『ELLE』、2種類の表紙の両方を注文し、昨日(28日)スーツ姿の表紙の方が届いた。息を呑むような美しさで驚かされた。

 

羽生さんの身体の美しさと眼

 

 黒いシャツ・パンツ衣装での写真は、躍動する「身体」の美しさを見せつけられたような思いだった。一切の無駄のないシャープで研ぎ澄まされた身体の美しさ。手にも足にも神経が行き届いていて、まるで、それ自身が一つの意思を持っているかのように存在を主張している。表現する身体の塊のような圧倒的なインパクトがある。そして、いかなる躍動的なポーズをとりながらも、羽生さんの眼は、まっすぐカメラに向けられている。プロだなと思う。

 

 そして、豊かな表情だ。ポートレートの表情を印象付けているのは、添えられた手指、そして何よりも眼だ。一番、私の心を捉えたのは、下の写真だ。

 

何か、心が吸い込まれそうだ。意志的で知的な眼だ。見る者の心の中を見透かそうとしている眼。自分の心の中の深淵を理解して欲しいと求めているようにも見える眼。この眼の奥に、羽生さんのどんな思いが込められているのか・・この写真には、こうして見る者の心を捉えて放さない神秘的な魔力がある。

 

羽生さんの涙

  この神秘的な眼から、子供のように大粒の涙をこぼしたのは、つい先日のFaOI神戸公演千秋楽の日、ジョニーがスケートを止めFaOIからも去る最後の日だ。あの時の涙は、好きなスケーターとしてプルシェンコ氏と並んで「ジョニーウィアー君です」と無邪気に答えていた子供の頃の羽生さんのまんまだったようにみえる。

 涙をこぼす羽生さんの姿は、つい最近、『Number』で読んだブライアンのインタビューの中にも描かれていた。

 ブライアンのインタビューによれば、羽生さんが滞在した3日間のあいだに、羽生さんが子供たちのリクエストに応えてプログラムを演じるという機会があったという。それを演じ終わった直後、羽生さんが荒い息を整えながら、子供たちに小さなスピーチをしたという。「練習の日々のこと、努力の大切さ、試合に向かっていく気持ち、プロとしての心構え・・・その途中でユヅが感極まって泣き始めて、思わず僕はユヅのことを抱きしめました」というブライアン自身も涙腺が崩壊したようだ。

 羽生さんが泣くときというのは、小さな頃の自分と、自分を信じて努力して歩んできた羽生さんの栄光と、小さい頃とはまた異なる葛藤の日々を振り返ったときなのかもしれない。羽生さんの感情は激しく強く豊かだ。どれだけ感情を揺さぶられたり傷つけられたりしてきたことか。その日々を想うとき、羽生さんの涙は、そうした葛藤と緊張の心が少し弛んだ「素の姿」かもしれない。

 

僕の二面性ーポジティブな自分、ネガティブな自分

 

 『ELLE』誌の中での芥川賞作家・町屋良平氏との対談は、大変中身が濃く、羽生さんの深い心中が吐露されていて興味深い。羽生さんは、自分の人格の二面性について次のように述べている。

 「二面性のなかのポジティブな自分は、その頃(9歳の頃)の自分とあまり変わらないんです。9歳のころからずっと前を見ていろんなことを習得して、進化してきた自分がいる一方で、さまざまな社会や人と触れ合って、いろいろなものを見てきた中で出来上がった後天的な人格も存在していて、それがネガティブな部分だと思います。」

 「人間って・・・社会やコミュニティに適応するようにできてると思うんです。そして適応していくなかで失われてしまう感覚がたくさんあって、そのなかで僕が一番大切にしている部分が9歳のころの自分がもっていたもの。だからこそ、それを手放してしまったら、僕は社会にのまれて適応していくだけなんだろうなと思うので、なんとかそれを握りしめている状態です」

 

  この部分を読んで、私は今の自分を恥じた。私の人生、頑張ったこともたくさんあったとは思う。でも結局いまは、社会にのまれ適応していくだけの人生を送っているから。そして、「9歳の頃の自分」というのは、羽生さんにとって前を向き努力し進化しつづけていくんだという、羽生さんの強さの根源なのだと改めて思った。

 こうした、いわば公正で崇高な理想と、それを阻む社会やコミュニティの同調圧力や共同体的な規制という現実に引き裂かれそうになりながら、公正・崇高な、理想とするフィギュアスケートの在り方、人間としての在り方に正面から向き合って生きているから、羽生さんは、人間としてもリスペクトされるのだ。羽生さんは、どこかで人間としても美しくありたいと述べていたが、まさに、こういう彼こそ美しい人間だと、心から思う。

 

 そして、こういう広く深い内面的な世界をもっているからこそ、彼の眼は、知的で意志的で心の深淵を感じさせるのだ。