徒然草 第二百十五段

 

 北条宣時さんが老いてから、昔話を語ったことがありました。

 

 「ある晩に北条時頼さんから呼び出されたことがありました。

 

 『すぐに向かいます。』と言ったものの、着ていく直垂(武士の平服)がなく、ああだこう出しているうちに、また使者がやってきました。

 

 『直垂とかが揃わないのですか。夜ですから、おかしくても構いませんから、急いで来てください。』

 

 そう言われたので、くたびれた直垂を着た普段着の姿で参上しました。

 

 時頼さんはお銚子とお猪口を持って出て来られ

 

 『この酒を独りで飲むのが寂しいので、あなたを呼んだのですよ。しかし、酒のアテがないのですよ。みんな寝静まっているので、肴になるようなものを探してきてくれませんか。』

 

 と言われたので、ロウソクを灯して、隅々を探すと台所に味噌が少し入った器を見つけました。

 

 『こんなのがありました。』と申し上げたら、『上出来だ。』と満足げに何杯もお酒を召し上がり、上機嫌になりました。

 

 あの頃は、おおらかな時代だったね。」と言われました。

 

 

 

「お酒に味噌、酒飲みは昔も今も変わらないわね。」

 

 

 不思議なもので、昔のことを語る時、「おおらかな時代だった。」とか「人間がおおらかだった。」と思うことが良くあります。今の若者も、私たちと同じ年になった時、「あの時はおおらかな時代だった。」というのでしょうか。

 

 私たちが働き始めた頃は「ハラスメント」という言葉はありませんでした。しかし、そのような言葉があったならば、「ハラスメント」だらけだったと思います。

 

 

「昭和の常識は令和の非常識だったりして。」

 

 

 激しい言葉を投げかけられることは日常茶飯事でした。言われる私たちも、「できないから仕方ない。」と次を頑張っていました。

 

 しかし、その先輩たちは、面倒見がすごくよく、給料の少ない私たちに飯を食わせ、酒を飲ませてくれました。仕事もしっかりと教えてくれました。私が、風邪をひいて寝込んだ時、先輩が奥さんと一緒に夕食とストーブを持ってきてくれました。(我が下宿、ストーブがなく隙間だらけで寒かったのです。ストーブは後で返しました。)

 今でいうハラスメントはあったのですが、愛情もたっぷりだったと思っています。

 

 

「今の人は、こんな人間関係が嫌なのかもしれないわね。」

 

 

 あの時の職場の先輩たちも、若い私たちを見て、「昔はおおらかな時代だった。」と言っていたのでしょうか。

 

 

 

「人間関係はこれからどうなっていくのでしょう」

  - ヒメの一言 -