・
何か生きづらさを感じてるあなた

是非、お友達追加してみてくださいね~

 

軽やかに過ごせる秘訣を配信したり

皆さんとお話しの時間を作ったりしたいと思います♬

 

ちょうちょ登録者全員に、今なら、タロットカード占いをさせて頂きますよー

どうぞお友達追加して下さいね

 

友だち追加

 

もしくしは、こちらで検索下さい

@xfy0270h