前回ブログを父の病室で書いた後、父は旅立ちました。
病院に着いたとき既に努力呼吸をしていたのでナースに報告をしたら、うっすら「今夜とか、ここ数日かもしれないですねー」と言われたのですが、妙に明るく言われたので逆に覚悟。
日中(事情をよくわからなかった私は仕事中)に病院で父は大暴れしたそうで。
拘束着、手にはミトン、そして努力呼吸。
見ていて辛い状態。
母と病室に着いた時には治療はやめて、モルヒネを送液中。
暫くしたら少し楽そうになり、もがくのをやめてくれたので、普通の入院着に着替えをお願いしました。
ミトンも外してもらって、仰臥位に。
それが22時30分頃。
今のうちだと思ったので、父と母のツーショット写真を撮ったり。
母はドライなので「こんな状態のお父さんと撮っても…」とか言いましたが「でも、なきゃ無いで後悔するかもよ!早く寄ってよー」とか言いながら。
で、段々モニターの数値が下がって酸素を入れてもらったりしつつ役1時間。
モニターの異常を示すアラートの回数が増えてきて、ナースの出入りが増えてきてちょっと慌ただしくなりました。
多分ナースの方々は、もう解っていたんだと思います。
温かいおしぼりをくれて、それで母といっしょに父の手や、血の付いた口元を拭きました。
昼間暴れたのと、血小板の不足で歯茎等の口内からの出血であちこち汚れていたのです。
そうこうしている内に、父の呼吸がまた変わりました。
顎で息をする顎呼吸へ。
「これが顎呼吸なんだ、いや違う、苦しさが楽になってこういう呼吸になっただけだ」そんな事を考えていました。
でも、そこからはみるみる心拍数が減ってしまい、いよいよゼロに。
「頑張れ」って言葉を人に言うのが本当に嫌いだけれど、この時ばかりは叫びました。
とにかく呼びかけて、肩を叩いたり揺すったり、色々大声で耳元で言った気がします。
お父さんうるさかっただろうなぁ。
でも耳は最期まで聞こえるらしいから。
「息を吸って!お父さん!」
「深呼吸して下さい!」
「あと30分だけ頑張って!」
「まだ朝ですよ(ウソ)!寝ちゃダメです!」
「お兄ちゃんが今来るんだよ!」
とか。
少し呼吸吹き返すような気配も見せたりしたけれど、父の身体は限界だったみたいです。
医師による死亡が確認されました。
父は最期まで闘いました。
見事でした。
兄はその20分後ぐらいに父と対面しました。
遠方から新幹線の距離を車で飛ばしてきたけれど、間に合いませんでした。
動揺して事故ると危ないから、死の直後何ともないフリして「今どこー?」とか電話したので、兄は対面しても、まだ父が生きてると思っていました。
実は今しがた逝ってしまったと伝えるのは辛かったです。
そこからは怒涛の日々。
喪主の兄の手伝いをしながら、総裁会館で泊まり込みしています。
納棺の儀をして、父が仏さんになった実感が少しずつわいてきています。
線香をやるのが凄く抵抗があったのですが、今は次第に腑に落ちてきているところ。