2011年3月11日(金)の今頃。
私は川崎のとあるハウススタジオにいました。
ラジオの収録のお手伝いでした。
地震が来ました。
始めは
『あ、ちょっと強めかな・・・』
位で、古いアパートだから玄関のドアも重たいし
開けておこう・・・位の気持ちで
トタトタと玄関に向かいました。
次の瞬間、
立っているのがやっとな位の大きな揺れ・・・
と言うかうねりが来て
玄関のドアノブを掴んでいるのがやっとに。
現場にいたみんなもバタバタと玄関の方へ出て来て、
『姫さんどうしよう!!』
『トイレ入って!!』
『全員どこかに捕まって!!』
『トイレの水が溢れます!!』
『便座を閉めろぉ!!!!』
と言う、
当然ふざけてる余裕何か無いから
おかしな内容をクソ真面目に
全員パニックで必死に叫んで・・・
揺れが治まって廊下を見たら、
5階から見下ろす道路は
電線が切れちゃうんじゃないかって位に揺れていて
道は固いコンクリートとは思えない程うねっていて・・・
あれでも震度5強でした。
現地はどんなに揺れただろうと思うと、
ぞっとしました。
そこからみんなで建物を出て、
向かいのファミレスに避難したけど
その間も何度も大きく揺れました。
晴れてた空が急に曇って、
雨が降り出しました。
ファミレスに行ったら、
運よくすぐに中に入れたけど
あっという間に外に行列が出来ました。
みんな行き場を失くして集まって来たみたいでした。
商談中だったのか、名刺交換を始めるサラリーマン
ドリンクバーで人数分のコーヒーを用意する新入社員らしき男性
私服でヘルプに入るバイトの店員さん
お客さんが入り切らなくて、
相席出来る人達は相席で何とか人を中に入れて・・・
窓から外を見ると、
電車が止まったせいで
駅の方から人がぞろぞろ歩いて来ていました。
信号機ももはや機能してなくて、
車もパニックになっていました。
被災地じゃない場所でも、
みるみる混乱が広がって行くのが分かって
生まれて初めての恐怖を味わった一日でした。
ガソリンが高騰して、それでも底をついて
【完売しました】
の看板を持って歩くガソリンスタンドの店員さんの姿や
買占めでカップ麺やお米が無くなったコンビニ
電気を節約した生活
信号機や街灯が消えて、
真っ暗な道をまるで集団疎開のように歩き続ける人達
流れ続けるポポポポーン
(東京広告機構(AC)のCM)
津波の映像
いち早くバラエティに踏み切ったテレ東
急に日常が非日常に一変して、
生きててこんな体験する事あるんだなあ・・・
って
毎日思いました。
今日はあの日と同じ金曜日。
忘れちゃいけないと思う人
忘れたいと思う人
忘れられない人
忘れないで欲しいと思う人
それぞれの想いが重なる3月11日。
あの日、
私がどこからか拾って来たらしい
ネットの書き込みの転載が残っていたので、
ここに写しておきます。
あの時世界が、
日本に向けてくれた心です。
「有史以来最悪の地震が、世界で一番準備され訓練された国を襲った。
犠牲は出たが他の国ではこんな正しい行動はとれないだろう。
日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている。」
「ニュージーランドが被災した際、
だから今度は私たちが日本を助ける番だ。」
とラジオで流れてきた。
韓国人の友達からさっききたメール。(日本語訳後)
「世界唯一の核被爆国。大戦にも負けた。毎年台風がくる。地震だってくる。
津波もくる……小さい島国だけど、
速報 トルコ、日本に100億支援。
CNNの専門家の言葉
ハイチの500倍以上の威力の地震で津波到達まで5分しか時間ない中で、
この国民には常に準備がある。
チリ人からメッセージが来た。
「僕らも1年前に同じように大きな地震を受けました。
米国、韓国、中国、ロシア、欧州連合(EU)など
国連の潘基文事務総長は
日本の強さがこんな時に始めて分かった気がする。
国の規模でも軍事力でもない、
日本人の深いところにある思いやりの心。
世界がそれに応えようとしてくれてる。
ハリケーンカトリーナの時は、
今回サントリーが自販機無料開放してくれたことを、
オバマさんは「必要なあらゆる支援を行うと申し出た」と、
日本に住む外国人の友人から→
みな横入りをせずに黙って列を作り、
略奪は起きていない。
中国人の父が、地
叫び、痛ましげに、ずっと、ずっと、
彼等の多くは四川の恩も、
自分は今バンクーバーに住んでいるのだが、
少し離れたこの地でも日本に向けての募金がスタートした。
UBC(近所の大学)生を中心に、
これからもっと増えて、
みんな一緒に頑張ろう!!!!
日本は頑張れる国です。
世界もこんな風に支え合って、
思い合えるものなはずなのに・・・
今年の3月11日は、
違う意味でも胸が痛い。
11年経った今も、
頑張ろう、日本。
そして・・・
気が付いて、世界。
hime