みんな君に恋してる

羽生さん結婚のニュースは、私などが想像する以上に多くのファンに衝撃を与えたのだと、今更ながら思う。私は、羽生さんが入籍を発表したとほぼ同時くらいに、奥多摩渓谷を旅行中の宿で、たまたま携帯を手にしていてそのニュースを知った。真っ先に思ったのは「良かったね」「おめでとう」という気持ちだった。私のような人は、少なくなかったと思われる。

  でも、様々なファンブログを読むと、羽生さん一筋に応援してきた人の中には、もっと複雑で切ない思いを抱いた人たちも多かったようだ。もちろん、「もう見ない」と決めた人もいるようだが、私が知る範囲では、みなさん、羽生さんが好きでならないし応援していきたいという気持ちはある、でも、結婚する彼をもろ手を挙げて祝福する気にどうしてもなれない、切ないし、淋しい・・・・そんな葛藤を抱えながら、自分の心と向き合い、自分のこころの整理をしているように思われた。

 そのなかのお一人、小鞠さんのブログをリブログさせていただきました。(ご本人から了解を得ています)

 私などよりずっと古くから羽生さんを応援してきた小鞠さんは、職業・スケーターとしての「羽生結弦選手」と、私人としての「羽生結弦さん」を分けて考え、今までは両方応援してきたけれど、これからご自分が応援していくのは「羽生結弦選手」の方なのだ、と心を整理されたことがうかがわれます。私は、小鞠さんのブログを読んで、羽生さんのファンは、小鞠さんのように、優しくて健気な方々が多いのだろうと思いました。        

 多くのファンの皆さんも、今なお小鞠さんのようにご自分のこころを整理したり納得させたりする過程にあるのかもしれません。

 自分自身はどうなんだ?と言われそうですが、私自身も、そのスケートを見たり、その姿を見るだけで、心ときめいたりドキドキしたりするという意味で、羽生さんに恋していた一人です。

 羽生さんのアスリートとしての心の強さや、繊細さ・野性味・情熱などを表現しきるフィギュアスケーターとしての技術と感性の豊かさ、フィギュアスケーターとして理想的ともいえるスタイルの美しさ、あるいはファン全体を「人格」として認め、率直に自らのことを語る誠実さ・・・恋してしまいますよね、普通。でも、現実には、それは全くの片思いであり、実ることのないものだと初めから分かっていました。だから、羽生さんを応援するだけで満足でした。私は、自分の思いが純粋な片思いだからこそ、それは私の心のなかでは永遠(生きている間は)なのだと思いますし、だからこそ、羽生さんの幸せを願い続ける気持ちも永遠なのだと思っています。

 裏切られたと言って怒りまくっている人や羽生さん関連の本・雑誌、グッズ類を、メルカリに狂ったような値段で出品している人がいるのも見ました。あまり感心できない行為かもしれません。でも昔、現実に失恋した時の自分も、今思うとかなりみっともなかった気がします。失恋すると、男でも女でも、一瞬正気を失いかけたり、突拍子もないことをしでかしたりするものです。ただ、それらをSNS上で拡散せず、心の中にだけ留めおいて欲しいものです。

 世界中のファンの皆さんが、大なり小なり羽生さんに恋して、結果大失恋して、あがいたり悲しんだりときに怒ったりして、何とか心の整理をして立ち直ろうとしているように思われます。そのこと自体に、私は何か胸を打たれました。

 

「自分の価値がちゃんとスケートにあるようにしたい」

 もうすでにお読みだと思いますが、報知の高木恵記者が、昨年8月のshare practice後の個別インタビューで、羽生さんが、「メディアに出ていない部分の羽生結弦を大切にしたい」「自分の価値がちゃんとスケートにあるようにしたい」ということを述べていたと報じていましたね。その頃から、メディアに見せている「羽生結弦」と、メディアに出ていない部分の「羽生結弦」というものを分けて考えていたのだと思いました。つまり、メディアにみせていない、そして大切にしたいプライベートな生活や想いが、すでにその頃からあったということです。高木さんもそれとなく示唆されていますが、この頃には、私的生活=結婚のことを考えていたのかもしれないなと思います。

 そして、今年3月の『アエラ』で読んだ野口美恵さんの記事では、

「Gift」後半の羽生さんの内面の葛藤について描いた部分で羽生さんが意図したメッセージについて聞かれると、「自分が見せたい羽生結弦という仮面」をかぶっている自分と、「心の中でくすぶっている本質的な自分」との葛藤だということを話しています。

 彼にとって、競技者時代の葛藤、孤独は、どのように努力しても評価に反映されないという競技者としての苦悩が根源にあっての葛藤、孤独だったように思います。でも、プロになってからは、「羽生結弦という仮面・ペルソナ」をかむり続けるしんどさ、「素の・本質的な自分」も分かって欲しい、がそれは見せられない、見せてはいけないという葛藤・苦悩であったのではないでしょうか。「Gift」は、それらすべてを自らの苦悩、孤独、葛藤として表現したものだったのだと思われます。

 羽生さんは、「非の打ちどころのない強く公正で唯一無二の存在たる羽生結弦」という仮面を外す場所が欲しかったのでしょう。「Gift」のストーリーを考えていたころには、結婚のことを考えていたのかもしれません。結婚は、頑張り続け、「羽生結弦」を精いっぱい生きてきた羽生さんの切なる、ある意味では控えめな望みであり幸福だったのだと思うと、羽生さんへの愛情があふれてきて、何となく泣けてきます。

 「自分の価値がちゃんとスケートにあるようにしたい」という言葉は、羽生さんの切なる願いなのでしょう。自分は、単なるアイドルでもモデルでも疑似恋愛の対象でもなく、フィギュアスケーターであり、そこに価値を見出して欲しい。あの長いファンに向けたメッセージは、そういうフギュアスケーターとしての自分を応援してください、ということだったのだと思います。

 

フィギュアスケーター羽生結弦、最高です。

もちろん、これからも、あなたのアイスショーを見に行くのを楽しみに、応援し続けていきます。